私のシビックプライド発表会
*日時:11月22日(水)13:30~15:30
*受講生:出席9名(欠席7名)
さやま地域(魅力)学講座の最終回は、私のシビックプライド発表会です。この講座を通して学んだこと、考えたこと、思ったことを友達に伝えるとしたら……。過去の講師・講義を思い出して、狭山市民であるというプライドについて考えました。事前に作成した資料や話題を提示して、感想や意見を述べたり、PowerPointを使って説明したりと、それぞれに個性溢れる発表でした。概要は以下の通りです。
~河越夜戦に登場する後北条家への想い~
令和4年度、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映され、狭山市ゆかりの清水義高が登場しました。小田原城を拠点とした初代北条早雲(伊勢新九郎早雲)、伊勢姓から北条に改姓した北条氏綱、3代北条氏康、4代北条氏政、5代北条氏直ら、後北条家一族の100年間にわたって関東一円を支配した歴史に強い想いがあり、大河ドラマ化を望んでいます。関連する八王子城(八王子市)、鉢形城(寄居町)、岩槻城(さいたま市)、川越城(川越市)などを現地調査して、知識を深めています。後北条軍と上杉・足利軍が戦った河越夜戦(?)や狭山の城山砦を登場させたいです。ところで、歴史ドラマや歴史本では誤植や通説が異なることがあります。例えば、江戸の街の発展は徳川家康が江戸城に入場した後と言われていますが、それ以前太田道灌や後北条氏らが港湾都市として整備、殖産興業、経済振興、文化奨励を図っていました。間違い探しも楽しいものです。
~狭山を誇りに想うこと・チャレンジしたいこと~
狭山にある会社アダムジャパンは、私にとってシビックプライドです。市民大学の前身狭山元気大学の時、平成25年「協働サポーター学科ビリヤード指導者養成コース」を受講して、元気プラザを拠点とする「さやまビリヤード愛好会」を発足させました。世界のトッププレイヤーが、素人のビリヤード教室に来て、妙技を披露し、指導してくれています。アダムジャパンの支援があるからできることです。この結びつきができた市民大学も、狭山の魅力です。愛好会で開催する「障害者のある人もない人も楽しめるビリヤード教室」や子ども向け「ビリヤード教室」では、初心者も楽しんでいます。
チャレンジしたいことは、子どもたちの教室を開催している会場“夢ハウス”を、シアーハウス方式(分担活用)にできないかと思案しています。学習指導要綱の精神“地域の人的・物的資源を活用して、学校内に閉じずに、社会と共有・連携すること”を具現化したいのです。
~さやま地域(魅力)学講座を受講して知った狭山~
40年前に狭山に転入しました。最近、終の棲家になりそうなので、狭山について学ぼうと「さやま地域(魅力)学講座」を受講、狭山を知る良い機会となりました。楽しく学ぶことができました。特に、「稲荷山公園北斜面の植生再生」に引かれました。一人でも多くの人に知って欲しいと思い、友達をさっそって4回も現地に行きました。ユリの咲き乱れる景観に、友達もすごく感激してくれました。新聞社や市職員の方と話す機会があり、県営稲荷山公園と市営稲荷山公園のわかりにくさ、カタクリの花やツツジの花のこと、憩いの広場となるような公園にして欲しいこと、を訴えました。入曽地区には、江戸時代から優れた教育者を排出していたことも学びました。歴史は苦手でしたが、近くにある入間神社や野々宮神社にも関心を持つようになりました。是非、訪問したいと思っています。講座を受講して自慢できることが増えました。ほんとうに受講してよかったです!
~狭山は住みやすい街です~
埼玉県の魅力度ランキングは45位(令和5年)でした。埼玉県にはブランド力「魅力」はないのだと思いました。では狭山市は? 工業団地があり産業の集積地ですが、住み続けたい街や誇りがある街、愛着がある街、のいずれでも20位以下でした。狭山市はほんとうに魅力がないのか! 行政には主体的に情報を発信して欲しいと思いました。
私は、現在の居住地(狭山台)は住みやすいと感じています。自然災害がほとんどない、交通の利便性が良い、自然環境が良く、家庭菜園ができている、娯楽施設がないことも好ましいと感じる理由です。私自身が狭山の魅力を高めるためにできることは、選挙への積極的参加、狭山市で起業する会社への応援、信じ得る市民団体の活動への支援、機会をとらえた広報活動、と考えています。市民大学の講座を受講したことは非常に有意義でした。狭山の見方が変わりました。企業の新人教育にも活用できるのではと思いました。
~狭山地域(魅力)学講座の受講は楽しかった~
この講座を楽しく受講できました。狭山はいいところだなと感じています。昨年退職して、狭山市内の迷路のような道を散策するようになり、庚申塔が沢山あることに気が付き、何が書いてあるのかと説明書きを読んで、理解を深めています。この講座では歴史や文化などいろいろな分野にわたっており、先生方の奥深い知識をお聴きし、地域の繋がりを学んだので、散策しながら再確認したいと思っています。一方、仲間と寄居や秩父方面を山歩きして城址を探索するのが一層楽しみになりました。市営稲荷山公園に行ったとき、高齢の方々が急斜面えお昇り降りしてつるを取り除いていました。若い方々の協力を得るのは、どうしたらいいのかと思案しました。
