第2回 史跡・文化財めぐり「入曽地区」
実施日:令和5年6月1日(木) 8時20分集合~12時20分現地解散
天 候: 晴れ25度 台風の影響で雨天が予想されましたが校外学習日和となりました。
地 区:入曽地区 コース距離 約4.5㎞
順 路:入曽地区は道路が狭く全員合同での行動が難しいため、入曽駅東口広場集合後に、A班が順路コース、B班が逆コースを辿りました。
コース:入曽市駅東口広場集合・A班順路コース…水野の庚申塔…金剛院…入曽用水…下水野の地蔵尊…常泉寺と井戸神さま…野々宮神社(休憩)…七曲井と観音堂…入間野神社…金剛院中央霊園の夢地蔵さん(現地解散)
参加者:髙橋先生 受講生18名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会6名 総勢31名
◇今回訪れた「入曽地区」の特徴
入曽地区は武蔵野台地の北端に位置し、古代から飲料水の確保が難しい不毛の大地でした。そのため入曽用水や水神、井戸跡など水に因んだ史跡・文化財が多くあります。また、化け地蔵や夢地蔵など“謂れ”のある石仏にも出会うことができます。今回はこの地域と関りの深い、古代井戸の遺構「七曲井」と石仏2点「水野の化け地蔵」「井戸神さま」をご紹介します。
ϴϴ ご紹介スポット① 「七曲井」と観音堂 所在地:狭山市北入曽1366
この七曲井は、昭和24年(1949)に埼玉県指定文化財・史跡に指定されました。すり鉢状の井戸は、武蔵野台地にある古代の井戸で堀兼の井の遺構として価値が高いものです。かつてこの地は字掘難井と呼ばれ、この井戸の状況をよく言い表しています。遅くとも9世紀後半から10世紀前半に掘られたと思われるこの井戸は、昭和45年(1970)に実施された発掘調査により復元されました。井戸の周囲は70m余り、上縁部の直径が18m~26m、底部直径は5m、深さが11.5mあります。
七曲井の横に建つ常泉寺観音堂の創建は、常泉寺の「当山沿革史考」によると建仁2年(1202)と伝えられています。常泉寺は蔵王山観音院常泉寺といい、宗派は真言宗智山派で、本尊は木造釈迦如来坐像です。以前はこの観音堂と同じ地にありましたが、元禄2年(1689)に観音堂だけを残し現在地(狭山市北入曽315)へ移転しました。
ϴϴ ご紹介スポット② 入曽地区の石仏2点
★ 下水野の地蔵尊(水野の化け地蔵) 所在地:狭山市水野175 下水野児童公園付近
この地蔵尊は、水野村の無事安寧と永続を願って、村の開発に携わった人々により貞享2年(1685)に造立されたもので、平成25年(2013)に市指定文化財・史跡として指定されました。通称「水野の化け地蔵」と呼ばれています。それは昔この周辺は、欅や竹が鬱蒼と茂るとても寂しい場所で、夜中に通るとそこにポツンと立つ姿がお化けに見えたからだそうです。
★ 井戸神さま 所在地:狭山市北入曽315(常泉寺境内付近)
常泉寺を出た左側の一角に、安政7年(1860)に建てられた「水天」と刻まれた高さ32㎝、幅30㎝の楕円形の小さな自然石があります。水天は水を支配する神で水神とも言います。この石仏の左下の銘文には「井戸組中」とあり、一つの井戸を共同使用している家々が「井戸神さま」として祀ったことが分かります。ここから南入曽にかけては水神が2基、井戸神さまとして祀られています。
◇おわりに
本日は第2回目の校外学習「入曽地区」約4.5㎞のコースをめぐりました。今回はこの地区の風土を表す、水に纏わる入曽用水や水神、七曲井の遺構などに出会うコースでした。また、化け地蔵や夢地蔵など興味深い石仏や民話にも触れることができました。改めてそれぞれの地域にそれぞれの暮らしに根差した長い歴史があることを感じられたのではないでしょうか。
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◇ 第2回「史跡・文化財めぐり(校外学習)」に参加して ◇
令和5年度「狭山の歴史講座」受講生
機関誌・広報担当 2班 荒川 和子
第2回史跡・文化財めぐり「入曽地区」に参加しました。金剛院中央霊園に佇む「夢地蔵さん」昭和のお話ですが夢のある入曽の伝説から始まりました。県道50号の歩道を進み、入曽の獅子舞が奉納される入間野神社へ。不老川を渡り、七曲井。脇には水神宮。昔日の水事情が偲ばれます。傍の観音堂では今回ご本尊の木造聖観世音菩薩坐像(狭山市指定文化財)を拝観させて頂きました。普段目にすることが出来ない文化財に触れる機会を得られることも髙橋先生の歴史講座の醍醐味の一つです。
道を渡って入曽囃子の野々宮神社へ。入間野神社同様、創建は古く、当日は拝殿にお詣りする地元の方々の姿が見られ、歴史ある入曽の人々の日常の景色にも出会いました。
今回最も印象に残ったことの一つは、入曽が水利に苦しんだ土地であるという点でした。関東ローム層の下は厚い礫層が堆積し、15~25mも掘らないと水が出ないと。七曲井の他、多くの井戸が掘られ、井戸を守る水天さまが祀られていました。10軒程の家が協力して掘った1つの井戸を長年守り続けた共同体「講」は、今も続いているそうで、そのことが文化財たる要因となっているのだそうです。水不足を解消するために開削した川、入曽用水=小川(こかわ)。水野村への分水に至る苦労。入曽、水野が今の姿に発展するまでの人々の水利の苦労の歴史を知りました。
今回も髙橋先生はじめ歴史ガイドの会の皆さまのご丁寧な説明に感謝申し上げます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (文責:機関誌・広報担当スタッフ 青山 泰夫)