郡厨(ぐんくりや)があった?
- 鳥の上遺跡発掘調査でわかったこと ―
日 時:10月27日(水)13:30~15:30
会 場:オンライン 元気プラザパソコンルーム
講 師:狭山市教育委員会 三ツ木康介主査
受講生:出席9名(欠席2名)
今回は、平成30年4月16日~令和2年10月13日まで行われた、鳥の上遺跡発掘調査でわかったことを豊富な資料を元にお話しいただきました。
鳥の上遺跡とは?
鳥の上遺跡では奈良平安時代(約1,300年前)の集落跡が多数検出されています。狭山市の遺跡発掘規模としては調査面積81,938.29㎡で、最大規模です。調査地はほとんどが畑であったため、地下にあった遺物を掘り起こして耕作していたので、遺物は畑に散らばっていました。その為、畑をローラー作戦で調査。遺物が落ちている箇所を地図上に記載して分布図を作成し、分布の濃い個所を遺跡範囲としたそうです。
結果、竪穴住居跡174軒、掘立柱建物跡92棟等の遺構の他、須恵器、土師器、紡錘車(ぼうすいしゃ)、刀子とうす等の遺物が多数発掘されました。
さてさて、問題の「郡厨はあったのか」……。
郡厨とは郡衙にある厨のこと。厨とは現代でいう台所施設です。郡厨であることを証明するには、この遺跡が郡衙であることが必要です。郡衙とは国郡里制の郡の中心地で、現代でいうと市の市役所的な場所です。埼玉県内の郡は16カ所。この近くの郡は入間郡と高麗郡ですが、残念ながらどちらも狭山に中心があるとは考えにくいとのこと。
結論的には郡厨の存在は確証が得られていないとのことでしたが、「考古学の醍醐味は見つかった資料から自分なりの想像を膨らませ、昔に思いを馳せること。自由に思考を遊ばせてみてください……」とのお話で講義が終わりました。遺跡そのものの基礎知識からの講義であり、あらためて理解が深まった時間でした。