第5回 史跡・文化財めぐり「奥富地区」
実施日:2023年10月5日(木) 8時20分集合~12時30分現地解散
天 候:曇りのち晴れ 26度 風なし 秋の気配が漂い校外学習に適した気候になりました。
地 区:奥富地区 コース距離 約6㎞
コース:新狭山駅北口広場・・・大山道の道しるべ・・・芝坂のイボ神さま・・・広福寺・・・奥富公民館(休憩)・・・梅宮神社・・・瑞光寺・・・西方の薬師堂・・・生越道道標(現地解散)・・・新狭山駅
参加者:髙橋先生 受講生20名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会5名 総勢32名
◇今回訪れた「奥富地区」の特徴
当地区は、慶安3年(1650)に川越城主松平信綱が、稲の大豊作によりいち早く年貢米が完納されたことを喜び「奥留」を『奥富』に改名したといわれる地域で、今も美しい水田風景が残っています。また、江戸幕府第3代将軍徳川家光が鷹狩りの際に休息したお寺や、珍しい運営形態を継承する「甘酒祭り」、目的が異なる二つの道標など見所がいっぱいです。今回はその中で、この地域の歴史を彩る「広福寺」と石仏2点「芝坂のイボ神さま」「西方の石仏群」をご紹介します。
ϴϴ ご紹介スポット① 広福寺 所在地:狭山市下奥富844
・当寺は薬王山地蔵院広福寺といい、川越にある仙波中院(せんばなかいん)の末寺で宗派は天台宗です。本尊は木造薬師如来坐像です。草創については、過去帳に「永正甲戌(1514)仏涅槃日、天台沙門実海寂」との記述があることから、永正11年(1514)以前に遡るものと考えられています。
・当寺の山門は、昭和48年(1973)に狭山市指定文化財・建造物として指定されました。この山門は袴腰が美しい漆喰白壁塗りで、その上層に勾欄手摺りをめぐらし、入母屋造りの瓦葺屋根を持つ総檜造りの楼門(二階建てになった門)です。関東では珍しい龍宮造りの建築様式で、屋根の下が鐘楼になっているのも珍しい構造です。建立の時期は文化2年(1805)頃と推察されています。
・当寺の華やかな歴史を感じさせるものに「御詞(おことば)の梅」と呼ばれる紅梅があります。その謂れは、江戸幕府第3代将軍徳川家光が当地で鷹狩りを行った際に当寺に立寄り、井戸水で点てたお茶を飲んだとき、この紅梅のあまりの美しさに感嘆の声をあげられ、「この梅おろそかに致すべからず」との言葉をかけたことから「御詞の梅」と称するようになったといわれています。
ϴϴ ご紹介スポット② 奥富地区の石仏2点
★ 芝坂のイボ神さま 所在地:狭山市下奥富627-2付近
通称「イボ神さま」と呼ばれる浮彫の馬頭観音は、安永8年(1779)にこの付近に住んでいた細田林右衛門により、愛馬の供養仏として建てられたものです。馬頭観音は普通、怒った顔立ちで表現されますが、この三面六臂の石像は大変穏やかな表情をしています。
この馬頭観音が「イボ神さま」として信仰されるようになったのは、身体中にイボが出来て困っていた人が願掛けをしたところ、たちどころにイボが取れたからだと伝えられています。
★ 西方の石仏群 所在地:狭山市下奥富486
西方自治会集会所の裏手には複数の石仏が並んでいます。右から2番目の文字塔は廻国供養塔で、納経巡拝供養塔の一種です。享保3年(1718)に往山円実という僧侶または行者が、66か所の霊場納経廻国供養の大願を成就したのを記念して建てられたものです。その隣に建つ3番目の石仏は、丸彫りで、頬杖をつき膝を立てた半跏趺坐像の如意輪観音で、正徳6年(1716)に建てられたものです。
◇おわりに
今回は、当地区の中で宅地化が進む武蔵野台地と、低地にあり長い稲作の歴史を継承する美しい田園風景が広がるコースをめぐりました。その中で、市内でも広瀬神社と並んで最も古い神社の一つである梅宮神社、白壁塗りの美しい山門が建つ広福寺、民話になった「イボ神さま」、神仏を刻まない道しるべ「生越道道標」など、貴重な史跡・文化財に出会うことができました。改めて地域それぞれの特性に根ざした歴史・文化・風土があることを感じました。
◇ 第5回「史跡・文化財めぐり(校外学習)」に参加して ◇
令和5年度「狭山の歴史講座」受講生
機関誌・広報担当 3班 一橋 良博
第5回史跡・文化財めぐりは、「奥富地区」でした。見学予定の場所を見ると「道しるべ・お寺・石仏・神社」と奥富地区には多様な史跡があることがわかりました。それぞれが当時の奥富の人々の生活の中に欠かせないものであったからこそ、残され、大事に受け継がれて、数百年も経て、今では史跡と呼ばれているのだと感じました。
「大山道の道しるべ」(寛政5年=1793年造立)についての感想です。ガイドの方から、『建てられた当時と同じ形で、同じ場所に建っている』と聞き驚きました。今、ここで、江戸時代の旅人と同じ風景(道しるべ、周囲の山々、二手に分かれて続く道)を約240年の時を超えて、眺めることができました。
この場所は、誰もが歴史の中に入り込める貴重な歴史スポットと言えそうです。
また、「大山道の道しるべ」には、「南無阿弥陀仏」、「武州入間郡下奥留村中」の文字が刻まれています。ガイドの方から、『この世で(生前に)善を施すことが死後の極楽往生につながる』という当時の考え方のもと、旅人たちが迷うことなく目的地へ着けるようにと、下奥留村の村人が協力してこの「道しるべ」を建てたと思われる、との説明を受けました。単なる行先案内ではなく、村人の「善」への思いが込められている「道しるべ」であることがわかりました。
狭山市内にある「道しるべ」のほとんどに、このような信仰上の言葉(「南無阿弥陀仏」他)が刻まれているとのことでした。散歩の際には、足元に注意し、「道しるべ目線」で、刻まれている文字を確認したいと思います。
最後に、当日ご指導、ご説明いただいた髙橋先生、ガイドの皆様に感謝申し上げます。
(文責:機関誌・広報担当スタッフ 青山 泰夫)