第1回 史跡・文化財めぐり「柏原地区」
写真・文責:狭山の歴史講座スタッフ 遠藤 猛
実施日:平成29年4月27日(木) 8時25分集合~12時50分現地解散
天 候:曇 20度 風弱し
地 区:柏原地区 コース距離 約5㎞
コース:狭山市駅西口広場(集合)柏原ニュータウン行バス→柏原東バス停下車…城山砦跡…常楽寺…長源寺…宮原遺跡…上宿の庚申塔…永代寺…柏原公民館(休憩)…柏原白鬚神社…西浄寺…円光寺…大六天と大山灯籠(現地解散)…柏原南バス停→狭山市駅西口
参加者:髙橋先生 受講生33名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会9名 総勢49名
■城山砦跡
ここ城山砦跡は市内で唯一の中世城郭跡で、昭和48年(1973)3月1日に、狭山市指定文化財・史跡として指定されました。現存する面積は約1万㎡です。入間川の流れに迫り出した台地上にあり、沖積面から10mほど高い河岸段丘上にあって標高は約50mです。現存する砦跡は、北東側から「本廓(ほんくるわ)」、「二の廓」、「三の廓」の順に並んでいます。この砦は、いつ頃、誰が、どんな目的で利用したのかは幾つかの説があります。
■常楽寺
当寺は妙法山常楽寺といい、宗派は天台宗羽黒行人派。本尊は木造不動明王坐像です。
創建の時期、開基、開山などは不明ですが、昭和63年(1988)に神田家から発見された文書に「元文5年(1740)に西浄寺を同寺の末寺にする」との記載があり、それ以前であろうと思われます。
増田家(槍鍛冶を業としていた)の墓地は以前、永代寺にありましたが、幾度かの火災で無住の時代に当寺を創建して墓地もこちらへ移したとの伝承があります。
■長源寺
当寺は秀柏山(しゅうはくさん)長源寺といい、宗派は曹洞宗。本寺は飯能市直竹にある長光寺で、本尊は木造千手観世音菩薩坐像です。
開山は越前国(福井県)永平寺の底庵桂徹(ていあんけいてつ)大和尚です。墓碑銘から同和尚は寛永6年(1629)に没していますので、開山の時期はそれ以前の17世紀初期と考えられます。
■宮原遺跡
長源寺の北側に広がる畑にある宮原遺跡は、智光山公園を水源とする小河川の右岸にある遺跡です。遺跡の規模は大きく、約2,600坪(85,500㎡、450m×190m)に及んでいます。
この遺跡からは、縄文前期後半から後期までの各時代に特徴的な形式の土器が発掘されています。
■上宿の庚申塔
この「上宿の庚申塔」は享保13年(1728)12月に柏原村の金子六左衛門他9名の庚申講中と常楽寺によって、五穀豊穣や二世安楽、そして塞(ふさ)ぎとしての無病息災や悪疫退散を願って建てられたものではないかと推察されます。
正面上部には日月と瑞雲、その下に一面六臂の青面金剛が邪鬼を踏まえた姿で刻まれています。またその下には3匹の猿と2羽の鶏が刻まれています。
■永代寺
当寺は金宝山永代寺(きんぽうさんえいたいじ)といい、宗派は真言宗智山派。本寺は坂戸市の大智寺で、本尊は木造虚空蔵(こくうぞう)菩薩坐像です。
本堂の木造不動明王及び二童子立像は昭和61年(1986)に狭山市指定文化財・彫刻として指定されました。
■柏原白鬚神社
当神社は旧柏原村の総鎮守で、祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)です。創建は古い記録が残っていないため不明ですが、当神社所蔵の天正18年(1590)の御正体(みしょうたい)が現存していることから、それ以前であると思われます。
当神社には、「御正体(みしょうたい)」、絵馬「子返しの図」、絵馬「陰陽和合図」、「韋駄天(いだてん)の額」、「柏原の祇園囃子」の5つが市指定文化財になっています。
■西浄寺
当寺は威徳山(いとくさん)西浄寺といい、宗派は真言宗霊雲寺(れいうんじ)派で東京湯島の霊雲寺の末寺です。本尊は木造大黒天立像です。
この寺は、別名を甲子寺(きのえねでら)とも言われています。それは大黒天のお使いがネズミであることから生まれたことで、十二支の子(ね)を当てて甲子寺と称されるようになりました。
■円光寺
当寺は高麗山地蔵院円光寺といい、宗派は真言宗智山派で坂戸市にある大智寺の末寺です。本尊は木造不動明王坐像です。当寺の銅造聖観世音菩薩立像は、昭和61年(1986)に狭山市指定文化財・彫刻として指定されました。
■大山灯籠と大六天
この灯籠は大山灯籠で、文政13年(1830)6月に地元の恵花組(えげぐみ)によって五穀豊穣を願って建てられました。
この石碑は正面に「大六天」と彫られているとおり大六天を祀っています。銘文から中澤雪城(なかざわせつじょう)書による文字塔で、安政6年(1859)9月に建てられました。
大六天は散らかすのが好きな神様で通称「ちらかしさま」と呼ばれています。