第3回 史跡・文化財めぐり「入間川地区」
実施日:令和5年6月22日(木) 8時20分集合~12時30分現地解散
天 候:曇りのち雨 22度 梅雨の気候が戻り、行程の途中から雨脚も徐々に強くなりました。
地 区:入間川地区 コース距離 約4.5㎞
コース:狭山市駅西口広場集合…綿貫家墓地…福徳院…徳林寺…市民交流センター(休憩)…八幡神社…清水八幡…諏訪神社…慈眼寺…現地解散
参加者:髙橋先生 受講生20名 スタッフ6名 狭山歴史ガイドの会4名 総勢31名
◇今回訪れた「入間川地区」の特徴
入間川を臨む当地区は中世における軍事上の重要拠点であり、古道・鎌倉街道が通り、入間川宿が繁栄した地域です。歴史上に名を遺す武将たちと所縁のある神社や仏閣とともに、この地に伝わるユニークな“なすとっかえの祭事”や、表記に謂れのある“八幡神社鹿子舞”にも出会えます。
今回はその中で、鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞と所縁があり本殿の彫刻が素晴らしい「八幡神社」と、狭山市内でも珍しい石仏2点「丸彫馬頭観音坐像」「五智如来」をご紹介します。
ϴϴ ご紹介スポット① 八幡神社 所在地:狭山市入間川3丁目6-14
・毎年初詣で賑わう八幡神社は、旧入間川村の総鎮守で過去に「新田の八幡宮」と称されたことがあります。創建は数度の火災により古記録を失い不明です。祭神は応神天皇で天照大神と春日大神を合祀しています。
・本殿は昭和48年(1973)に狭山市指定文化財・建造物に指定されました。唐破風向拝付・千鳥破風付入母屋造りの建物は、享和2年(1802)に完成したものです。正面を除く3面の壁面には、市内屈指といわれる浮き彫りと透かし彫りの2つの技法を巧みに使い分けた彫刻が施されています。
・本殿の横にある今は枯れて根だけが残る古木は、新田義貞が鎌倉を攻める途次に戦勝祈願のために当神社を訪れ、その時、愛馬を繋いだといわれる「新田義貞駒つなぎの松」です。
・この神社に奉納される獅子舞は、毎年敬老の日直前の土・日曜の両日に行われ「八幡神社鹿子舞(ししまい)」と呼ばれています。来年の儀式の日を約束する「各盞(かくさん)の儀」が伝承されているこの鹿子舞は、昭和46年(1971)に狭山市指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。
ϴϴ ご紹介スポット② 入間川地区の石仏2点
★ 丸彫馬頭観音坐像 所在地:狭山市入間川2丁目2付近 (福徳院参道)
福徳院の参道左側に、像高71㎝、台座高41㎝の三面八臂の丸彫馬頭観音坐像があります。丸彫の馬頭観音は珍しいものです。寛保元年(1741)に入間川惣村中により、現当二世安楽を願って建てられたものです。馬頭観音は畜生道に堕ちた人々を救う仏様といわれています。また江戸時代には、馬が交通運輸や農耕作業の中心であったことから、馬の守護仏として信仰されるようになりました。
★ 五智如来 所在地:狭山市入間川2丁目3-11 (徳林寺墓地内)
徳林寺墓地入口付近に5基の丸彫の石仏があります。真中の地蔵菩薩を除き、左から釈迦如来、阿閦如来、薬師如来、阿弥陀如来が並んでいます。本来なら真中にあるべき大日如来は、墓地中央付近の東屋の左隣にある板碑の中にあります。像高は120~150㎝、蓮華座が20~30㎝で等身大に近い大きなものです。宝永6年(1709)に徳林寺第5世法山格雲により、密教の教えである五つの智慧を5体の如来に当てはめた「五智如来」として建てられたものと思われます。
◇おわりに
今回は雨の中、鎌倉時代・南北朝時代に足跡を残す新田義貞や足利基氏と所縁のある八幡神社や徳林寺などを見学いたしました。狭山市の中心地である当地域の中で悠久の歴史を刻むスポットに立ち、新たな発見と驚きを感じました。遠い昔に入間川を臨む軍事上の要衝であったこの地一帯において、武家同士が覇権をかけ相まみえる光景が瞼に浮かんでくるようです…。
◇ 第3回「史跡・文化財めぐり(校外学習)」に参加して ◇
令和5年度「狭山の歴史講座」受講生
機関誌・広報担当 3班 一橋 良博
第3回史跡・文化財めぐり「入間川地区」に参加しました。今回は、狭山市駅西口広場→綿貫家墓地→福徳院→徳林寺→八幡神社→清水八幡→諏訪神社→慈眼寺をめぐるコースです。
狭山市駅のすぐそばにこんなに多くの史跡・文化財があることにまず驚きました。さらに、髙橋先生や狭山歴史ガイドの会の方々ならびに徳林寺のご住職からのお話を伺っていると、入間川地区はいろいろな歴史がギュッと詰まっている地域であることがわかりました。
今回は徳林寺についての感想を報告します。ここは新田義貞(1333年に上州で挙兵後、鎌倉へと攻め上がり、最後は約150年間続いた鎌倉幕府を滅亡させた武将)が、小手指原での幕府軍との戦いの際に「本陣」を置いた場所とのことです。鎌倉幕府滅亡の歴史が入間川地区の歴史とつながっていることに大変興味を持ちました。当時、新田義貞がどんな気持ちで入間川を眺めていたのか、また自分が新田義貞ならどうしただろうかなどと想像してしまいました。
徳林寺ではご住職のお話が印象に残りました。狭山市指定文化財である仏画で絹本着色(絹地に彩色を施したもの)の「釈迦涅槃図」「釈迦八相図」の解説や徳林寺の歴史の他に、狭山市の地形の話、入間川地区が宿場町として栄えた話、鎌倉街道はかつて府中街道と呼ばれていた話など、話題が多岐にわたり、あっという間に予定時間となってしまいました。今後、別の機会にお話を伺うことができればと思いました。
(文責:機関誌・広報担当スタッフ 青山 泰夫)