第8回 「石川組製糸と石川家の人々」
日程: 9月12日(月)
講師: 石川家の人々を読む会 会長 染井佳夫 様
会場: 狭山元気プラザ 大会議室
受講生: 出席25名、欠席2名
Ⅰ.石川幾太郎と石川組製糸 ―創業から事業拡大―
Ⅱ.石川和助や他の兄弟姉妹
Ⅲ.迎賓館だった入間市西洋館の見学
小中学校校長や入間市文化財保護審議委員会委員の経歴を持つ染井佳夫様に、石川家が入間地域で創業した製糸業などの事業や、石川家一族の文化活動についてお話し頂きました。
石川製糸を創業した石川幾太郎氏は、安政2年(1855)に生まれ、28歳の時、茶業を始めますが、すぐに不振になり苦労したようです。その後、明治26年(1893)に石川組を起こして座繰り製糸をはじめ、明治27年に機械製糸に転換しています。狭山の清水崇徳(1843~1909)は1877年に暢業社を設立しているので、この時期は重なっています。
石川組は、事業を拡大して、豊岡、入間川、川越、福島、伊勢、福岡にも工場を持っていました。大正12年時の全国製糸家番付によると6位ですが、関東大震災などの影響を受けて縮小していきます。
幾太郎(長男)の弟和助(三男)は牧師となって石川家の家憲・家訓を主導し、龍蔵(四男)は石川組製糸の渉外・戦略担当となり、妹つめ(次女)は女工の総監督として、弟仁平(五男)は川越工場の工場長として、石川家を盛り立てています。
ところで、歴史的建造物として入間市に寄贈された石川組製糸迎賓館(大正12年完成)は、時に一般公開されていますが、今回はさやま市民大学のために会場の提供と見学をさせて頂きました。終戦の一時期駐留軍に接収されたために、不釣り合いな状況も見受けられましたが、入間市の不断の管理で往時を偲ばせる雰囲気が醸し出していました。この雰囲気がマスコミに好まれ、テレビ番組のロケや雑誌のグラビアを飾ることも多く、入間市のPRになっているということでした。
また、打木村治著「大地の園」を手掛かりに、「石川製糸」をNHKの朝ドラに登場させようと運動を続けています。
本講座は、隣接する入間市で地域の活性化に熱い想いを抱いている染井佳夫様と入間博物館の大久保卓様に「石川家」の功績を紹介頂いた貴重な時間でした。