私の名前の意味は「人様を助けて、仲良くする、和やかにする」と、名付けてくれた父親から教えられました。父親から託されたその想いに沿って、生活していきます。お手伝いができることを見つけたいと思っています。
~さやま地域(魅力)学講座を受講してよかった~
講座を受講して、狭山の魅力をいくつも知ることができました。そんな中で、説経節を初めて知りました。三代目若松若太夫の説教は分かり易く身近に感じました。4Hクラブの若い人たちが農業に従事していること、頼もしく感じました。あぐれっしゅ元気村で4Hクラブのロゴ付き野菜を探すことが楽しみになりました。高級なビリヤードキューを製作するアダムジャパンを初めて知り、誇りに感じました。地域に貢献した教育者が、自宅のある北入曽から多数排出していたこと、身近に感じました。地域経済の発展に尽力した清水宗徳翁の人柄を知ることができました。狭山市生まれの建築家鈴木エドワードの室内外の中間領域を大事にしたこと、建物の見方が変わる思いでした。稲荷山公園にある博物館や季節ごとに咲く花々、科学館のプラネタリウムには、時々足を運び楽しんでいます。
お友達に話しできる話題が増えて、私のシビックプライドは少しずつ高まっています。
~狭山の歴史を愛する気持ち~
狭山の歴史に興味を持ち、NPO法人歴史ガイドの会で活動をしています。狭山には、何気ないところに指定文化財があります。東三ツ木の薬師堂には、室町時代の作といわれる薬師如来像と日光・月光菩薩、甲冑で武装した十二神将が安置されています。根岸には、八王子千人同心が日光東照宮の火の番をするために往来した、日光脇往還と呼ばれる道筋があります。宿場跡もありました。笹井には杉並木の街道が残っています。広瀬台には、奈良平安時代の今宿遺跡では、近々、最近の調査に従った復元住宅に建て替えられます。新狭山では、夏に水を掛け合う「夏輝祭り」が行われています。もともとは、奥富の梅宮神社の雨乞いの伝統行事でしたが、新狭山の祭りに進化させています。各地に伝わる伝統的な祭りが、一部の関係者だけの行事になっていることを危惧しています。現代風に進化させる必要があるのではと、いつか提案したいと考えています。
~狭山の民話を聴いて下さい~
民話は口承文芸です。かつて、生活上の様々な出来事や心情、子どもへの躾などを語って伝えました。その語りを書き留めて、民話に昇華させています。童絵作家池原昭治さんは、狭山に根付いた民話(伝説)が300以上?あるのではと語り、地道な採訪で埋もれて行く狭山の民話の命を取り留め、「広報さやま」の裏表紙「さやまの昔ばなし」に発表しています。『狭山市史民俗編』には、圧倒的に狭山の特定の場所やお地蔵さんにまつわる「伝説」が多数収載されています。『狭山の絵本』(狭山市役所発行)は、狭山の民話を学ぶ貴重な資料です。笹井の今坂柳二さんの採録民話、水野のさねとうあきらさんの創作民話もあります。
私の「シビックプライド」は、これら狭山に根付いた沢山の民話(伝説)を、狭山っ子に1つずつ伝えていく活動をしていることです。この活動で、子ども達がふるさと狭山に少しでも愛着を持ち、巣立ってくれると良いなぁと思っています。
~市民大学の種が博物館で咲いていた~
博物館の常設展ガイドツアーに出掛けた際に、説明してくれた人は狭山検定の受験がキッカケとなって、狭山への興味が深まり、ガイドになったと聞きました。狭山検定を始めた団体は、さやま市民大学での修了生団体。市民大学が蒔いた種が、巡り巡って博物館で花を咲かせていました。
ところで、ガイドツアーでは、狭山の会社について学習しました。1社は慈眼寺前の「入間川ゴム株式会社」でした。創業は昭和8年、同39年開催の東京オリンピックでバレーボールの公式球に採用されて有名になりました。現在は、ロケットの防振部材などを製造する技術力の高い会社でした。もう1社は、天保3年(1832)笠幡村(現川越市)で創業した「久星酒造」でした。明治37年に工場を新設した地は、本年「そよら武蔵狭山」が開店しました。敷地北側の「水神碑」は、同43年に発生した関東大水害時に、米俵の土嚢を入間川堤防に積み水の侵入を防いだことを、伝えています。博物館で新たな発見を!
~市民大学とともに種をまいて10年~
10年前、市民大学「まちづくり担い手養成講座」を受講、「子ども、若者らが、狭山を“ふるさと”と想う街にするには!」とのテーマで話し合い、仲間と狭山ふるさと会を結成しました。活動の目的は、『狭山を知り、狭山を経験し、狭山で仲間をつくる』でした。七夕祭りで、子どもたちを対象に「狭山ふるさと○×クイズ」を開催。さやま市民大学「狭山地域ふるさと学」講座では、シビックプライド満載の講義録「語り継ぎたい狭山の魅力」を出版。飯能信用金庫の助成を受けて「狭山ふるさとガイドブック」を出版、図書館や小・中・高・大学校などに寄贈。市立博物館と共催して「狭山検定」を開始、コロナ禍を乗り越えて、5年目の本年最高位名誉教授が2名誕生。また、博士の1人は、市民交流センターで「狭山の歴史と文化 なんでも相談」の窓口を開設。博物館で活躍する博士は、狭山の歴史と文化の伝道師。次にはどんな種をまこうかな!楽しみです。
出席した修了生と講座リーダー・講座スタッフ(花形直平様のご冥福をお祈りします。合掌)