日程: 12月16日(月)
講師: 狭山市文化団体連合会 前会長 横山千枝子 様
狭山歴史ガイドの会 林光子 様
会場: 狭山元気プラザ 大会議室
受講生: 出席25名
第17回講座授業は令和元年最後となりました。
1.「射留魔のテント山」について歴史背景の学習
林光子様(狭山歴史ガイドの会)より民話「射留魔のテント山」の歴史的背景を学習しました。
1)射留魔?
林光子氏は、歴史書物を念入りに調査したが、狭山地域における「射留魔」の表記は発見できなかったとのことでした。
・『万葉集』(奈良時代、780年頃)には、「伊利麻治(いりまじ)」と表記。
・『和名類聚抄』(平安時代中期、931~938)には、入間(伊留末)と表記。
・『太平記』(鎌倉時代末期~南北朝時代、1318~1368年)には、「入間河」と表記。
・『名所方角抄』(江戸時代、1666年)には、「入間の里」と表記。
・『新編武蔵風土記稿』(江戸時代、1804~1829)には、「武蔵国入間郡入間川村」や「入 間野」と表記。
・『入間川町誌』(昭和30年、1955年)には、伝聞として地名の由来を「射留魔の里」 と記録。
以上のことから、地名「入間」の音読みから生まれた伝説であろうとのことでした。
なお、「伊利麻路の歌碑」は狭山市市役所だけでなく、毛呂山町・坂戸市・日高市・生越生市などにも所在しており、広く武蔵野国入間郡が共有する地名であったと言える。
2)太陽を射る?
太陽を射る伝説は日本各地にあり、また中国をはじめ海外にもあるそうです。ということは、何か共通する誕生秘話があるように感じます。現代の様な灼熱地獄に対する祷りでしょうか?混沌とする社会に強者を登場させて平安の世を祈ったのでしょうか?なぜ、三本足のカラスなんでしょうか?
太陽を射る「射日神話」に対して太陽を招く「招日神話」もあります。人間社会は複雑ですね。なぞがなぞを呼び、歴史に対する興味は深まります。
3)弓矢の名人 橘諸方(タチバナのモロカタ)?
民話中の弓の名人モロカタは、奈良時代の武人で歌人橘宿禰諸兄(たちばなのすくねもろえ)の次男橘諸方(タチバナのモロカタ)ではないかと言われています。橘家は藤原家と並ぶ家柄であり権勢をふるっていました。
橘家については、山城国井堤郷(現京都府綴喜郡井手町)に関連する史跡が多く「橘諸兄公旧跡」の碑もあります。出手町は京都駅から南方約32km離れています。
なお、奥富地区の梅宮神社は、橘家が創始した京都梅宮大社を分祀して創建されました。狭山と橘家は何らかの関係があったということでしょうか。
4)天道山?
民話「射留魔のテント山」によると、秩父の山並みが飯能へのび、仏子山、稲荷山と並び、その先端の山が「テンノウ山」です。のちに「天倒山」あるいは「天道山」、「テント山」と変化したようです。
『新編武蔵風土記稿』によると、「入間川村」の小名の一つとして「天道山」が明記されているとのことでした。
◎民話の作者は、昔からの伝聞に脚色を加えると言います。今回、林さんから史実の解説を聞き、民話作者の想い・郷土愛・創意工夫の有り様に接することができました。狭山に伝わる民話、後世に語り継ぎたいですね。
2.狭山の民話「射留魔のテント山」
本日は6班から順番に語り、横山先生より一人一人丁寧に指導を受けました。
例えば、
・「・・・・・」における間の取り方。
・類似事象が並んでいる時には、徐々にペースをあげて臨場感を表現する。
・複数人のやり取りでは、声色やテンポ、アクセントを変えて、複数人の会話であることを表現する。
・「モロカタ」は位のある人だから、その人なりの表現をする。
・山の神のセリフは、神らしい威厳や品位を表現する。
・厳しい環境では、平安な環境では、それぞれ情景を込めた表現をする。
・朗読と語りの違いを今一度思い出して、役者になり表情や動作を加えて語る。
終了予定時間を越えて、ご指導を受けました。一人一人に対しては決して十分な指導時間は取れていませんが、仲間への指導を聞いて、自分のものにされていると感じます。
◎1月には、希望者による「コミカフェ・口演会」を開催することになり、補修授業が計画されています。受講生の強い意欲と先生の熱心なご指導に脱帽です。