1.プロダクティブ・エイジングシンポジウム参加報告
納得できる旅立ちのために
―自分で決める生き方、終い方を考える―
主催:国際長寿センター 後援:厚生労働省
6月6日有楽町朝日ホールで開催されたシンポジウム「納得できる旅立ちのために」にいきがい講座(学科)の受講生と修了生が20名以上参加しました。このシンポジウムはいきがい講座の講師の聖路加国際大学 鶴若麻理准教授から紹介されました。
500名の定員に対して1000名を超える応募があり、会場は730名が聴講し熱気に包まれました。シンポジウム開催にあたり多大な協力を頂いたとして、さやま市民大学が配布のプログラムの協力団体一覧に掲載されました。
【人生90年時代、自分らしく生きて老いる。そして納得して旅立つために、今何が必要なのか】さまざまな視点から早稲田大学名誉教授、高齢社会をよくする女性の会代表、医師、看護師、弁護士の専門家とともに考えるシンポジウムは非常に有意義なものでした。
◆自分のいのちは自分の価値観で考える。愛する人のために本当の自分の気持ちを伝えよう。
◆おまかせでなく自分の最後を考えよう、伝えよう、書き残そう。
◆どこで病んでどのような治療を受けるか、そしてどのようにして旅立つか、予備知識を持ちながら自分の老いと最後の時に向き合い、自分で決めていくことが大切である。
◆自分らしく生きるために、家族や医療関係者などと対話を重ねていくことが大切。
◆物事を判断する能力が衰える前に自分の人生で譲れないことを今、決めておくことが重要。
◆最後について語っていない、目を背けてきた、人々と分かち合い、死について考えみんなで共有する、それも生きがいである。(シンポジウム資料より引用)
2.講座風景
3.講座報告
誰でも必ず訪れる死であるが、家族でも避けて語る事の少ない終末医療や延命治療、尊厳死について、生命倫理が専門の聖路加国際大学の鶴若先生が、正面から向きあい、考え話し合うことの大切さを教えてくれました。 《いかに死ぬか⇒それはすなわちいかに生きるかという生きかたについて考えること》
講義1「尊厳ある死と生きがい」
① 生きがいの意味とは=生きているだけの値打ち。生きている幸福・利益(広辞苑)生きがいという言葉は、日本語だけにあるらしい。
② 尊厳とは=尊く厳かな事、気高くおかしがたいこと(広辞苑)「人間の尊厳」というと「人間にとってのふさわしさ」「人間の根本的価値に照らしてのふさわしさ」と考えられる。
③ 尊厳死とは=人間としての尊厳を保って死に至ること(広辞苑)医療の高度化、病院死の増加、クオリティ・オブ・ライフ(生命、人生、生活の質)等により、命の終わりを迎えるまで「いかに生きるか」が考えられるようになる。
④ いかに死ぬか⇒それはすなわちいかに生きるかという生きかたについて考えること。終末期に受けたい医療やケアについて考える。本人の意志と家族とともにある自己決定。
【聖路加国際大学 鶴若麻理先生著作 いきがい講座テキスト「尊厳ある死と生きがい」より引用】
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ひとことカード
ひとことカード全てに鶴若先生(T)のコメントを頂きました。
抜粋して紹介します。
1. 生き物は必ず死を迎えます。完治不能の病気で闘病した身内を看取ったものとして、今日の講義の尊厳死についての中のクオリティ・オブ・ライフが 一番大切と思いました。治療最優先ではなく日々のあり方を大切にして過ごしました。でもその時は、その時の選択が正しかったのか後悔や反省、悲しみは残りました。本人はできるだけ家でと言っていたのでそれは実行できて良かったと思っています。尊厳って難しいです。その時自分はどうしたいのかまだわかりません。
(T):どのような選択をしても、看取る側としてさまざまな思いが残ると思います。ご本人のご希望が叶うようにかかわられたと推察いたします。尊厳は、本人が言語化するのも難しいですので、それを他者が捉えようとするのはさらに困難を伴いますね。
2. 生きがい的には家族が一番です。家族と終末期の事を話しておく必要が本人の尊厳死につながると思う。遺言書を書いておくように、自分の終末医療について書き、また気持ちが変わったら書き改めておくのが自分の意思に沿った死につながるか ~と思いました。
