第2回 史跡・文化財めぐり「入曽地区」
実施日:平成29年5月18日(木) 8時30分集合~12時20分現地解散
天 候:曇 26度 風なし 曇空が続き5月なのに夏日になりました。終盤に俄か雨がありましたが予定通り終了しました。
地 区:入曽地区 コース距離 約4.5㎞
順 路:入曽地区は道路が狭く全員の行動が難しいため、A班とB班に分け順コース、逆コースをたどりました。
コース:入曽市駅東口広場(集合)B班コース…金剛院中央霊園の夢地蔵さん…入間野神社…七曲井と観音堂…野々宮神社(トイレ休憩)…常泉寺と井戸神さま…下水野の地蔵尊…入曽用水…金剛院…水野の庚申塔(現地解散)
参加者:髙橋先生 受講生34名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会9名 総勢50名
■金剛院中央霊園(墓苑)の夢地蔵さん
この石仏は、全高が158㎝の「夢地蔵さん」と呼ばれている丸彫の地蔵菩薩です。どんな夢でも叶えてくれるというところから名づけられた愛称です。寛政7年(1855)に造立され、昔はここから600mほど西の南入曽にあった金剛院大日堂(現在の狭山モータースクール裏)脇の竹林を背にして入曽用水(こかわ)の傍に立っていました。
■入間野神社
当神社は建久(けんきゅう)2年(1191)の創建と伝えられています。祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)と木花耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。
この神社に伝わる入曽の獅子舞は昭和54年(1979)に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財として指定されました。この獅子舞は、25人で構成される勇壮闊達(ゆうそうかったつ)なもので、埼玉県西部地区を代表する獅子舞です。
■七曲井
この七曲井は昭和24年(1949)2月22日に埼玉県指定文化財・史跡として指定されました。この井戸は武蔵野台地にある古代の井戸で堀兼の井の遺構として価値が高いものです。この井戸の発掘調査は昭和45年(1970)に実施され復元されました。
■観音堂と本尊の木造聖観世音菩薩坐像
当堂についての古記録はなく創建は不明ですが、常泉寺の「当山沿革史考」によると創建は建仁2年(1202)と伝えられています。この菩薩坐像は昭和61年(1986)11月1日に市指定文化財・彫刻として指定されました。安永5年(1776)から文政2年(1819)ころに造られたものと推定されます。
■野々宮神社
当神社の創建は古記録がないため不明ですが、社家の伝承によれば奈良時代の創建と伝えられています。祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)です。
ここの入曽囃子は昭和52年(1977)9月1日に市指定文化財・無形民俗文化財として指定されました。特に7月第3土・日の天王さま(野々宮神社に合祀された八雲神社の祭)には野々宮神社に奉納されます。また、天王さまの神輿巡幸の先触れとしても入曽囃子が奉納されます。
■常泉寺と井戸神さま
当寺は蔵王山観音院常泉寺といい、宗派は真言宗智山派で、本寺は日高市にある聖天院です。創建は不明ですが、天正年間(1573~92)に創建されたと推察されます。
境内には、庚申日待・弁天日待・大黒日待の3つを一つの石塔に刻んだ珍しい日待供養塔があります。この日待供養塔は全高181㎝で、文政3年(1820)に建てられたものです。
「水天」と刻まれた小さな自然石は安政7年(1860)に建てられました。銘文に「井戸組中」とあることから1つの井戸を共同使用する家々が「井戸神さま」として造立されたものです。
■下水野の地蔵尊
この地蔵菩薩は平成25年(2013)2月1日に市指定文化財・史跡として指定されました。通称「水野の化け地蔵」といわれています。貞享(じょうきょう)2年(1685)に造立されました。
■入曽用水
この用水は天正6年(1578)に開削された生活用水です。湧き水を集めて流れる林川を分水したもので、かつて入曽村の人々にとってかけがいのない生活用水でした。当時の人達は親しみをもって入曽用水を「小川(こかわ)」、不老川を「大川(おおかわ)」と呼んでいたそうです。
■金剛院
当院は御嶽山金剛院延命寺といい、宗派は真言宗豊山派で、総本山は奈良県桜井市の長谷寺です。創建年代は不明ですが、室町時代後期と推察されます。本尊は木造不動明王坐像です。本堂に安置されている木造地蔵菩薩立像は昭和61年(1986)2月1日に市指定文化財・彫刻として指定されました。
この風格ある山門は、四脚門(よつあしもん、しきゃくもん)という建築様式で総檜造りの間口は3.6m、奥行3.1mです。天保と明治の火災でも類焼を免れ、当院で最も古い建築物です。
■水野の庚申塔
天明2年(1782)に造立された庚申塔は、正面に6手の青面金剛が足元の二邪鬼(にじゃき)を踏まえ二童子を従え、その下には二羽の鶏が向き合った形で刻まれ、台座には「見まい、聞くまい、話すまい」の三猿が刻まれています。
B班の最後のガイド地点、
5月なのに夏日になり蒸し暑い中、熱心に説明を聞きメモを執る受講生
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忘れられた入曽用水! 昔の村民の苦労を思う
機関誌・広報担当 4班 川野辺 徹
本日は、「狭山の歴史講座」での史跡・文化財めぐり第2回で、「入曽地区の史跡・文化財めぐり」でした。「七曲井」は、旧鎌倉街道沿いにあり、往時は旅人の貴重な水飲み場であったところであったとのこと。この辺りは水が簡単に出ないため「ほりかねの井」と言われたとのことで、このあたりの井戸のことは「枕草子」にも記述があり、有名だったのですね。水野村などの新開拓地では水の確保に苦労したそうです。その人々が隣の入曽村に頼み込みやっと引いた「入曽用水」は、水道の発達した現在は全く利用されず、廃墟になっていましたが、昔の村民の水確保の苦労が感じられました。
そのほか、いくつかのお寺や神社、「庚申塔」を見ましたが、昔の人たちの篤い信仰心を感じました。
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