みぞれ降る中での入学式
さやま市民大学の新年度の入学式が、平成31年4月10日(水)、元気プラザ体育館にて挙行されました。あいにく、みぞれが降りしきる寒さの中の入学式になってしまいました。自主講座と協賛講座両者を合わせた306名の受講生を迎えての式典が執り行われました。
体育館の中は暖房が効きませんので、入学式が終わってから「寒かった」という多くの声を耳にしました。それでも学び体験を志す受講生達だけあって、心の温かさを学ぼうという意志と意欲で寒さに耐え忍んでいたようで、気の毒をさせてしまったことを反省しています。
六年目の市民大学
今年で、さやま市民大学は六年目の開校になりました。過去5年間で約2000名の修了生を輩出しています。他の講座を取り直す再受講生も増えてきていますので、再入学式の様相も出ています。講座の種類が増加していますので、毎年、新たな講座を選択して取って頂くのは、市民大学にとっては有難いことです。
正規の大学では、4年間をかけて必要な単位数を取得した場合に学位記並びに卒業証書が得られますので、これからの市民大学も、複数年かけて所定の講座と単位数を取得した場合に「市民学士」のような証書を授与する方法なども検討する必要があるかもしれません。
「学ぶことが生きること」という学び続けることが当たり前の時代がやってきていることを考えると、長く学び続けられる環境づくりと、それに相応しい資格取得制度や市民学士授与なども真剣に考えなくてはなりません。
令和時代と共に歩む市民大学像
「令和」という新元号の年と共に歩む新たな市民大学像を築く必要があります。
「万葉集」を典拠とする令和には、少し緊張感を含む、新しい時代を招き寄せる力が感じられます。花鳥風月や四季折々に、美しいこころを寄せ合わせ、和やかな社会を大切にしながら文化を育て、共助と協働の精神が時代を動かすなどの意味が込められていると解釈することが出来るように思います。
令和の時代の始まりと共に、狭山市では「協働によるまちづくり」が動き出します。令和と協働の精神とは通底するものがあるように感じます。
市民大学は「人生100年時代」の学びの公器
市民大学は、「人生100年時代」を元気で、楽しく、充実感のある生き方が学べる場として、令和時代に欠くことの出来ない社会的存在になっていくと思います。人生100年時代に問われる課題が山積しています。「健康長寿は社会貢献」。「学ぶことは生きること」。「遠のく死、問われる生」。「“老人”時代の終焉」。「思いやり・社会貢献から得られる生きがい感」。脱孤立社会に向けた「誰もつながる社会の実現」などなどです。
市民と行政との協働により、「市民大学の存在価値」を創り続ける責務と自覚が、私たち市民大学の運営関係者にはあります。平成時代に誕生した市民大学に感謝し、令和時代に果たせる役割を自問自答する、このような機会を新元号が与えてくれたことにも感謝します。(平成31年4月26日記)