狭山市ゆかりの文化人(2)
~狭山生まれの建築家・鈴木エドワード~
日 時:10月25日(水)13:30~15:30
講 師:狭山市文化団体連合会 荒川 和子 様
受講生:出席13名(欠席3名)
講師の荒川和子様は、狭山市文化団体連合会の会員で「狭山の文化人を知ろうプロジェクト」を担当、教育面ではPTA会長を務めたり、狭山市教育委員を務めました。子ども子育て心理相談、認定心理カウンセラー等々多方面にて活躍されました。市民大学の受講歴を持ち、狭山の民話語り部養成講座の修了生が立ち上げた「語り部グループななこ会」に所属しています。本テーマの建築家・鈴木エドワードには特段の思い入れがあるそうで、講師の依頼に快く受けて頂き、本日の登壇となりました。
1 主な業績
鈴木エドワードは、建物の内外のつながり(インターフェースの考え方)を大事にしてきました。日本の風土を大切にして、快適な空間を創造しています。
荒川講師は、現地を訪問して写真を撮り、関係者にインタビューした話を披露してくれました。作品などは、鈴木エドワード建築設計事務所HPに詳しく説明されています。
- JR東日本 さいたま新都心駅駅舎
- JR東日本 山形新幹線 赤湯駅駅舎
- JR東日本 秋田新幹線 大曲駅駅舎 など
他にも上野松坂屋、東京駅構内銀の鈴待合広場等々、掲載できない程沢山の建築に携わっていました。
2 経歴・狭山市とのかかわり
(1) 建築家としての経歴
・米国ノートルダム大学卒、ハーバード大学大学院アーバンデザイン建築学修士。
・3人の思想家・建築家との出会いがあり、鈴木エドワードに大きな影響を与えました。特に、バックミンスター・フラーの理論に刺激を受け、ハーバード大学大学院に進みます。そして、バックミンスター・フラー&サダオ/イサム・ノグチ ファウンテン&プラザという事務所に在籍し、生命研究家・建築家としての考え方を学びました。
卒業後は、丹下健三に招かれ、丹下健三都市設計建築研究所に在籍しましたが、1年3か月後に退社、自身の設計事務所を立ち上げました。
☆バックミンスター・フラー:アメリカ合衆国の思想家、建築家。「宇宙船地球号」という概念を唱え、人類と地球の持続可能な調和を提唱し続けた研究家、実務家です。
☆イサム・ノグチ:ロサンジェルス出身の日系アメリカ人。全米で認められた彫刻家、造園家、インテリアデザイナー、舞台芸術家です。
☆丹下健三:国立代々木競技場2つの体育館や広島平和公園、東京都庁等、多くの建築に携わっており、建築界のノーベル賞といわれるプリッカー賞を受賞しています。
(2) 狭山市とのかかわり
・ドイツ国籍の父WILHELM HOERDT (1901~1973)と母鈴木政子(1920~1994)の長男(2人の姉がいる)として、1947年(昭和22年)、 狭山市入間川(稲荷山)で生まれました。
・稲荷山の自然の中で育った幼少の頃に描かれた絵が沢山あり、団子屋、獅子舞、海賊、富士山、ドロボー等、風景や人物の他にユーモラスなマンガが残されています。後に建築家になる素地がありました。
・稲荷山にはドイツ人のコミュニティがあり、その中での暮らしはエドワードにとって大変楽しかったようです。
・両親はアメリカ車のディーラーやガレージを営んでおり、自動車の絵もありました。ちなみに、お母様は女性が運転免許を取得した日本で2番目の方とのことでした。
・お母様と訪問した都内の高級住宅街の建物に出会ったことが、建築家への道につながったようです。
・8才になると、セントメリーインターナショナルスクールへ入学して寄宿舎生活を送っています。週末に池袋線で稲荷山に戻って来るという生活でしたが、渋谷で過ごした学校生活は顔や目の色はもちろん国籍に関係なく皆平等で、天国のようだったと話していたそうです。
・その後、フォード・フルブライト奨学生としてアメリカに留学、建築家への道を深めていきました。
(3) 入間川小学校について
・鈴木エドワードは、入間川小学校に2年生まで通学しました。
・入間川小学校は、平成8年(1996)狭山駅西口開発に機に、現在の入間川沿いの地に移転することになり、平成9年、狭山市立入間川小学校建設計画、平成12年竣工しました。
・鈴木氏が、入間川小学校の建設に正式に参画した契約の記録は存在しませんが、平成7年(1995)当時の町田潤一狭山市長と会談しています。また、講師は鈴木氏本人から「少し関係した」との言葉を聞いているそうですので、何らかの関与があったのではないかと推察されます。
