買い物難民
「買い物難民」という言葉が新聞やテレビなどのマスコミに登場し始めた時、「変な表現が出てきたなー」と感じたことがある。食料品店が近隣から無くなり、日常の買い物に不便をきたす状況が出てきた社会状況下から生まれた言葉である。大型店の拡大に歩を合わせるように、昔ながらの地域小売店が次第に消滅し始め、ついに日常の買い物が出来なくなった地域消費者を「買い物難民」とマスコミが呼ぶようになった。買い物難民対策として、出張販売、ネット販売、送り迎えなどの新サービスが生まれるようになった。
生涯学習難民
市民大学の学長・代表者同士が集まるある会合に出た時、初めて「生涯学習難民」という言葉を耳にした。約4年前のことだ。熱心に学び続けることが目的化してしまい、何年経っても、何かを始める気配が起きない市民大学受講者のことを指していた。市民大学の場で起こっている現象であるから、60~70代のシニア世代を対象にした生涯学習課題、社会教育課題の一つとして、このような現象が起こっていることを指摘したものである。
この時、市民大学の役割は、地域や社会のために役に立つ何かコトを起こすための学ぶ場にする必要性を強く感じた。
市民大学は楽学の場
市民大学という学習の場が、キョウイク(今日行く)とキョウヨウ(今日用)の場になることは大歓迎である。同じ目的を持った学びの場が、自由な意見交換の場になり、仲間と会える交流の場になるからである。市民大学に通うのが楽しくてしょうがない、といわれるような「居心地の良いコミュニティ」に育てていくのが私たち運営者の大切な役割である。「勉強になる」からだけではなく、「通うのが楽しい」という評価がもらえるための工夫と努力が欠かせないことは言うまでもない。コミュニティカフェや図書館の充実、なにか新しいコトを始める社会起業家支援などを真剣に考える必要がある。
コミュニティ難民
「コミュニティ難民」なる言葉があることに最近気が付いた。会社や地域などに上手く帰属できずに悩んでいる人たちを難民と呼んでいるらしい。本当は、帰属したいコミュニティを探しているわけであり、家庭、職場以外の帰属コミュニティがないと人との関わりが生まれない。関われる、多様なテーマ・コミュニティを生み出す環境づくりが急がれる。
コミュニティ難民が漂着できる場をどうしたらつくれるか。まちづくりと地域再生に問われている課題そのものである。地域・社会課題の解決貢献に、学びの場としての市民大学の使命があるとすると、コミュニティ難民問題と正面から向かい合う必要がある。