「狭山の歴史講座」校外学習第7回 史跡・文化財めぐり「笹井・根岸地区」
実施日:2019年11月7日(木) 8時20分集合~12時30分現地解散
天 候:晴 20度 風なし 朝方低かった気温も徐々に上がり心地よい晴天となりました。
地 区:笹井・根岸地区 コース距離 約5㎞
コース:狭山市駅西口広場→グリーンハイツバス停…笹井ダムサイド…笹井白鬚神社…宮地遺跡…滝不動…宗源寺…水富公民館(休憩)…明光寺(現地解散)→狭山市駅
参加者:髙橋先生 受講生10名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会6名 総勢23名
◇今回訪れた「笹井・根岸地区」の特徴
当地区は水が豊かな地域で、市街地の中に湧水が流れ落ちる滝があり、入間川の笹井ダム周辺ではアケボノゾウやメタセコイアの化石が発掘されています。また、埼玉県選定の重要遺跡や、当地出身者が創作した笹井豊年足踊り、江戸時代の古道・日光脇街道跡などにも出会えます。今回はその中で、他の地区では出会えない修験道の行場「滝不動」と日光脇街道跡に隣接する「明光寺」をお勧めスポットとしてご紹介いたします。
ϴϴ お勧めスポット① 滝不動 所在地:狭山市笹井2-38付近
・お堂の中の不動明王は、入間川左岸段丘から湧き出す水が、滝となって流れ落ちるところに祀られたことから「滝不動」と名づけられました。本尊の不動明王は、右手に宝剣、左手に羂索を持った舟形光背の浮彫立像で創建は不明です。不動明王は修験者の行場には大変よく見られます。
・滝不動が建つこの場所は、かつて本山派修験として当地方で絶大な権力を持っていた「笹井観音堂」の発祥の地であり、修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)が諸山を修行中にこの滝の水音を聞き、この地に霊場を開き、不動明王を彫刻して安置したといわれています。
・代々笹井観音堂の堂主を勤めた篠井家には、埼玉県指定文化財の「篠井家文書(しのいけもんじょ)」があります。その文書によると、小田原北条氏照が笹井観音堂を積極的に保護し、笹井観音堂の山伏(修験者)に対して相模国小田原への参陣を命じたものがあります。険しい山岳で修業を積んだ山伏は肉体的・精神的に優れた素質をもっており、小田原北条氏が彼らの持つ能力に強い期待をかけていたことがわかります。
ϴϴ お勧めスポット② 明光寺 所在地:狭山市根岸2丁目5-1
・当寺は高竹山光明院明光寺といい、宗派は真言宗智山派です。本尊は木造地蔵菩薩坐像です。寺伝によると、平安中期の応和2年(962)に明光上人が創建したとのことですが、「新編武蔵風土記稿」によると、創建は室町時代後半とも考えられます。
・紙本地蔵十王図付他二幅の図は、昭和61年(1986)に狭山市指定文化財・絵画に指定されました。地蔵十王図とは、地蔵菩薩の画と冥界で死者の生前の罪を裁く10人の王たちが一人ずつ描かれてセットになっている仏画です。通常は地蔵十王図に脱衣婆(だつえば)の画が加わって12幅で一組になっているのですが、こちらはもう一枚修羅王が加わって都合13幅で一組になっています。
・参道の入口に並ぶ2つの石仏は、「光明真言」を刻んだ経典読誦供養塔です。光明真言は真言宗の大切なお経の1つで、休止符をいれた24文字の梵字(サンスクリット語)からなる短いお経で、円形に刻まれて真下から時計回りに読みます。
・参道の前の道は国道407号の旧道ですが、江戸時代の日光脇街道跡で、日光火の番街道、千人同心街道とも呼ばれていました。現在も豊水橋の手前から金井坂までの約500mが現存しています。この街道は根岸村を南北に通る街道で、江戸時代に八王子千人同心が日光東照宮の火の番御用のために整備された道です。
◇おわりに
今回は太古のロマンを感じるアケボノゾウ・メタセコイアの化石発掘場所や、縄文時代並びに奈良・平安時代の集落遺跡を辿る中で、水の豊富な地域に相応しい「滝不動」を始め、戦争の爪痕が残る「笹井白鬚神社」、「ほほ笑みを浮かべる釈迦如来像」、本格的仏画「地蔵十王図」など、他の地区では見られない珍しい文化財に出会うコースでした。次回は「広瀬地区」です。お楽しみに…。
◇ 第7回「史跡・文化財めぐり(校外学習)」に参加して ◇
機関誌・広報担当 第1班 宮野 由廣
秋晴れの清々しい晴天の日、狭山市駅西口に集合しバスで25分ほどにある終点の狭山グリーンハイツまで行き笹井・根岸地区を、徒歩で約4時間巡りました。この地区は、狭山市の西側、入間川の左岸段丘にあります。狭山市民でも幹線道路を通過するだけで、訪れる人は少ない地域ではないでしょうか。しかし歴史的に見れば化石や遺跡が発掘され、狭山市の中でも最も古くから人々が住んでいたところのようです。観光案内等の標識も殆んどありませんので、さやま歴史散歩などの機会にぜひ訪ねて見ては、いかがでしょうか。
最初に訪れた笹井ダムサイドは、先の台風で遊歩道が壊れ、流木が散乱していました。皮肉なことにここで昭和60年に出土した約250~70万年前に生息していた全国初のアケボノゾウの全身骨格は、当時の台風で増水したことがきっかけだったそうです。また、200万年前に絶滅したと考えられていたメタセコイアの化石も昭和49年にこの地で見つかり、これらは市立博物館に展示してあるそうです。尚この木は、昭和20年に中国で自生が見つかり今では、この地や公園、学校でも見られるそうです。白鬚神社では、狭山市指定無形文化財の笹井豊年足踊りの説明がありました。演者が仰向けになって脚を高く上げ演じる様々な様は、見事なものだそうです、同社の大祭や七夕まつりに見られるようなので是非いちど見たいものです。宮地遺跡は、左岸段丘上の笹井小学校近くにあり縄文時代中期(5000~4000年前)や、奈良・平安時代の集落跡が発掘され多数の住居や土器、石器等が出土しているそうです。何の案内表示もありませんが、此処からは対岸の狭山市駅や入間市の市街が見渡せます。近くにある滝不動は、住宅街の細い路地を入ったところにあり段丘から湧出する湧き水が、滝となって流れ落ちた所に祀られています。訪れた日には、近年まれな程の水量の湧き水が流れていました。宮地遺跡時代からの人々の生活用水になっていたのでしょう。また修験者の行場でもあったそうです。宗源寺は、昭和50年に改修した立派な曹洞宗寺院です。それ以前は、麦わら屋根の寺院だったそうです。改修費用もかなりの寄進が必要だったと思います。地元の人の郷土愛が感じられます。真言宗智山派の寺院・明光寺では、狭山市指定文化財(絵画)を見ました。最後に江戸時代の日光脇街道〈千人同心街道)を通り帰途につきました。
この地区は、いまでは宅地化が進み、入曽に在住する私にとって縁のない地区でしたが、今まで訪れた他地区に比べ最も歴史のロマンを感じる地区でした。