福沢諭吉 ~ 独立自尊の真のリベラリスト ~
講 師 : 日本ペンクラブ 理事 岳 真也
実施日 : 平成30年10月3日(水)1:30~3:30
場 所 : 狭山元気プラザ 大会議室
出席者 : 受講生 56名(受講生数62名)
本物のリベラリスト、諭吉
故江藤淳先生から「きみは書くな」と言われた岳先生。自分が書くから、貴君は書くな、と……。ところが、その先生が書く前にお亡くなりになった。そうなっては書くしかないな、と書いたのが『福沢諭吉』全三巻だそうです。これは先生の代表作になりました。「江藤先生が亡くなった時はアメリカ取材中で、葬式にも行けなかった」と言う岳先生は、本当に残念そうでした。
ベストセラー『吉良の言い分』も、実は『福翁自伝』からヒントを得ているそうです。寛大さや公平さ、不偏不党、相対的に物を見る福沢諭吉は、本物のリベラリストです。一方的に物を見るのではなく、多方面から物事を考え、「自分はここから見る」というのが、本当のリベラル。誰にでも「言い分」はあります。「きみが義士(赤穂)なら、ぼくは不義士(吉良)の味方になる」と。諭吉は、「信の世界に偽詐多く、疑ひの世界に真理多し」とも言っています。
「日本に二人の天才がいた。古代の空海と近代の福沢諭吉だ」と今日の講義が始まりました。
独立自尊のプライドを持って
福沢諭吉は1834年、中津藩(現大分県中津市)の下級武士、福沢百助の次男として生まれました。大坂で藩の借財を扱う職にあった父が病死した後は、母と中津に戻り、そこで育ちます。子どもの頃から迷信や権威を嫌い、「門閥制度は親の仇」と繰り返し言っています。子どもの頃、御神体を石に変え、それを拝む大人たちを笑って見ていたという逸話もあります。19歳で長崎に遊学しますが、家老の息子との軋轢から、江戸へ向かいます。途中の大坂で兄に引き留められ、緒方洪庵の「適塾」で学ぶことになります。適塾では、最年少22歳で塾頭に選ばれています。塾生時代は大いに遊び、青春を謳歌しました。
1858年、藩命で江戸築地鉄砲洲(現中央区明石町)の藩邸に、小さな蘭学塾を開きました。しかし翌年、開港した横浜を訪れ、英語の必要性を痛感させられました。学んでいたオランダ語がまったく通用しなかったからです。幕府のアメリカ使節団派遣の計画を知った諭吉は、一緒に行くことを希望しました。1860年、木村摂津守喜毅(よしたけ)の従者として咸臨丸(勝海舟が艦長)に乗船、米国へ向かいます。1862年には、遣欧使節団の一員として、フランスやイギリス、オランダ、プロシア、ロシア、ポルトガルを巡りました。1864年には、外国奉行支配調役次席翻訳御用として出仕し、幕臣になりました。1866年、『西洋事情・初編』を出版するとベストセラーになります。
明治維新後は新政府からの出仕をすべて断って「平民」となりました。1868年には蘭学塾を慶應義塾と名付け、教育活動に専念します。その頃私塾は文部省に冷遇され、義塾も危うく潰れ掛かりましたが、「独立自尊」のプライドを持ち、自由主義的教育を守りました。上野で彰義隊と新政府軍が交戦している時も、諭吉は砲声の中、いつも通り講義を続けました。1881年、「明治十四年の政変」が起きると、伊藤博文らによって義塾の出身者が大勢政府から追放されました。塾生は反政府主義者として扱われ、諭吉自身も、後に早稲田大学を作った大隈重信とともに、政争に巻き込まれます。
1882年、諭吉は朝鮮の独立派政治家・金玉均と会い、支援を始めました。しかし、金玉均など開化派のクーデターが、清の介入によって失敗します。すると、諭吉は怒りを込めて、『時事新報』に「アジアのことより欧米に追い付くことを考えるべきだ」と「脱亜論」を書きました。これは、当時の「亜細亜」や「李氏朝鮮」に対するものです。愛弟子・金玉均(李氏朝鮮政府の保守勢力と対立する独立党の闘士)は、騙し討ちの形で暗殺されました。そして、その遺体が広場にさらされる事を知った福沢諭吉は悲嘆し、「悪友とは手を切れ」と憤っています。ただし、福沢は過度な西洋崇拝を嫌っていました。
諭吉は西南戦争の時、「横暴な独裁政権には人民の側に抵抗権がある」と西郷を擁護し、西郷は優秀な生徒を慶應義塾に送り込んでいます。『明治十年 丁丑公論』の中で、西郷の挙兵を認め、人民の権利を強く主張していますが、言論弾圧を考慮して、すぐには公にしませんでした。24年後の1901年、勝海舟や榎本武蔵を批判した『瘠我慢の説』と一緒に出版されました。
1901年、諭吉は脳溢血が再発し、東京三田の自邸で亡くなりました。享年66。彼は人の一生をボウフラに喩えたりしています。人生本来戯れと知りながら、戯れとせず真面目に勤め……。真直ぐなように見えて曲がっている、曲がっているように見えて真直ぐな諭吉。彼の考えは不屈で普遍的です。そこに、福沢なりの「大逆転」があります。今年は明治150年。「福沢諭吉の世界」がより広がってきます。
受講生の感想
受講生からは、「歴史上の人物から歴史を視る機会を与えられたことに感謝します。人物が歴史を作ることを改めて知った思いです」「あれよあれよと岳先生のワールドにはまり、あっという間に最終回となってしまい残念しごくです。参加させていただき、ありがとうございました。また、今後の御発展、影ながら応援しています。『脱原発党宣言 カンカンガクガク対談』を、読ませてもらっています」との感想が寄せられました。
修了証授与式
最後の講座終了後には、修了証と修了記念誌が学長から参加者に手渡されました。
(文:スタッフ権田・高橋 )