市民大学は「老人大学」ですか?
さやま市民大学の学長という名刺を差し出すと、状況の分からない方々は、「ああ、老人大学の学長さんですね」という反応が返ってきます。別に、否定はしませんが、世間での市民大学なるものが、暇な時間をつぶすためのシニア世代の集まりという印象を持たれていることは事実だと思います。いちいち、私たちの市民大学はそうではないのですよ、という弁解がましいことは言わないようにしていますが、元気なシニア世代の前向きな生き方の実情があまり理解されていないのが残念です。市民大学には知を生み出す「成熟大学」という側面があります。
余生、老人はもはや死語
ニッポンの豊かな経済社会形成の主役を演じてきた団塊の世代という大きな塊が、数年前から、終の棲家となる地域社会に戻ってきて、さらに健康長寿社会の主要な構成員になり始めている今日、「余生を楽しむ」とか、「自分を老人として意識する」といった人間感覚、生活感覚は殆どないのでないかと思います。「教養」と「教育」にとって代わって、「今日用」と「今日行」が現代の生き方だ、と言われ出した時代の変化に、なにか共感できる思いがしたことがあります。生涯現役として活動し、何かに没頭できるだけの心・技・体を創るのが「健康長寿社会」のライフスタイルではないでしょうか。
熱心に受講され、何かを得たいという強い想いの受講者に触れていると、実践に結び付く、生きた学びの場の大切さをひしひしと感じます。真剣に学ぶことが健康づくりのエネルギーになり、社会貢献との関わりが充実した生きがいにつながることを気づかせてくれます。
経験知の蓄積の場が市民大学
私たちの市民大学では、講座を担当して下さる講師陣に大変恵まれています。全国レベルで活躍されている著名な先生方、地域のなかで協働活動のリーダーを務めている方々、新たにソーシャルビジネスを立ち上げられた方々など、市民学、地域学の先駆者的な立場で活躍されている方々に講師、コーチ役をお願いしています。知識と経験に裏打ちされた「経験知」を積み上げられている先生方に学べる幸せを大いに感じています。
「イベント・プロデュース講座」のなかで、実際に地域のイベントやお祭りを盛り立てている実行委員会委員長の経験者の方々から、プロデュースの事例を報告して頂きましたが、教科書では学べない「賑わいづくり」という価値づくりのプロセスがよく理解できました。市民大学という講座があることによって生み出せる情報価値の有難さを改めて実感しました。
目指すは「センター・オブ・コミュニティ」
市民大学は熟成した知を生み出す「成熟大学」の役割を担っています。
講師、受講生、運営スタップが協力、連携し合って、市民大学だからこそ生み出せる「経験知」「生活知」「地域知」「幸せ知」を創造し、地域課題の解決が担える「センター・オブ・コミュニティ」への道を目指す必要があります。
さやま市民大学は「老人養成大学」ではありません。