所沢キャンパスの正門から南門に通ずる遊歩道は、アキニレとエノキの雑木林のある丘陵の緩やかな斜面を通る坂道です。いきがい講座のウォーキング授業は、この雑木林のなだらかな遊歩道を登って南門からトトロの森に入り講師の指導の基にウォーキングが実施されます。
「アキニレ」
ニレ科落葉樹、インドシナ半島、中国、日本に分布、秋に開花する種で和名の由来にもなっている。
(関紀文 撮影)
「エノキ」
ニレ科落葉樹、東アジア、日本に分布、4月に小さな花をつける。家具や農具の木材。(関紀文 撮影)
講座実施報告
6月18日(土)講座報告「コミュニティへの関わり方」 講師:東京国際大学 高田 知和教授
1. コミュニティとは
一定の地域の上に共同生活が営まれる社会。
2. コミュニティの二つの目標
① 親交的コミュニティ
② 自発的コミュニティ
3. 日本における実際のコミュニティ
理念とは異なるものであったが、コミュニティの担い手は町内会・自治会と言える。
4. コミュニティの新しい提案
住民同士が知り合うことを出発点と考えず、公共的領域の問題処理を担うシステムに住民参画を実現し、住民自治の拡大を目指すことが最重要である。
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1. 「はっきりしないコミュニティ」について体系的に説明していただき非常に勉強になりました。
2. 授業でコミュニティの在り方・考え方・地域社会への関わり等を勉強できました。今まで田舎の区長・班長・地区長の役割・怖さを思い出しました。私の田舎社会は集落単位で、守り地蔵さんの回し・金銭(助け合い)分担金・田植え・稲刈り共同作業がありました。
3. コミュニティという語、日常生活に於いて、私自身気軽に使っておりますが、今日の講座を受け、幅広く色々な部門・面に分かれて取り上げられている事を知る事が出来、もう一度復習をして、理解を深めていきたいと思います。
4. 次男と結婚し、集合住宅で暮らす私には、田舎で独り暮らしの母の世話をしに時々行くと地域のつながりが面倒な時がある。誰が言い出した事だか不合理的な事が多々あり又、個人の生活の中に入ってきて嫌な思いもしてきた。自立した個人の集まりになれば良いと思う。本日の講義を田舎の人々に聞かせたい。
5. 普段何気なく話題となる町内会(自治会)とコミュニティの違いは「世帯の家単位」と「個人及び家庭の個人主体」である事、テーマコミュニティの考え方など、コミュニティの概念が勉強出来て良かったです。
6. 現在居住している団地について、高齢化、転出・転入等により,自治会に加入しない世帯が発生しています。地域コミュニティへ自然と全員が参加し、地域社会が保てるにはどうしたら良いのか課題が多いと感じています。
7. アメリカのコミュニティの中心は校舎だそうですが、日本の農村社会の場合、名主の役目の重要さが分かりました。ところで寺や神社はその時代どのような役目を果たしましたか(会合の場所を提供する?)
★ 高田教授より
伝統的には、お寺や神社が集会所として利用されたことは多くあったと思います。例えば私が調査していた茨城県牛久市桂地区では、金剛院というお寺の庫裡が使われていました。ただ、あらゆる会合にということではなかったようです。古い時代のことは分からないですが、少なくとも昭和戦前期には、地区の「寄合」は、当時の区長であった神主宅で開かれていたそうです。他方で、青年会や女子青年会(処女会)の集まりは、金剛院で開かれていました。昭和10年頃、この地区の青年会では9月初旬に3日間くらい「遊山講」と称して遊ぶ習慣がありましたが、その3日間は金剛院の庫裡に集って共同炊事をしていろいろなことをやって過ごしたということです。その後、戦後になってから土地の提供を受けて公会堂が作られてからは、種々の集まりは公会堂に移りました。(かつてこの地区の青年会活動について、高田知和「農村青年の生活史―集落青年会の活動を通して」日本生活学会『生活学論叢』第8号、平成15)という論文を書いたことがあり、「遊山講」のことなど詳しく書きました。)
8.テーマコミュニティと言うことで村意識が変わると良いと思います。良いリーダーが必要でしょうか?
