河越夜戦の前哨戦
- 三ツ木原の戦いとは! ―
日 時:12月8日(水)13:30~15:00
会 場:オンライン 元気プラザ教室3
講 師:狭山歴史ガイドの会前副代表 名古屋恵二さん
受講生:出席10名(欠席1名)
碑から読み解く三ツ木合戦
「河越夜戦『やせん』は『よいくさ』という」との話から始まった今回の講義。三ツ木合戦の碑を読み解いていきます。ここ三ツ木原では、1333年北条高時と新田義貞とが戦い、1440年には結城満朝父子三人が上杉顕定と戦ったそうです。碑には「天文六年河越城主上杉五郎朝定(ともさだ)亡父朝興(ともおき)が遺命により北条氏綱早く聞付七月十一日逆寄して三ヶ久保に着し先駆の兵井丸ヶ橋に井浪橋本多目荒川四氏を足軽大将と定め同十五日城兵と戦い朝定が伯父左近大夫朝成(ともしげ・ともなり)を生け捕って河越城に没落同十五年北条氏康河越夜戦の時もこの辺を戦場とせりと言う」とあり、今も残る井丸ヶ橋(江丸橋)や三ツ木原古戦場跡を現在の地図と比べながら説明されました。
生まれていないのに戦っている?
また、室町時代を中心に、この近辺での足利、上杉、後北条氏の三つ巴の戦いの顛末、元弘の乱、結城合戦等を検証し、年代、場所等を考慮した私見の披露説明などがありました。まだ生まれていない上杉顕定が戦ったとされている話など興味深いものがありました。
鎌倉街道や近隣の城
現代の地図と対比しながら、鎌倉街道上道(かまくらかいどうかみつみち)、堀兼道の解説や、近辺の城の位置等も説明頂き、当時の戦いの様子が生き生きと思い浮かぶような講義でした。
受講生からは「えまる橋公園は近所にある。身近な所に歴史を動かす戦いがあったことに感激している」「合戦等においては、場所に対して書いてある戦闘人数が多いように思える」「『いざ鎌倉』の意味の解釈がよく分かった」等の感想が聞かれました。日本史では特におもしろいといわれる戦国時代ですが、武蔵野国における覇権争いの一部として、三ツ木原の戦いがどうかかわったのかの話に、受講生も興味を覚えていたように感じました。