(T):私の今までの調査でも家族とお答えになるかたはとても多かったと思います。自分の最期をみてくれそうな人と、この問題についてともに考えること、それは本当に重要だと思います。
3. この先いつかは身に迫る事なのに、まだまだ先の事と思い先送りしていた自分がいます。自分らしく生きるために元気な時からこの問題を真剣に考えていきたいと思いました。
(T):普通はそうだと思います。皆さんのように活発に活動されている方にとっては、いま考えることと思えない場合も多いと思います。いま、考えなければならないというときが必ずやってくると思いますが、その前から考える機会があるとよいかなと個人的には思っています。
4. 本当に自分が死に直面したとき、延命治療について自己決定が冷静に出来るだろうか?もっと学ばないと答えが見つからない。学んだとしても答えが出るのだろうか。積極的に考える機会になりました。ありがとうございます。
(T):おっしゃるとおりです。このような問題はいくら考えても現実感が伴わない場合がありますし、自分がそのときどんな気持ちなのか、どういう状態なのか、わかりません。冷静とはほど遠い場合もありますね。考えてもこたえがでない場合もあります。しかし、考えたプロセスはその人にとって意味があると思っています。
5. 人生の最後に本人の終末医療を家族や身内がどのようにしてあげたらよいか、先生の話しを聴いて、最大に意思を尊重してあげたら良いと思った。末期の緩和医療の内容を詳しく知りたい。
(T):緩和医療については、日本は大変発達してきています。ただ、最近報告されるのは、地域差があるということです。都市部の大きな病院や緩和医療科があるようなところは、モルヒネなどの薬剤を駆使して、できるだけ人の痛みを緩和できるよう努力しています。昔は、緩和医療というと、末期の方しか対象としていない、つまり状況が悪くなりいよいよ手のうちようがないといった段階で、緩和ケアへという発想でしたが、いまは、添付のHPにもあるように、普通の治療と平行して緩和ケアを行うことが望ましいとWHOはいってます。
6. 今日の授業を受けて、自分は延命治療について書類化して残しておこうと思いますが、その書類に対して家族はいかに受け止めるか?現在は「はい解りました」と言っても、その時が来たら家族として心変わりするのではないか?
(T):心変わりするかもしれませんね。書類化するには、ご家族とともに考えるプロセスをとるとよいのではないかと思います。主治医がいればご相談もできるとよいでしょう。
7. いかに生きるか、自分のライフワークを死までに充実していくか、死をどのように迎えるか考えさせられました。
(T) : いかに生きるかというのは、古代ギリシャの時代から、倫理学の根本問題です。ただ生きればよいのではなく、よく生きる、そのためにはどうしたらよいか。…ですね。
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講義2「高齢期とリビング・ウィル」
1. リビング・ウィル(Living Will)とは
将来自らが判断力を失った事態を想定して、自分に行われる医療行為の意向について、あらかじめ意志表示しておく文書。
① 代理人指示:自分の判断能力が低下、判断できなくなった場合に備えて、代理の意思決定者を指示しておくこと。
② 内容指示:生命維持治療を含む医療行為に留まらず、希望する医療環境、自分の死後に家族に望むことなども含まれる。
●リビングウィルが生まれた背景
① 1975年ニュージャージー州で起きたカレン・クィンラン事件を機に1976年最高歳により「自然死法」が認められる。
② 日本でも裁判の様子や判決が伝えられ「尊厳死」「リビング・ウィル」という表現が使われるようになり、1976年日本尊厳死協会が設立された。
3.我が国の高齢者はリビング・ウィルの考え方には賛同しているが、法制化には消極的で自らの終末期は家族と医師が良い選択をしてくれるという思いが強い。積極的に死や終末期を語る傾向は無いが、それらへの準備については関心がある。
【聖路加国際大学鶴若麻理先生著作 いきがい講座テキスト「尊厳死とリビング・ウィル」より引用】
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ひとことカード
ひとことカード全てに鶴若先生(T)のコメントを頂きました。
抜粋して紹介します。
