所沢キャンパスの織田幹雄記念陸上競技場周回遊歩道に植林されたソメイヨシノは、春に満開の花を競います。競技場のフェンスは緑のヤマモモの木です。
交配で生まれた日本産の品種で桜の代表種 (関紀文撮影)
ヤマモモ科常緑樹、原産は中国と日本、暑さに強く乾燥地の重要樹種、球状で暗赤色の果実をつける。
(関紀文撮影)
講座実施報告
- 6月11日(土)講座報告「尊厳ある死と生きがい」 講師:聖路加国際大学 鶴若 麻理准教授
- 7月9日(土)講座報告「高齢期とリビング・ウィル」 講師:聖路加国際大学 鶴若 麻理准教授
6月11日(土)講座報告「尊厳ある死と生きがい」講師:聖路加国際大学 鶴若 麻理准教授
- 尊厳とは
- 人間の根本的価値に照らしたふさわしさ。
- 尊厳死とは ・命の終わりを自分らしく尊厳あるように迎える生き方。
- 生きがいとは ・生きている幸福、値打ち、張りあい。
- 生きがいを感じるもの(インタビューから)連帯感、達成感、追求感、充実感、満足感。いかに死ぬか、それはすなわちいかに生きるかという生き方を
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1. 生きがいについて多方面から話をしていただき大変満足しました。何はともあれ自分の健康の維持が大切であり何事にも興味を持ち社会に少しでも役にたてるよう過ごしたいと思います。
2. 私も常日頃尊厳をもてる内に死にたいと考えて認知症になることに不安を持っていた。今日この講義で尊厳死の考え方が変わった様に思われる、つまり「いかに生きるかという生き方について考える事」の延長戦上に尊厳死があるのではないかと思えた。その事によって肩肘をはることなく尊厳死を考えることができ、非常に気分的に楽になった様に思われた講義内容であった。
3. まさに現在の私にとってタイムリーな講義でした。生きがい等あまり真剣に考えた事もありませんでしたが、これから先何年生きるかわかりませんが高齢者の生きがいはどのグループでも人とのつながりが大切だとの回答が多くこれからの生活の指針にしたいと思っております。
4. 尊厳死を迎えるにあたり、元気なうちに家族と話し合い自分はこういう死を迎えたいと伝えていきたいと思っている。できればエンディングノートなどを利用する予定です。生きがいについては家族の愛に包まれ、お互いを思いやり穏やかに過ごせる様いまの生活を大切にしたい。そして人の役に立てる今の仕事を続け、いずれはボランティア活動もしたいと思っています。
5. 「生きがい」とは何か、きょうの講座を受けて改めて見つめなおし、自分の今後の生き方を考えていきたいと思いました。
6. 生きがいと一言で言ってもとても難しい問題で、国によってもその人の環境の場においても色々で考えさせられます。これから勉強させて頂きます。
7. 末期癌の妻の2年半の看護をしてクオリティーオブライフは重要。病人本人はどう死ぬかを真剣に考えていたと思う。ホスピスは60人待ちで、やっと入れる時が来た時は移動することができない状態であった。ホスピスの施設数の充実が必要だと感じた。苦痛を緩和して死を迎える事、本人にとっても、家族にとっても大切であると思う。
8. この年齢になって「生きがいとは」いかに死ぬか⇒いかに生きるかという事を考える。主体性を持って現在の生活を充実させる。いまのところこれに尽きる。
9. 高齢者社会になってくると、自分の身に何が降りかかるか、夫、家族がいつその立場になってもおかしくない。生きがいは、心、生活にゆとりがないと考えられないように思います。生きがい…?何だろう。どう考えていけばいいのか、とても楽しい抗議でした。
10. 残っている時間をどう生きていきたいかの始まりが2014年11月に母の言葉を思い出し、その時はこの様な自分に何ができるのかと思いましたが、動き始めて色々なことが加わり生きるという事を意識できるようになりました。
11. 今回の講座の中で関心あるテーマの1つでした。尊厳死=自分の意志で死を決める事と思っていましたが、講義を受けてそこに至るまでのプロセスがいかに大事という事が分かりました。生きがいも、年齢、置かれている環境によって違ってくると思いました。
12. アプローチはとても参考になりました。今でも生きてきた人生そのものが語られているようで…人生の肯定と生きがいにあるように最後は良かったなぁーと死にたいです。どうなるでしょう
