日中友好に尽力した遠藤三郎
日 時:10月12日(水)13:30~15:30
講 師:NPO法人埼玉県日中友好協会理事長 橋本 清一 様
受講生:出席8名(欠席3名)
橋本さんが遠藤氏を知るきっかけとなったのは、狭山市立博物館だったそうです。20数年前、鵜ノ木に引っ越してきて何気なく入館した博物館の特設会場前で、見慣れた毛沢東の真筆が目に飛び込んできたことからだとか……。中には周恩来始め、中国国家指導者らの書が展示してありました。その会場こそ「遠藤三郎展」。凄い方が地元にいると、彼の著作「日中15年戦争と私」や関連本を読み、日本の近現代史の裏面を知ることになり、目から鱗だったそうです。それにしても、真筆と分かるところがすごい!!
遠藤三郎氏とは…
遠藤氏は1893年、山形県に生まれました。11才の1904年から1984年に亡くなるひと月ほど前まで、80年間毎日詳細に日記を書き続けます。生真面目で卑怯なこと、曲がったことを良しとせず、武士道の手本となるような方だったようです。14歳で仙台陸軍幼年学校に入学後、1945年に軍職を辞するまで、陸軍きっての超エリートとして数々の金鵄勲章や感状を受領しています。駐在武官としてフランスに渡り、メッツ防空学校や仏国陸軍大学校でも学んでいます。国内では政府首脳と歴史の重要なポイントで関わり、青年将校の横断的な会である「桜会」にも当初参加、5・15,2・26事件にも関わっていたようです。軍中枢から戦争の現場までづぶさに体験し、目撃したことを93冊の日記に詳細にわたり記録しました。日記には当時の様子が赤裸々に綴られています。遠藤氏にとって日記は、自分の思考や感情を整理するために無くてはならなかったもののようです。その日記は日本近現代史を直接目撃した貴重な記録となりました。
日中民間外交の先駆けとして
1946年3月には入間川町に移り、開墾を始めます。同年11月には新憲法が発布されますが、9条に関しては自分の考えとまったく同一と捉えていたようです。「平和憲法と国連主義。世界連邦を作り、軍備はここだけが持つ。紛争もここで解決する」。このような考えを持ち、憲法擁護国民連合代表委員になったり、世界連邦建設同盟に参加したりしています。また、日本の国土の形態から軍隊で国土を守るなどナンセンスと考えていました。
1955年の「第1回原水爆禁止世界大会」のおり、中国代表劉寧一団長と対談します。その後中国側から招待を受け、戦後初めて中国を訪れました。その際、現地の人たちが日本に報復しようという考えを持っていないことを知り、共に歩んでいけると確信を持ちました。ここから日中友好活動が始まり、早期に国交を正常化すべきと各地の講演で訴えていきます。以後5回中国各地を訪れ、中国首脳と親しく話ができる親密な関係を築いていきました。5回目の訪中の後には田中元総理に中国首脳との会談の内容をレクチャーし、田中総理の日中国交正常化決意の一助となったと言われているそうです。
遠藤三郎氏の貴重な体験から得た究極の結論は「軍備亡国」です。軍備は必ず拡大し、小さな戦争も必ず大きくなる、新型兵器も必ず実践で使いたくなるものなので、戦争はすべきではないということです。橋本さんが取材で訪れた入間川のご自宅の一角には、「軍備全廃を訴え続けた元陸軍中将三郎茲に眠る」という石碑が立っています。遠藤氏は著書でも「若い方に戦争の真実を知っていただいて、戦争をしてはいけないという思いを共通して持っていただきたい」と語っています。40年間の戦争を実際にくぐって来た人の憲法順守、非戦の言葉は非常に重い……と橋本さんは話を結びました。
質疑応答
「尖閣をめぐる現在の日中の混乱についてアドバイスを」との質問には、「1400年代の冊封体制の時代から中国は尖閣を通って琉球王国との関係を持ってきた。沖縄には今も中国の風習が数多く残る。そういう歴史があるので、日中の主張は平行線になってしまう。尖閣列島はどちらの主権にもせず、日中友好のシンボルの島にしたらどうかと思う。遠藤氏の言っているように、汎ヨーロッパ、汎アジアにした方が良いと思っている。争いをして得るものは無いと思う」と語ります。また、受講生からは「日中の関係の中で遠藤さんがお力を注いだことが良く分かった。また、18才の時に日中国交正常化があり、中国語を学ぶきっかけになった。そこに遠藤さんが関わっていらっしゃったんだなと感慨深く話を聞いた」との感想が聞かれました。
受講生感想
❖ 80年間日記を書き続けた遠藤三郎は立派な方だと思いました。戦後は考えが大きく変わり、平和を愛し日中友好に努力したことに感心しました。五味川純平と澤地久枝が遠藤家を訪れているのにびっくりです。日本と中国は遣隋使の時代から交流していた事実を思い返し、日中の友好関係をずっと続けてほしいと思います。狭山市根岸の明光寺の墓地で遠藤三郎家の墓を見つけました。遠藤家の庭で墓碑も拝見しました。狭山市に遠藤三郎が住んでいたことを多くの市民に知らせ、顕彰してほしいです。
❖ 遠藤三郎先生の思想と信念を十分に知る機会になりました。超軍事エリートのお立場にありながら、軍備亡国論を堂々と展開された先生の意志の強さに驚きました。ロシアのなりふり構わぬ、隣国ウクライナへの侵略戦争という異常な事態が進行しています。遠藤先生が予期していた大国の軍事力の脅威が、現実の姿となってあらわれてしまいました。もしも先生が存命でしたらどのような声を発しているでしょうか?軍備全廃論と平和主義を貫いた先生を排出した狭山市民として、非戦と世界平和へのためにどのようなメッセージや行動がとれるのかを、橋本講師に伺っておきたくなりました。軍事力では勝てない、徳で勝つものは栄えるという素晴らしい教訓が紹介されました。徳を人道支援のネットワークに置き換え、国連を超えた強靭な人道支援と人間・平和主義のきずなをつくり出す以外に勝つ方法はないのでは、といった想いしか浮かびません。平和について考える貴重な機会を提供して頂き、感謝いたします。
❖ 私も中国との関係には関心があります。同じアジアとして連携・協働で世界に向かえるのか?あるいは反日の基盤がある国との関係などそもそも築けるのか?いろいろと考えるベースになる分かり易い講義でした。