坂本龍馬 ~ その実像と最後の日々を追う ~
講 師 : 日本ペンクラブ 理事 岳 真也
実施日 : 平成30年9月5日(水)1:30~3:30
場 所 : 狭山元気プラザ 大会議室
出席者 : 受講生 58名(受講生数62名)
謎残る龍馬の最後
岳先生は8年前に「夕刊フジ」で競馬予想を連載していましたが、あまりに外れるので「龍馬を書け」との厳命が下ったそうです。そういう訳で坂本龍馬を連載することになりました。その他にも、『坂本龍馬最期の日』、『もうひとつの龍馬伝 お龍と十四人の女たち』、『龍馬をめぐる「志」の人間学 幕末維新に学ぶリーダーの生き方』等々……、龍馬について何冊も書いておられます。本人曰く、「書きすぎシンサク(高杉晋作?)」とか。こんなに龍馬について書いている岳先生ですが、龍馬の最後には謎が残ると言って、今回の講義が始まりました。
幕末を駆け抜けた33年の生涯
坂本龍馬は1835(天保6)年、高知城下の土佐藩郷士の家の二男として誕生しました。生家は豪商で非常に裕福な家庭でした。実母を早くに亡くしたため、3歳年上の姉・乙女を母親代わりに育ちました。泣き虫で、大変ないじめられっ子。12、3歳ごろまで夜尿症が治らなかったとか……。それが一変したのが、14歳で開始した日根野道場での剣術修行です。その後江戸に出て北辰一刀流・千葉定吉の門下になります。1854年、江戸遊学を終えた龍馬は土佐に帰り、画家の河田小龍から西洋事情を学び、再び江戸に向かいます。
1858年、剣術修行を終えた龍馬は土佐に戻り、ほどなくして盟友武市半平太の「土佐勤王党」に参加しました。しかし、考えの違いから脱藩し、江戸に向かいます。1862年には、開国論者の勝海舟の屋敷を訪問します。意見の違いから殺してやろうとさえ思っていた(?)龍馬ですが、逆に世界情勢と海軍の必要性を説かれ、海舟の弟子になります。その後「神戸海軍操練所」設立運動に奔走、「海軍塾」の塾頭になります。龍馬は、勝からことのほか可愛がられたようです。
その後池田屋事件や禁門の変などが相次ぎ、幕府から睨まれることになった龍馬たちは薩摩藩の庇護を受けます。1865年、龍馬は西郷隆盛らの後押しを受け、日本で最初の総合商社「亀山社中」を設立、薩摩藩に根強い反感を持っていた長州藩に働き掛け、薩摩と長州両藩の欲していた米と武器の交易をもって、薩長同盟を成立させました。
寺田屋事件で、恋人お龍の機転により危機を脱出した龍馬は、しばらく霧島温泉等で療養します。その後、土佐藩主の山内容堂から脱藩を赦免され、土佐藩の外郭団体的な組織となった亀山社中を「海援隊」と改称しました。1867年6月、四侯会議に出席した山内容堂に呼ばれた後藤兵次郎と京都に向かう船内で龍馬が提示した「船中八策」の1番目には「政権を朝廷に奉還せしめ」が書かれています。同年11月15日、龍馬は京都近江屋の2階で中岡慎太郎とともに暗殺されました。享年33。犯人は京都見廻組か、新選組か、はたまた長州藩か、薩摩藩か……。その「死」には未だ謎が残ります。
さて、坂本龍馬の実像はどうだったのでしょう。幼い頃いじめに合い退塾になってからは、自由な発想で物事を考えたようです。勘の良さや洞察力を持ち合わせた現実主義者でもありました。長州藩と薩摩藩の間を取り持ちながらも自分たちの利益を考える商売人の血も持ち合わせていました。新政府への展望が見えた龍馬が策定した「新政府職制案」の中には自分の名を入れず、「わしは世界の海援隊をやります」と答えたとも……。臨機応変、天真爛漫、大胆不敵、老練姑息のすべてが当てはまる人物だったようです。
また、龍馬は「目が吊り上がり、うっとりさせられるほどいい男ではない」と言われますが、女性関係は大変華やかだったようです。妻のお龍は体を張り、命を懸けて龍馬を守ろうとしています。お龍の他にも、良く面倒を見てくれた姉の乙女、初恋の人である平井加尾、江戸遊学中に師事した千葉定吉の二女佐那、長崎芸妓のお元……、多くの女性の名が伝わっています。
質問タイム
「坂本龍馬をめぐる女たちの中に、寺田屋の女将お登勢は入っていないのですか。また、福井藩の横井小楠との接触はあったのでしょうか」「当時手紙を送るにもかなりのお金が必要だったと思うが、そのお金はどこから出たのか」「坂本の実家は豪商だったとのことだが、大河ドラマでは貧しいことになっている。本当はどうなのか」等の質問が寄せられました。岳先生からは、「龍馬は女性関係が多く、お登勢は良き姉御という感じであったと思われる。龍馬の実家は裕福だったと考えられる。生活は中の上か、上の下位で、お金には困らなかったのではないか」とのお答えがありました。「教科書から坂本龍馬の名前が削られるそうだが、どう考えますか」の問いには「聖徳太子も削られるとの話もある。教科書にあまり書かれると小説家はいらなくなってしまう。坂本龍馬も司馬遼太郎が書かなければ有名にならなかった。それで良いのではないかと思う」と、いかにも先生らしいお返事でした。
受講生の感想
受講生からは、「歴史観を大切にする人が知る坂本龍馬です。その死は謎です。死の残像は『世の中に惜しまるるとき 散りてこそ 花も花なれ いろいろありけれ』かな」「龍馬はなぜ暗殺されなければならなかったのか明確に分からないのですが、先生のお話から人間はかくも分からないことが多いまま生き進まざるを得ないのかと思いました。吉良上野介についで興味が広がり、面白く拝聴しました」との感想が寄せられました。
(文:スタッフ権田・高橋 )