「伊勢西国道中記」を読もう 4
日 時 : 7月9日(火)13:30~15:30
場 所 : 狭山元気プラザ第2教室
講 師 : 狭山市文化財保護審議会委員 権田 恒夫
今回は、蒲原宿から府中宿までを読み進めます。
①【原 文】
昼喰七拾弐文 野口祖右衛門
名物富士の白酒有此間富士川舟渡し
廿四文坂をのほり岩淵村栗の粉餅あり
一蒲原え 三り
弐百十六文 木肌屋恵左衛門泊り
一由井え 壱り
奥津川橋有此処にてはし代なぞと
大人にて申しけるはし銭なし
一奥津え 弐り十六丁
此処右之方清見寺是より一人前
六十四文にて舟に乗三保之松原に上り
三保大明神天女羽衣之松
【書き下し文】
昼喰72文 野口祖右衛門
名物富士の白酒有り、此の間富士川舟渡し
24文、坂を上り岩淵村栗の粉餅有り。
一蒲原へ 3里
216文 木肌屋恵左衛門泊り
一由井へ 1里
興津川橋有り、此の処にて橋代などと
大人にて申しける。橋銭なし。
一興津へ 1里
此の処右の方清見寺、是より一人前
64文にて舟に乗り、三保の松原に上り
三保大明神、天女の羽衣松
②【原 文】
是より少し戻り大野村龍源寺日本一の
早墓天有
一久能山
御番所榊原越中守
此所案内銭弐百文山役銭
弐百文但十人にて右の定也又壱人にても
両所にても弐百文宛
一府中 三り半
御定番村上信濃守御城跡
弐百文 大万屋清右衛門泊り
富士浅間宮
【書き下し文】
是より少し戻り、大野村日本一の
サボテン有り
一久能山
御番所榊原越中守
此の処案内銭200文山役銭
200文10 にて右の定めなり。1人にても
両所にても200文宛。
一府中 3里半
御定番村上信濃守御城跡。
200文 大万屋清右衛門泊り
富士浅間宮
現代語訳
原宿を過ぎ吉原宿の野口屋で白酒(甘酒)を楽しみ、富士川を舟(24文)で渡り、岩淵村で栗の粉餅(くりのこもち)を堪能しました。
20日、蒲原宿木肌屋(216文)で宿泊します。由井宿から難所の薩埵峠を越え、興津川の土橋を渡り、興津宿に向かいます。そこで、臨済宗妙心寺派巨鼇山(こごうさん)求玉院清見寺(釈迦如来)を参拝すると、境内に五百羅漢が並んでいました。渡し舟(64文)で三保松原に渡り、三保大明神(本地仏は聖観音・祭神は大己貴命と三穂津姫命)を参拝し、天女の羽衣の松を見学しました。日蓮宗観富山龍華寺(本尊は釈迦如来)で日本一のサボテンと巨大ソテツ(天然記念物)を観覧しました。一行は案内銭と山役銭を200文ずつ出し合い、第2代将軍・徳川秀忠(1579~1632)が建立した久能山東照宮(本地仏は薬師如来・垂迹神は東照大権現)を参拝します。
21日、村上美濃守の駿府城(府中城・静岡城)が建つ府中宿で旅籠の大万屋(200文)に止宿し、賎機山の山麓に鎮座する富士浅間宮(祭神はコノハナサクヤヒメノミコト・本地仏は阿弥陀如来)を参詣しました。見事に彩色された本殿に見惚れました。
解 説
三保大明神は天女に男が恋する伝説と『羽衣』の舞台で広く知られていますが、白鳥伝説は世界中にあります。2013(平成25)年6月26日、富士山は世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉-」に指定されました。
東照宮の別当寺は徳音院久能寺(現 鉄舟寺)で、神廟に徳川家康即ち東照大権現が祀られています。大権現は真西を向き、旧豊臣方の大名をずっと見張り続けていると言われます。家康の遺言で遺骨は日光へ運ばれたと言われますが、「神柩」には遺体はなかったそうです。家康は生前、「遺体は駿河国久能山東照宮(静岡市駿河区根小屋)に葬り、浄土宗鎮西派三縁山広度院増上寺(東京都港区芝)で葬儀を行い、三河国浄土宗成道山松安院大樹寺(岡崎市鴨田)に位牌を納め、一周忌が過ぎたら下野国日光(日光市山内)に小堂(日光東照宮)を建てよ。関八州(関東)の鎮守になろう」と遺言しました。現在、久能山東照宮は、徳川家康を中心に向かって右に豊臣秀吉(153~71598)を、左に織田信長(1534~1582)を祀っています。日光東照宮は中心に徳川家康を、向かって右に豊臣秀吉を、左に源頼朝を祀っています。
富士浅間宮の別当寺は臨済宗妙心寺派補陀落山徳音院久能寺(本尊は千手観音・現 鉄舟寺)と真言宗瑞祥山建穂寺(本尊は千手観音)で、祭神は木花咲耶姫命です。コノハナサクヤヒメは美人の神で、子宝や安産、子育てなどに御利益があります。父親は大山祇命神で、姉は顔が醜かったが岩のように変わらない女神・磐長姫命(いわながひめ)で、妹の木花咲耶姫命は咲き誇る桜の木のように美しいが、桜のようにはかない美人薄命の女神です。そんなことから、天皇の命も限られるようになったと言われます。