・入間川小学校は「太陽・風・水」をテーマとする自然エネルギーなどを生かした環境教育に力を入れています。さいたま新都心駅のテーマ「光と風と空気」に通じるものがあり、校舎内部の教室と廊下には壁がなく、鈴木エドワードのインターフェースの考えが具現化されているようにも思われます。
3 多彩な取り組み
① 物理学にも造詣が深く、東京理科大やIBMと組んで、スーパーダイヤモンド(密度が2倍になると固さが2倍になる)の予測を立て、量子力学的に裏付けています。
② 2013年に出版した著書「神のデザイン哲学 GOoD DESIN」では、エネルギー消費を最小限に抑えつつ最大限の効果を得るデザインを追求すること、を提唱しました。
③ スポーツにも取り組んでいます。バスケットを愛し、体をブラシュアップするために、38才からトライアスロンを始めました。
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子どもの時のスケッチ画は、本格的なデッサン画になり、墨絵へと進化しました。チャリティで売れる程の作品を描いていましたが、お気に入りの猫の墨絵を後で買い戻した、というエピソードもありました。
- 産業界やマスコミ界との幅広い交友関係から、自動車やファションのCMモデルとして登場したこともありました。
4 最後の作品
鈴木エドワードは、2019年9月15日に脳卒中で亡くなりました。事務所には自身の終の棲家の縮尺モデルが製作されており、これが最後の作品となりました。リアルな終の棲家の完成は2023年3月でした。荒川講師は新居に伺い、奥様とお話をしてきたと、写真を交えて、お話しいただきました。富士山が望める見晴らしの良い山の上にあり、風通しのよい、まさにインターフェースの空間であったそうです。
5 おわりに
鈴木エドワードの奥様は、荒川さんの従妹さんでした。そんな関係もあって、鈴木エドワードについて詳しく調査できたのかと思います。
最後に、奥様から受け取ったメッセージを披露して頂きました。その中に「狭山は、エドワードにとって幸せそのものだった時代の思いにいつも還る地だったんだとあらためて思いました」の一文がありました。
建築家としての鈴木エドワードの業績だけでなく、私人鈴木エドワードの一面を知る講座となりました。
質問タイム
質問:鈴木エドワード建築設計事務所とエドワードの埋葬地の所在地は?
回答:建築設計事務所は、東京都渋谷区神宮前です。エドワードの埋葬地は横浜の外人墓所、ご両親と共に眠っています。
質問:文化人のプロジェクトの市民への広報活動は?
回答:調査した結果は、文団連や狭山市のホームページで公開しています。市民芸術祭の際には、パネル展示と資料の配布をしています。冊子にまとめることは今後の課題ではないかと思います。
受講生感想
・今回勉強するまで鈴木エドワードの名前は全く知りませんでした。2010年までさいたま市(旧大宮)に住んで居り、仕事帰りにある大学の生涯学習の勉強で一年間「さいたま新都心」駅を利用していましたが、全く関心を持ちませんでした。今回勉強したので改めて新都心駅へ行って鈴木エドワードに思いを馳せたいと思いました。講師の荒川さんのご存じのこと、調べて下さった事等、実りある講座でした。夫人が従妹とのことにびっくりしました。
・いくつか訪れた場所もありました。一見クールでスタイリッシュに見えながら、温かく懐かしい印象も同時に受け取った理由が、その土地を大切に光、風、空気、また日本の風土を大切にデザインされたものだからだと知りました。
・とても細かいところまで取材されていて、こんなすごいインタビューをどのようにしたらできるのかとつくづく感心しました。身内だったと聞いて納得しました。是非エドワードさんの功績、意志、世界観を多くの人にお伝えください。たくさんの引き出しのある荒川さんに、また別のテーマでお話していただきたいです。
・鈴木エドワードさんが有能な人だということは良く分かりました。建築家ならば様々な設計を完成させていることは理解できましたが、特に何が優れているのかが少し分かり難かったです(インターフェイスという概念のことなのか?)。荒川講師は建築家ではないのに何故鈴木エドワードをテーマにしたのか……最後に分かりました。
資料提供:「鈴木エドワード建築設計事務所㏋」、「高橋百合子氏」