平成27年10月29日(木)。「狭山の歴史講座」の野外活動として奥富地区の史跡・文化財めぐりが実施されました。
当日は曇り空で、髙橋先生、受講生29名、スッタフ5名、狭山歴史ガイドの会(ガイド説明の支援)6名の総勢41名が参加しました。
新狭山駅北口広場(8時30分)に集合し、各コースをめぐり12時40分に国道16号の生越道道標で現地解散しました。
行程は、新狭山駅北口広場→大山道の道しるべ→芝坂のイボ神さま→廣福寺→奥富公民館(休憩)→梅宮神社→瑞光寺→西方の薬師堂→生越道道標→現地解散。コースの距離は約5.5㎞でした。
■大山道の道しるべ
・この大山道の道しるべの様式は山伏型角柱の文字塔で、正面の銘文から阿弥陀如来の種子(キリーク)、その下に南無阿弥陀仏と名号が彫られているところから、阿弥陀如来を主尊とする石仏型の道しるべです。寛政5年(1793)6月に建てられました。
行先を見ると右側面に飯能、子の権現、左側面に特に大山道と彫りを深く、太く、大きく刻まれているので、大山参りの旅人を意識して建てられたことが分かります。
■芝坂のイボ神さま
・通称「イボ神さま」と呼ばれる浮彫の馬頭観音は、銘文から安永8年(1779)正月に、この付近に住んでいた細田林右衛門(ほそだ りんえもん)により、馬の供養仏として建てられたものです。
多くの馬頭観音は忿怒(ふんぬ)相で怒ったような表情ですが、この三面六臂の像は大変穏やかな表情をしています。
この馬頭観音がイボ神さまとして信仰されるようになったのは、身体中にイボが出来て困っていた人が願掛けをしたところ、たちどころにイボが取れたことからだと伝えられています。
■廣福寺
・当寺は薬王山地蔵院廣福寺といい、川越にある仙波中院(せんばなかいん)の末寺で、宗派は天台宗です。本尊は木造薬師如来坐像です。
創建については正徳4年(1714)に全焼したため古記録のすべてを失いましたが、江戸後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」には「開山尊栄(そんえい)永禄11年(1568)當寺を草創」とあります。
・山門は昭和48年(1973)3月1日に狭山市指定文化財・建造物として指定されました。
袴腰(はかまごし)が美しい漆喰(しっくい)白壁塗りで、袴腰の上層は勾欄(こうらん)手摺りをめぐらした楼門(ろうもん)です。また屋根の下が鐘楼(しょうろう)になっているのも珍しい山門です。
・当寺の歴史を感じさせるものに「御詞(おことば)の梅」と呼ばれる紅梅があります。
いわれは3代将軍家光が当地で鷹狩りを行った際に当寺に立寄り、当寺の井戸水で点(た)てたお茶を飲んだとき、この紅梅のあまりの美しさに感嘆の声をあげられ、「この梅おろそかに致すべからず」との言葉から「御詞の梅」と称するようになったといわれています。
■梅宮神社
・当神社の創建は古く承和(じょうわ)5年(838)といわれ、京都市右京区の桂川沿いに鎮座する梅宮(うめのみや)大社から分祀したものです。広瀬神社と並んで市内で最も古い神社の1つです。かつては奥富のほか三ツ木、沢、田中、峰の総鎮守であったとのことです。
・当神社の甘酒祭りは、毎年厳冬の2月10日・11日の2日間にわたり執り行われます。甘酒祭りは全国的に行われており、珍しいものではありませんが、「頭屋制」という関東地方では他に見られない珍しい運営形態で1200年前の平安の昔よりそのまま継承して挙行されているところから、平成4年(1992)3月11日に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。
・拝殿に掲げられている桃園三傑図(とうえんさんけつず)は、中国の三国時代(3世紀)の初めに蜀(しょく)の英雄劉備玄徳(りゅうびげんとく)と、勇猛な武人として知られる 関羽、張飛の2人が、桃の木の下で義兄弟の盟約を結ぶさまを描いた絵画です。昭和52年(1977)9月1日に狭山市指定文化財・絵画として指定されました。
■瑞光寺
当寺は龍殿山成就院瑞光寺といい、宗派は真言宗智山派で、本寺は坂戸の大智寺です。
創建は不明ですが、大正2年(1913)記した調書「瑞光寺所有物件之覚」の中に、古老のいい伝えによれば創建は平安前期の大同2年(807)といわれているとの記載があります。
本尊の大日如来坐像は、中興開山の俊儀(しゅんぎ)上人が享保(きょうほう)年中(1716~1735)に荒廃した堂宇、山門を修復した折に持参したものといわれています。
■西方の薬師堂
・西方自治会館横の薬師堂の創建年代は不明ですが、慶安元年(1648)に記された広福寺の「御改帳(おんあらためちょう)」によれば「堂地三畝六歩薬師堂高(光)林寺也」とあるので慶安元年以前の創建と思われます。このお堂は広福寺の所有で、通称千日堂とも呼ばれています。
・自治会館裏の右から2番目の石塔が廻国供養塔で、納経巡拝供養塔の一種で文字塔です。
享保3年(1718)10月に往山円実(おうざんえんじつ)という僧侶、または行者(ぎょうじゃ)が、66ヶ所の霊場納経廻国供養の大願が成就したのを記念して、下奥富村村民の助力で建てられたものです。
■生越道道標
・生越道道標は昭和50年(1975)3月1日に狭山市指定文化財・史跡として指定されました。国道16号線に面して建っているこの道標は、神仏を刻まない市内で唯一の独立型道しるべで、建てられたのは寛政2年(1790)です。建てた人は陳人古道とありますが、どのような人物かは古記録がないので不明です。