★ 高田教授より
長くなるのであまり書けませんが、私自身は、現在も続いている色々なもののなかには、やはり何らかのリーダー、あるいは中心や中核となる人が熱心に働きかけた結果のものが見られると思うのです。誰かがそうした役割を果たしてくれれば良いと思うのです。
9. コミュニティへの参加も少し考えて行きたいと思っているが、何か「テーマ」を持つ方がいいと最近考えているところである。この一年で考えて行きたい。
10. コミュニティとは狭い地域社会の事を言う。小さい頃育った町は、祭りや、潮干狩りに参加した思い出もあります。父がよく地域の役員をしていました。今はマンション暮らしで、確かに隣近所の交わりも少なく、マンションの役員等で地域の事が分かるぐらいです。とても先生の話分かりやすかったです。
11. 集合住宅の団地に永く暮らす者としては、自治会活動には人並みに関わっているが、コミュニティという概念での付き合いは実感がない。趣味を通じてのグループ活動は継続しているが、少人数での付き合いの域を出ない。農家の友人は地域での結び付きが強いが、仲間に入れないムードがある。
12. 今住んでいる所は、昔は田舎のためか広い地域の中での自治会でした。今は新住民が増え人数も増えています。ゴミの処理や虫の駆除、廃品回収等の活動やイベントは良く行われています、でも人としての相互の結び付きは稀薄になって来ています。公共的領域の問題処理が、行われているのでいいのでしょうかね。
★ 高田教授より
現代社会では、人としての相互の結び付きというのは、ともすれば自分の私的領域にまで入ってきて鬱陶しいと感じる人も出てきます。公共的領域での共同での問題処理から、相互の関係を作っていくと考えるのも良いのではないかと思われます。
13. 私が住んでいる自治会でも人々の結び付きが稀薄になってきているように感じています。自治会の諸活動に積極的に参加し、交流を図っていますが限界を感じています。今日の講義で知った公共的領域の問題解決を図るためのシステムを作る事も一つの方法かと思いました。住民にまずは参加してもらうためにも考えて見たいと思います。
14.今日の講義は「コミュニティ」の定義と「コミュニティ」の言葉が生まれた歴史的経過と又「コミュニティ」の持つ目標という事を勉強した一日であった。具体的な型としては「自治会」「町内会」という姿で現在活かされている(近い存在として・身近な存在として)「自治会」「町内会」活動に参加した経験がないが、今後少しは意識していきたいと思う。何故行政主導で「コミュニティ」を提唱していったのかその背景を知りたい。
★ 高田教授より
昭和30年代から「六〇年安保」や公害反対運動などで市民運動が盛んになり始めますが、昭和40年代に「コミュニティ」が行政主導で言われた頃は、現時点(平成28年)とはかなりの意識の違いがまだあったと思います。小田実とか市川房枝などのような市民運動家の他、公害反対運動や主婦連などさまざまな社会活動が行なわれるようになってはいましたが、社会一般で見れば、まだまだそうした人は少数だったのではないかと思うのです。それが今は、その後の経験や情報機器の発展等によって、一般の普通の人たちが、ごく当たり前に色々な運動に主体的に参画していくことが出来るようになっていると思うので、時代的な違いが今とはあったということではないでしょうか。
15.昔の村の事が思い出された。良し悪しは色々あったであろうと思う。現在の自治会に対し親しくする事が前程かと思っていたが変化し、問題処理に参画すべきという方向である事を実感した。これからの関わり方の参考になった。
16. 単に人口減だけでなく生活が困難になっていく、これを「過疎」という。自分の住んでいる地域も狭山市の中でも高齢化率が高い。ある意味これも過疎化の傾向かと思う。自治会の存続が危ぶまれる日も遠くではないのか。