13. 「尊厳死」など考えていなかった。自分とは別世界の様に思いついた「死」とは、家族との永遠の別れになるので自分自身だけでは決められないのではないのか。残された家族の負担にならぬ様(死別した後気持ちの面でも)多面的に考えてしまう、又健康寿命を大事に最後まで自分らしく生き、それを理解してくれる家族ないし友人を大事にしたい。グループでは決まった人との繋がりのみで、多くの人との交流が少ないので刺激がなく、ハリがないと思う。それが生きがいの喪失につながると思う。現在のグループのあり方を考えるべきだと思う。
14. 人は、自己の意志では、生まれてこられません。一方死は「生きる満足感や、死にたい」の教育により、個人差があるものの自己表現できます。そこで「誰でも死は来ます」今の授業で、生きる価値観、命とは何か、生きた証等、様々な命の哲学、自己表現のあり方を初めて勉強しました。本当に役立ちます。本日から、生きる張り合いを見つけ、社会貢献の満足度、人生観を模索して生きていきたいです。分かりやすい人間観を痛感できました。
15. 年齢によって生きがいが変化することがわかりました。今の自分は、第二の人生がスタートし、生きがいの一部が変化しています。ですが「三つ子の魂百まで」といわれるように、幼いころの肯定感を味わえることは、大切だと思います。人生の肯定をわずかで持ち続けていけたら幸せだと感じます。
16. 私は、いわゆる後期高齢者です。残り少ない時間をいかに生きるかは、常々考えていますが、これがベストだという案は中々出来ません。生きがいは、主体的に感じるものだと思いますが。現在置かれている状況に満足しているので、この状態を続けていけたらベストと捉えます。次回の講義を楽しみにしています。
17. 尊厳死の言葉を開くが自分のこととして深く考えていることは無かった。終身医療についての各組織の見解や、生きがいに関する国際比較などが大変参考になった。幸福な老いsuccessful agingに関して、自分としての生きがいは何か?考えさせられた。家族、友人、趣味、社会貢献、etc、日々の生活の中で朝起きて、健康で毎日やることがあることが基本的な「生きがい」か、その中でちょっと背伸びをした目標を立てて達成していく様な生き方をしたいと強く感じました。有難うございました。
18. 「高齢者の生きがいに関する国際比較研究」のデータが面白い。フランス・デンマーク・アメリカの自立の言葉にはっとさせられました。自分もそうでありたいと思いました。鶴若先生が早稲田で研究なさっていた時と、聖路加国際大学の医療現場で教えられている今では、生きがいに対する概念は変わりましたか?自分が病気になった場合、どこまで治療を受けるかを文書にして残しておきたいと思います。
☆ 鶴若先生より
国際比較研究はやや古いデータなのですが、大変貴重と考えてみなさんにお示ししました。「自立」を大切にする日本の方は多くなっていると思います。聖路加では周りが看護師だったり、医療者が多く、ある意味で違和感を感じることも多いです。いかに1人の人間として、1人の患者として物事を考えられるかが大切だとつくづく感じています。やや医療者は「援助する」「支援する」という視点がつよいので、終末期にある患者の生きがいまでをも援助していると思いがちで、それははなはだ問題だと感じております。そういうことが行き過ぎると傲慢になってしまいます。早稲田にいたときのほうが、思考が自由な方が多かったと思います。
19. 尊厳死について考えたことは今までなかった。今回講座を受けて、家族と話す必要を感じました。生きがいについても、この学科を受講するまでは改めて考えることもなく。会社で仕事をすることが生きがいだったように思います。退職後の生きがいについて、考えてみたいと思います。
20. ご近所の方が癌でもう治る見込みがないと言われた時、奥様も「もうこのまま自然に逝かせてください」と医師に伝えていたにも関わらず。点滴中に癌を治す成分が入っていたと、憤慨して話しておられました。お二人でよくよく話あって決められたことだったのでしょう、先が明るく見えない状態では”生きがい”は見いだせなかったのでしょう。でも、奥様は看護しきったようでいらっしゃいました。これから先”いきがい”を新たに見つけてほしいです。
21. いかに死ぬか⇒それはすなわちいかに生きるかという生き方について考える事とあるが「いつ死ぬか」がすなわち「いかに生きるかという生き方」の「すなわち」の説得力(論理的な説明)が不足していたと思った。情報が多くて非常に勉強になり感謝したいがもっと大事な点で理解が及ばなかった。
22. 生きがい一主体的に生きる。老齢者の入口に入った所であり、言葉にできるものを見つけたい。尊厳なし一終末期の限定はむずかしいのですが判断能力のない人、家族にゆだねるのは今後生きて行く足かせになるのではと考える。それを取り除くケアなどあるのですか?
