夏休み特別講座
日程: 8月8日(月)
会場: 狭山元気プラザ 大会議室
参加: 31名(自由参加)
酷暑の続く8月8日、二人の講師による夏休み講座を開催しました。お二人の講師の方は、SSCCの講座で勉強した後、テーマを見つけて独自の研究を重ねてきました。その成果を、自由参加型の夏休み講座の場で、語って頂きました。
1.狭山市とその周辺の青石塔婆(講師:花形直平様)
青石塔婆とは、秩父地方で産出される青石(緑泥石片岩)を素材としてつくられた板婆(塔婆)のことです。鎌倉時代から戦国時代までの期間に造立されていることから、不安定な社会情勢の中にあって、社会の平安や極楽浄土への強い祈願の念があったのでないでしょうか。塔婆の調査から、ご先祖など死者の追善供養や自身が生前における平安を願う逆修供養を目的としていると、分析されています。
狭山市内の青石塔婆は、422塔(平成8年現在)ありましたが、年々破損や破棄が進んでいる点を危惧されていました。しかし、「七曲井」発掘時に見つけた青石塔婆は狭山市博物館に展示されているので、往時を偲ぶことはできます。
花形さんは、暑い時も寒い時も、市内を自転車で巡り、現地で資料を見て集め確認し、冊子にまとめられました。この貴重な資料であり文献は図書館で閲覧できます。
今後は、ソフト面で、青石塔婆に関わる人々の物語を発掘されることを期待して、講義は修了しました。
2.狭山の旗本・小笠原家ものがたり(講師:佐藤芳子様)
旗本・小笠原家代々の墓が天岑寺にあります。初代小笠原安勝は、江戸に領地替えとなった徳川家康に同行し、狭山市沢・田中・峰地区450石を知行地としました。安勝は江戸に居を構えていますが、父親を弔うために沢に天岑寺を建立したのです。天岑寺には第11代廣道までの墓はあるのですが、以後の子孫の行方が分からず、佐藤芳子さん等の追跡調査が始まりました。そして、幕末・明治維新の時代、12代、13代は静岡県の牧野原で開墾に従事していたこと、14代は東京に戻っていたこと、15代は女性で結婚のために小笠原家を廃家したこと、そのご子息が横浜に居住していること突き止めています。
その土地ごとに郷土を研究している人がおられ、交流することで新たな発見があると、そのときの佐藤さんのワクワク感が伝わってきました。
ところで、300年間領主であった小笠原家と村民の関係はいかがであったのか、悪い話は古文書として残るであろうが、ないということは恙なく統治されていたのか? 今後、更なる調査が望まれます。