第6回 史跡・文化財めぐり「奥富地区」
実施日:平成29年10月12日(木) 8時20分集合~12時40分現地解散
天 候:曇 28度 風なし 真夏日に近い暑い半日でした。
地 区:奥富地区 コース距離 約6㎞
コース:新狭山駅北口広場…大山道の道しるべ…芝坂のイボ神さま…廣福寺…奥富公民館(休憩)…梅宮神社…瑞光寺…西方の薬師堂…生越道道標(現地解散)…新狭山駅
参加者:髙橋先生 受講生30名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会6名 総勢43名
第6回の史跡・文化財めぐりは奥富地区。
朝方は曇っていましたが、ガイドが始まる頃になると晴れてきて真夏日になりました。受講生は水分補給をしながら暑さに負けないで、最後まで熱心に説明を聞いていました。
今回は1名の機関誌・広報担当者から投稿がありましたので掲載します。
■大山道の道しるべ
・この大山道の道しるべの様式は山伏型角柱の文字塔で、正面の銘文から阿弥陀如来の種子(キリーク)、その下に南無阿弥陀仏と名号が彫られているところから、阿弥陀如来を主尊とする石仏型の道しるべです。寛政5年(1793)6月に建てられました。
行き先を見ると右側面に「はんのふ(飯能)子ノごんげんみち(子の権現道)、左側面に「大山道」と大きく刻まれています。
道路が狭く混雑するのでビジネスホテル若狭の広場をお借りしてガイド説明をしました。
朝の挨拶をされる髙橋先生 大山道の道しるべ 江戸時代からこの位置に建っていた
■芝坂のイボ神さま
・通称「イボ神さま」と呼ばれる浮彫の馬頭観音は、銘文から安永8年(1779)正月に、この付近に住んでいた細田林右衛門(ほそだ りんえもん)により、馬の供養仏として建てられたものです。
この馬頭観音がイボ神さまとして信仰されるようになったのは、身体中にイボが出来て困っていた人が願掛けをしたところ、たちどころにイボが取れたことからだと伝えられています。
■廣福寺
・当寺は薬王山地蔵院廣福寺といい、川越にある仙波中院(せんばなかいん)の末寺で、宗派は天台宗です。本尊は木造薬師如来坐像です。
・山門は昭和48年(1973)3月1日に狭山市指定文化財・建造物として指定されました。
・当寺の歴史を感じさせるものに「御詞(おことば)の梅」と呼ばれる紅梅があり、そこの井戸を「梅の井」と呼ばれています。
■梅宮神社
・当神社の創建は古く承和(じょうわ)5年(838)といわれ、京都市右京区の桂川沿いに鎮座する梅宮(うめのみや)大社から分祀したものです。広瀬神社と並んで市内で最も古い神社の1つです。
・拝殿に掲げられている「桃園三傑図」は、中国の三国時代の蜀の英雄劉備玄徳と関羽、張飛の三人が、桃の木の下で義兄弟の盟約を結ぶさまを描いたものです。昭和52年(1977)に狭山市指定文化財・絵画に指定されました。
普段は上がれない拝殿でガイド説明をしました。
■瑞光寺
・当寺は龍殿山成就院瑞光寺といい、宗派は真言宗智山派で、本寺は坂戸の大智寺です。
創建は不明ですが、大正2年(1913)記した調書「瑞光寺所有物件之覚」の中に、古老のいい伝えによれば創建は平安前期の大同2年(807)といわれているとの記載があります。
・志村家のお墓 ここの墓地には上奥富の名主の志村家代々の墓地があります。堀兼地区の新田開発で説明がありましたが、堀兼の新田開発の総責任者だった志村次郎兵衛は志村家の次男でした。
本尊 智拳印を結ぶ木造大日如来坐像 上奥富の名主志村家代々の墓
■西方の薬師堂
・西方自治集会所横の薬師堂の創建年代は不明ですが、慶安元年(1648)に記された廣福寺の「御改帳(おんあらためちょう)」によれば「堂地三畝六歩薬師堂高(光)林寺也」とあるので慶安元年以前の創建と思われます。このお堂は廣福寺の所有で、通称千日堂とも呼ばれています。
・西方集会所の裏手には如意輪観音半跏趺坐像や廻国供養塔などの石仏群が建っています。
■生越道道標
・生越道道標は昭和50年(1975)3月1日に狭山市指定文化財・史跡として指定されました。国道16号線に面して建っているこの道標は、神仏を刻まない市内で唯一の独立型道しるべで、建てられたのは寛政2年(1790)です。かつては「せごしどう」と言われていましがた現在は「おごせどう」と言われています。
国道16号沿いにあり狭い歩道なので、西方自治会集会所前でガイド説明をしました。
西方集会所で生越道道標をガイド説明 国道16号沿いの生越道道標を見学
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卒塔婆(そとうば)の意味や型を理解
機関誌・広報担当 第1班 永井 修二
史跡・文化財めぐりは、早いもので6回目。今回は奥富地区、廣福寺、梅宮神社そして瑞光寺等、狭山市で代表的な寺院が盛り沢山です。
瑞光寺は大同2年(807)創建の真言宗智山派の寺院であり、本尊は智(ち)拳印(けんいん)を結ぶ木造大日如来坐像です。
真言宗は空海(弘法大師)により開かれ、その中の智山派の本山は京都の智積院、関東では成田山新勝寺、金剛山金乗院平間寺(川崎大師)、高尾山薬王院などがあります。
お彼岸等で墓地に行くと多く見受けられる卒塔婆(そとうば)について、形や意味を理解できる有意義な講話を伺いました。卒塔婆は古代インドで「仏塔」という意味のサンスクリット語「ストゥーバ」を漢訳したものであり、ストゥーバ(仏舎利塔)とは釈迦の遺骨を納めた塔で、これが五重塔の起源といわれています。五重塔をもとに、その後つくられた五輪塔が卒塔婆の起源です。卒塔婆は五輪塔が簡略化されたもので、五輪塔の5つの形の意味を卒塔婆も同じく持っています。梵字で、最上部の宝珠型は「空」、次から、半円が「風」、三角形は「火」、円は「水」、一番下の四角形は「地」を表しています。密教系では、これらの5つの要素で宇宙のすべてを構成しているという宇宙観をもち、この5大要素によって人間も生かされていると教えられているとのことです
卒塔婆にはそのほか、戒名(法名)、没年月日(命日)、経文、施主名、供養年月日等が書かれています。
廣福寺は天台宗の寺院で、創建は永禄11年(1568)以前、本尊は木造薬師如来坐像です。ここには、白壁が美しい竜宮造りの山門があります。入母屋造り瓦葺き屋根の下は鐘楼となっており、ここの梵鐘は、大晦日には誰でも打つことが出来るとのことです。皆さん是非体験してみては如何でしょうか。
また、山門をくぐると右側に紅梅「御(お)詞(ことば)の梅」があります。
この梅は、徳川三代将軍家光が当地へ鷹狩り来た時立ち寄り、その美しさに「何と見事な、この花おろそかにすべからず」と感嘆の声をあげたことから、「御(お)詞(ことば)の梅」と呼ぶようになったとのことです。
3月中旬、紅梅の咲く頃、鐘楼からの景色は一見です。
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