☆ 鶴若先生より
講義を積極的にきいていただきありがとうございました。家族にゆだねるという考え方は、日本人に多いように思います。次回の講義でもお話します。おっしゃるとおり、それが家族にとって負担になったり、悲嘆が長引くこともあるかと思います。なかなか医療現場では、患者さんが亡くなった後、ご家族のフォローアップを継続的に熱心に行っていくのは難しい状況で、それ以外のカウンセリングや自助グループなどそういったところも支援の一つと思います。重要な点と思います。
7月9日(土)講座報告「高齢期とリビング・ウィル」講師:聖路加国際大学 鶴若 麻理准教授
- エンド・オブ・ライフを考える ・現代の終活ブーム
- リビング・ウィルとは ・将来判断能力を失った事態を想定して、自分に行われる医療行為の意向を、あらかじめ意思表示しておく文書。
- 我が国の終末医療に関する調査から
- リビング・ウィルの意識調査から ・考え方は賛同するが、法制化には消極的。自分の終末期は家族と医師が良い選択をしてくれると言う思いが強い。終末期について語ることは無いが準備については関心がある。
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1. 今日の講義でリビング・ウィルという言葉と内容を知ることができて良かったです。自分がこれからどのように生きて週末を迎えるか、日々の生活の中で、家族との触れ合いの中で、プロセスが大切という事を胸に考えていきたいと思います。
2. リビング・ウィルは初めて講義を受けました。残された家族のことを考えて最近、特に不要なモノの整理、処分は大胆に行っているところです。判断能力を失った事態を想定し、医療の選択を今から示していくという事の重要性を知りました。
3. Living Willの適訳をつくれないものか。Livingは生前の、Willは遺言を意味することは辞書を見ればわかるが、「生前遺言」だと終末期の医療やケアに限定されないので、それを短く「生前遺言」につけかえしたものが日本訳として確立された方が解り易いと思う。3頁の「内容指示」に中に「自分の死後に家族に望むことなども含まれる」と記されているが、ここまで含めるのは一般的なのか?
4. 実母の7年間の介護で家族の負担が重なり、特養への入居、終末期医療も本人の意志でなく、私の判断で決めてしまったことに深く反省しています。今日の講義を聴いて本人の自己決定を大事にすることと、リビング・ウィルについて家族と話してみたいと思いました。
5. 自分の事としては大変参考になりました。考えてみようと思う。しかし突然で起きたときは対処の仕方が解らない。
6. リビング・ウィルという言葉、初めて知りました。誰もが初めて向き合うエンド・オブ・ライフのその先、リビング・ウィルには様々な考え方があるのだと思いました。私の父はマメに記述する人で、エンディングノートをバッチリ書いて、時々私たち子どもに内容を伝えてきます。父親の性格を考えると尊重したいと重いのですが、実際その場になるとリビング・ウィルについては悩むのかもしれないと思いました。今、コミュニケーションを少しでも増やすことが大切なことの一つではないかと思いました。
7. リビング・ウィルについてはあったほうが良いという考えは以前からあるが、なかなか形にできないでいる。死とか終末という事に正面から向かうのが怖いという気持ちがあるからだろうと思う。講義については9頁のまとめが全てを語っている感じがする。人にとって死とは常に他人事であり、自分のものとして促えることに躊躇があるのではないだろうか。
8. 今回のリビング・ウィルの講義ありがとうございました。近親者の死を経験したり、ある年齢の人が身近でわからなくなっている人がいる。自分がわかるうちに書いておきたいと思う。 近親者のその場での判断は非常に難しい。
9. どのように死がやってくるのか考えがありませんでした。ただ少しづつ自分のやりたいことを行い、行きたい道ができたりした今、気持ちが変わったようです。前へ動いていくことで、その道の途中で終わってしまっても、それを納得できるかもしれないと思います。
10. 延命治療で、植物状態で、生かされたくないと思う。また家族の負担も軽減するために文章化したいと思っています。ドクターとの話し合いが本人、家族と十分に持たれることが大切であると思いました。
11. リビング・ウィル、自分で決定するのはなかなか難しいことです。残された者の感情の方が大切だと思うので、自分の意見はあくまで参考にとどめておいた方が良いと感じました。
12. 今回リビング・ウィルについて初めて知りました。講義内容を聴くことで関心を持つことができました。今後家族、配偶者の事を考えると文書作成まではいかないにしても話し合う事だけはしたいともいます。
13. リビング・ウィルの言葉から、何となく延命治療拒否のイメージを持っていました。 「自分の判断能力が無くなった時のために、あらかじめ意思表示しておく」のお話に納得できました。今日のお話からほとんど白紙に近い状態の終活ノートの作成をしたいと思います。 息子からは終活ノートを完成させて欲しいと言われています。
14.リビング・ウィル、文書化も大切だが家族との話し合いのプロセスが大事と感じた。自分も日ごろ色々話はしているが、家族は了解したと言ってくれるが、心の負担を負わせることになるか不安にも感じる。
15.今日の講義は現在の自分の年齢、健康などを考えたとき、まだ遠い内容に感じられ、観念的には解ったような気がしたが、現実としては捉えられない内容であった。リビング・ウィルという言葉も今日初めて知った次第です。ただ漠然として今感じられることは、「尊厳死」「延命治療」「家族の負担」などを考えるとリビング・ウィルを残すという事は必要なのかな?と思われた。
16.鶴若先生の講義、前回に続き受けましたが非常に解り易く説明いただき助かりました。 人生の終末、誰もが迎えることですが、暗い話も極力明るく講義していただき、自分もリビング・ウィルについて考えていきたいと思いました。ありがとうございました。