第3回 史跡・文化財めぐり「峰・田中地区」
実施日:平成29年6月1日(木) 8時30分集合~12時20分現地解散
天 候:曇 25度 風なし 曇空が続き、猛暑は避けられました。
地 区:峰・田中地区 コース距離 約4.5㎞、天岑寺解散。天岑寺から新狭山駅まで約1.5㎞、グランド入口(狭山台)バス停まで約0.7㎞。
コース:狭山市駅東口…市場の荒神さま…峰の愛宕神社と蚕影神社…西峰霊園…岩船地蔵堂…亀に乗る石碑と石経塔…田中のカンカン地蔵…田中の稲荷神社…清水濱臣の墓…狭山ケーブルテレビ(休憩)…天岑寺(現地解散)。
参加者:髙橋先生 受講生33名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会8名 総勢48名
■市場の荒神(こうじん)さま
祇園にある「市場の荒神さま」は、正式な名称を三柱(みはしら)神社といい、市場(入間川2丁目)の大野家が所有する神社です。
■峰の愛宕(あたご)神社と蚕影(こかげ)神社
二つの拝殿が建っていますが、向かって右にあるのが愛宕神社で左にあるのは蚕影神社です。
■西峰霊園の念仏供養塔
西峰霊園は廃寺となった大日堂があった場所で、大日堂の創建などについては資料がなく不明です。入口の左側にある念仏供養塔は文政7年(1824)4月の造立で、浮き彫立像の聖観世音菩薩が刻まれています。
■岩船地蔵堂と薬師堂
岩船地蔵堂の創建などについては資料がなく不明ですが、地蔵堂の中に享保4年(1719)9月に建てられた丸彫立像の岩船地蔵が安置されています。
薬師堂の創建などは不明です。昭和40年(1965)初めまで東峰霊園東側に薬師如来を祀った建物があり、地域住民の集会所として使用されていました。
■亀に乗る石碑
この石碑は、亀の台座に乗った「前総持指月和尚 行業記碑(ぜんそうじしげつおしょう こうぎょうきひ)」といいます。
この石碑には江戸時代に当地で生まれた指月和尚が11歳で仏門に入り、明和6年(1769)12月に75歳で亡くなるまでの、業績や人生訓が石碑の4面にわたり約2,300字で刻まれています。
■田中の共同墓地のカンカン地蔵
この墓地の奥に数体の地蔵菩薩が並んでいますが、俗に「カンカン地蔵」と呼ばれています。
この地蔵菩薩が頭や顔をはじめ、いたるところ穴ぼこだらけの痛ましい姿になったのは、小石で叩きながら病の治るのを祈ったためです。小石でたたく音が「カンカン」と響きわたったため、「カンカン地蔵」と呼ばれるようになりました。
■田中の稲荷神社
当神社が田中の稲荷神社と呼ばれ、創建の年代や由緒などは不明ですが、峰の愛宕神社と同様に小笠原家が奉納したものと思われます。
神社の裏に小高い塚があります。その頂上に「富士浅間」と刻まれた石碑がたっていますが、これは富士塚で地域の富士講が江戸時代に建てたものです。
■清水濱臣(しみずはまおみ)の墓
向かって左から3基目の墓石が、清水濱臣の墓で狭山市指定文化財・史跡として昭和48年(1973)3月1日に指定されました。
指定の理由は、江戸時代後期の高名な国学者・歌人の墓であること、父親が狭山の田中村の出身で、江戸移住前は当地で医者を業(なりわい)としていたことによります。
■天岑(てんしん)寺
当寺は大龍山天岑寺といい、宗派は曹洞宗で、俗に沢の天岑寺と呼ばれています。
文禄3年(1594)11月に天海盛呑(てんかいせいどん)により開山され、開基は江戸幕府旗本で当地を知行していた小笠原安勝です。
・天岑寺の惣門(そうもん)
この惣門(そうもん)は昭和48年(1973)3月1日に狭山市指定文化財・建造物に指定されました。惣門とは外構えの大きな門のことで、特に禅寺の表門をいいます。
・天岑寺の旗本小笠原家墓所
この墓所は平成18年(2006)12月1日に狭山市指定文化財・史跡として指定されました。
小笠原家は天正18年(1590)の徳川家康関東入国に従って、三河国幡豆(はず)郡(愛知県東部)から武蔵国入間郡に来たものです。
墓所には、12代にわたる当主やその妻、兄弟、子供などの墓石があり、初代の父と初代の2基の墓石を中心に整然と「コ」の字型に並んでいます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
峰・田中地区を巡って思うこと
機関誌・広報担当 第1班 永井修二
「狭山の歴史講座」史跡・文化財めぐりは、柏原地区、入曽地区に続き、今回は峰・田中地区でした。講師、スタッフ及び受講生で48名の大編隊です。狭山歴史ガイドの会の皆さんの上手な説明にはいつも感心しています。
〇養蚕で栄えた狭山の昔を想う!
祇園の「市場の荒神(こうじん)さま」は、江戸時代後期から地元の養蚕農家の間で蚕の守り神として信仰されていたとのこと。これらの零細な副業としての養蚕は、明治時代の政治家・清水宗徳が殖産振興に活用し、更に、石川幾太郎・石川組製糸が殖産産業として日本の近代化に貢献した歴史があるのだと納得しました。
〇神頼みの健康祈願!
頭や顔など、全身が穴凹だらけで哀れな姿の「田中のカンカン地蔵」。これは躰に病がある場所を小石でたたき快復を願ったことからこのようになったとのこと。我々メンバーも年相応に躰のあちこちに患いが生じていることからか、真剣に小石で叩いている姿が印象的でした。
〇「不許葷酒入山門」とは!
天岑寺は禅宗の寺院。入口(惣門)付近に「不許葷酒入山門」と書いた石柱がある。
これは“葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず”と読みます。因みに、葷酒(にんにく、にら、ねぎ等の匂いの強い野菜、酒)は、心を静め清めるための修行に差しさわりがあるので、 寺の中に持ってはいることができない、ということのようです。滋養強壮、健康のためにとこれらを沢山頂いた翌日は修行には適さないようです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~