1. 今まで触れたくないと避けてきたこの課題、これではいけないと感じました。自分の身の回りのことなど元気でいる間に始末しておかないと、つくづく思いました。「リビング・ウイル」についてもあまり真剣に考えていませんでしたが、残された者には必要なことだと、これも元気なうちに残しておきたいと思いました。今まで逃げてきたこと、考える機会をありがとうございました。
(T):「いま、そのとき」があるとおもいますので、あまり無理をせずに。
2. 〝死は今を良く生きる〟には考えさせられました。その最終としてよい死が迎えられることを願っています。今回の講義から学んだことを家族とも話し合っていきます。ただ救急車を呼ぶのは延命を願っていると言われますが、医療者でない一個人としては見捨てることはできず、生死の判断もできず、したがって救急車を呼んでしまいます。
(T):きっとみなさんもよりよく生きる、そういうことをかんがえるために、生きがい講座に参加しているのではないかと推察します。そうですね。医療者はそのように言いますが、私も医療者ではないので、お気持ちがよくわかります。
3. 最近いつも頭にあるのは残される家族のために負担をかけたくないという思いから、自分の身の回りの整理をしなくてはと思っています。施設に入れても良いよと折りに触れ話しています。どうなるのでしょうね……。
(T):ご家族は確かに負担に感じたりするかもしれませんが、人間が1人死ぬということはそれなりに誰かのお世話になり、家族にも迷惑をかけたりするもののように思います。それが人間でしょうか。
4. リビング・ウイルはある程度の治療を受けた後での延命をどうするかだと思います。事が起きたときに救急車を呼ぶことは最初の段階として大事なことだと思うのですが、〝どうして救急車を呼んだ〟の言葉にはとまどいました。
(T):そうですね、私もその言葉を救命救急センターの医療者からきいたときはとてもがっかりしたことを覚えています。彼らは彼らの責務として命を救う最大限の努力をします。そのあとで助けてくれなければよかったのに、、、といわれることもあるようで、それに対してのやり場のない思いかもしれません。ただ、おっしゃるように、適切な治療が行われることが大切です。それがなければ、単なる医療費の削減や生産性がなくなったものは去れといっていることと同じだと思っています。
5. 延命治療に関する考え方大変参考になりました。リビング・ウイルを残しても家族の意向は相いれないことが多く難しいと思われる。
(T):そうですね。みなそうなんですね。自分のこと、家族のこと、立場によって延命治療への考えが異なります。そこらへんが問題を難しくしています。ご家族といろいろなお話し合いができるとよいですね。
6. 現在元気なためリビング・ウイルや終活については極力考えたくない、考えないようにしてきました。今日の講座を受講し考えざるを得ないと思うようになりました。
(T):あまり無理をせずに、「いまそのとき」を感じたら、考えてみてください。
7. 終末期医療を、生前に家族と納得がいくまで話し合って、残された人たちに心の負担を軽減させることがお互いに重要だと思いました。
(T):納得いくまで話し合う、すばらしいことです。それができたらお互いに気持ちが少し楽になるでしょう。
8. 2回にわたって終末期に際しての講義、しっかり引き込まれ考えさせられました。今は健康なので主治医もいないし結びつかないことも多いですが、リビング・ウイルには関心を持ちました。 尊厳死協会の事も調べ、入会しておこうかとも思います。家族にも最小限の負担で自分の終末を迎えられたらと思います。
(T):健やかであること、すばらしいと思います。そういう健康であることを幸せに感じつつ、「いまそのとき」がきたら、ぜひ思いをめぐらしてみてください。入会にはじっくり考えてください。
9. 終末期は自らの意志を、元気な和やかな家族との大切な時間の中で、家族との対話を通して意思決定を伝えたいという決意を、鶴若先生のさりげなく核心に触れて頂いた授業を受講して持てました。延命治療は望まないで今を生き生きと楽しみながら自分磨きをしていきます。本当にありがとうございました。
(T):そのように言っていただけると光栄です、自分磨き、素敵ですね。まさにそういったことがどう生きるかであり、それが最期にもつながっていくと思います。