入間川七夕まつりと入間川商店街
日 時:6月22日(水)13:30~15:30
講 師:狭山ふるさと会 石川 隆 様
受講生:出席11名(欠席0名)
生まれも育ちも狭山市、おまけに転勤で狭山を離れていた16年間も時々狭山に帰って来ていたので、ほぼ今までの人生は狭山にいたと話す「狭山ふるさと会」の石川隆さん。現役引退後も残しておきたい狭山の風景展、狭山ふるさと会、五行歌会、博物館のガイドツアーと様々な地域活動に関わっていらっしゃいます。6月にも七夕祭りと入間川商店街のガイドツアーを4回したそうです。
七夕まつりの発展と衰退
七夕の始まりは江戸中期。1mほどの竹に五穀豊穣や無病息災を祈った願い事を書いて飾り付けただけの簡素なものでした。それが、明治から大正の入間川駅の発展につれ、大きなまつりになっていきます。明治35年の入間川商工図には、馬車鉄道の軌跡の両側にびっしり並ぶ商店名があり、入間川商店街の隆盛を物語ります。入間川駅は、一時は所沢駅よりも乗降客が多かったといいます。
昭和に入ると、商店街の人々が日ごろの感謝を込めて、夕涼みのために竹飾りを大きくして日陰を作り、縁台を並べてもてなしました。今日の七夕まつりの始まりです。NHKラジオで全国に紹介されたほどでした。昭和8年には、竹久夢二が来所と発表されました。しかし、病弱だった夢二は来ることができず、「夢二会」メンバーが代わりに見学に来たそうです。
昭和19年、20年は戦時下で中止となりましたが、21年には復興し、「日本の夏祭りの代表」としてアメリカにも紹介されました。当時は紙不足で新聞紙を利用していたそうで、石川さんも新聞紙で作った吹き流しを見たことがあるそうです。このころの七夕祭りの様子が、津村節子さんの自伝的小説「星祭りの町」に描かれています。
昭和29年には市制が敷かれ、「入間川七夕まつり」が正式名称に決まりました。31年には新富士見橋開通記念を兼ねて花火大会も開催され、400発の花火が打ち上げられました。その後、花火の数も増えていき、平成16年には2000発になっています。絵画コンクールが開かれたり、ジョンソン基地軍楽隊が特別演奏したりと祭りの内容も、規模もさらに大きくなっていきます。昭和52年には33万5千人が来場したと言われていますが、石川さんによると「少し盛っているのでは……」と。
平成12年には土日開催になり、17年には狭山市制50周年を機に「狭山市入間川七夕まつり」と名称変更されました。平成25年からは狭山市のイメージキャラクター、七夕の妖精「おりぴぃ」が参加しているのはご存じの通りです。
昭和50年以降は来場者数も徐々に減り、令和2年の入間川商工図を見ると、明治、昭和の頃と違い、商店の数が激減しているのが分かります。七夕まつりをやめようかとの声も上がりましたが、一度やめてしまうと再開が難しいことから、「見る七夕」から「参加する七夕」へと形を変えて継続されています。
七夕祭りの内容
入間川の七夕飾りは、業者等に頼らずどれも自前で手作りなのが特徴です。1週間程前になると矢来が組まれ、竿の先端には魔よけの「きりこ(網のようなもの)」が付けられます。飾りは紙でその時々の世相を表現するものが多く作られます。競うため、祭り当日まで隣の家の飾りさえどんなものか分からなかったそうです。
また、花火大会の他、小学生のマーチングパレード、商工会議所青年部の和太鼓、阿波踊り、各種コンクール等、様々な催しも行われます。昔は香具師と言われたバナナのたたき売り、飴細工なども多く見られましたが、昨今は食べるものを売る店がほとんどになって来ました。
参加型の七夕まつりへ
最近では、商工会議所や自治会、福祉施設、教育施設、企業等、いろいろな団体が七夕飾りに参加しています。また、西武文理の学生さんたちによるグリーンボランティアや赤ちゃんのお休み処などの市民ボランティアは800名もの参加があります。小学生のマーチングバンドも2校から4校参加に増え、駅前広場には小中学生の短冊が飾られました。石川さんの所属する狭山ふるさと会でも、「〇×クイズ」を交流センターで行いました。入間川の七夕は外から見る七夕から自分たちで参加する七夕へと姿を変えつつあります。
質疑応答
講義後の質疑応答では、「関東3大七夕祭りの一つが狭山にあるのは大きな観光資源、参加型のまつりも意味がある」という意見の一方、「手作りを強調するにしても市民任せではなく、市としてきちんと経済的な補助をし、若い人を呼び込めるような催しを本気で考えるべきではないか」「狭山の七夕は歴史的意味や特色があるが、若い人を呼び込めていない。目玉となる催しを作っていけないか」との意見も出されました。
受講生感想
❖ 七夕にまつわる狭山独自の民話伝説に裏付けられて七夕祭りが行われ、継承・発展してきていることが確認できた。狭山オリジナルの七夕として継承され、近年になってから、市民参加型への転換を意識して開催されていることに興味をもった。市民祭りの特色を追求し、活かしていくことが今後の発展につながると思う。平塚、茂原に並ぶ3大七夕祭りの座をこれからも維持し続けて欲しい。
❖ 入間川七夕まつりの飾り方の特徴である「やらい飾り」をもっとPRすべきかと思う。竹飾りと違って、迫力もあり絵画等そのものも表現できる。参加型の七夕まつりへの方向性は決して間違っていないと思う。これからは、学校、婦人会、自治会会員など参加者そのもの数を増やすことが必要ではないかと思った。現在の経済情勢を考えると、大掛かりな予算増額は考えにくい。人寄せパンダよりも、知恵と工夫をかさね少額の予算で大勢の人を対象とした「彦星」「織姫」コンテスト等、他所の成功例に一工夫加えることかな!来場者が、また来年も来たくなるような、リーピーターを意識した、継続性のあるイベントを考えてみたい。
❖ 私の出身地日高市では自治会単位のお祭りはありますが、市の夏祭りがないので、江戸時代から続く関東3大七夕まつりと称されるお祭りがあることが羨ましいです。加佐志に仲間の大樹の森という施設がありますので、そちらの入居者様、職員に、芋畑に立てた七夕飾りのお話を知らせようと思います。夏の施設の飾りつけは、やらい飾りを模して行ってみようと思いました!