「狭山の歴史講座」校外学習第6回 史跡・文化財めぐり「奥富地区」
実施日:2019年10月24日(木) 8時20分集合~12時45分現地解散
天 候:曇り 18度 風なし 20度を下回る曇天でしたが校外学習には適した気温でした。
地 区:奥富地区 コース距離 約6㎞
コース:新狭山駅北口広場…大山道の道しるべ…芝坂のイボ神さま…広福寺…奥富公民館(休憩)…梅宮神社…瑞光寺…西方の薬師堂…生越道道標(現地解散)…新狭山駅
参加者:髙橋先生 受講生13名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会5名 総勢25名
◇今回訪れた「奥富地区」の特徴
当地区は、慶安3年(1650)に川越城主松平信綱が、稲の大豊作によりいち早く年貢米が完納されたことを喜び「奥留」を『奥富』に改名したといわれる地域で、今も美しい水田風景が残っています。また、3代将軍徳川家光が鷹狩りの時に休息したお寺や、珍しい運営形態を継承する甘酒祭り、目的が異なる二つの道標など見所がいっぱいです。今回はその中で、この地域の歴史を語るときに欠かせない「広福寺」と「梅宮神社」をお勧めスポットとしてご紹介します。
ϴϴ お勧めスポット① 広福寺 所在地:狭山市下奥富844
・当寺は薬王山地蔵院広福寺といい、川越にある仙波中院(せんばなかいん)の末寺で宗派は天台宗です。本尊は木造薬師如来坐像です。草創については、過去帳に「永正甲戌(1514)仏涅槃日、天台沙門実海寂」との記述があることから、永正11年(1514)以前に遡るものと考えられています。
・当寺の山門は、昭和48年(1973)に狭山市指定文化財・建造物として指定されました。この山門は袴腰が美しい漆喰白壁塗りで、その上層に勾欄手摺りをめぐらし、入母屋造りの瓦葺屋根を持つ総檜造りの楼門(二階建てになった門)です。関東では珍しい龍宮造りの建築様式で、屋根の下が鐘楼になっているのも珍しい構造です。建立の時期は、寺所蔵の「表門諸入用帳面式」によると文化元年(1804)10月に棟上祝儀が行われており、その翌年(1805)には完成していたものと思われます。
・当寺の華やかな歴史を感じさせるものに「御詞(おことば)の梅」と呼ばれる紅梅があります。その謂れは、3代将軍徳川家光が当地で鷹狩りを行った際に当寺に立寄り、井戸水で点てたお茶を飲んだとき、この紅梅のあまりの美しさに感嘆の声をあげられ、「この梅おろそかに致すべからず」との言葉をかけたことから「御詞の梅」と称するようになったといわれています。
ϴϴ お勧めスポット② 梅宮神社 所在地:狭山市上奥富508
・のどかな水田風景の中に建つ当神社の創建は古く承和5年(838)といわれ、京都市右京区に鎮座する梅宮(うめのみや)大社から分祀したものです。広瀬神社と並び市内で最も古い神社の1つで、かつては奥富のほか三ツ木、沢、田中、峰の総鎮守であったとのことです。この神社は酒造、安産、林業、農業、交通守護の神として崇拝されています。
・毎年厳冬の2月に行われる当神社の「甘酒祭り」は、『頭屋制』という関東地方では他に見られない珍しい運営形態が1200年前の平安の昔よりそのまま継承されているところから、平成4年(1992)に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。
・当寺所蔵の応永33年の銘がある鰐口(わにぐち)は、神社の拝殿やお寺の仏殿の前に吊るされる扁平円形の銅製品で参拝の際に綱で打ち鳴らす仏具です。昭和51年(1976)に狭山市指定文化財・工芸品に指定されました。また、拝殿に掲げられている梅宮神社神号と桃園三傑図(とうえんさんけつず)は、昭和52年(1977)に狭山市指定文化財・書跡、絵画にそれぞれ指定されています。
◇おわりに
今回は、当地区の中で宅地化が進む武蔵野台地と、低地にあり長い稲作の歴史を継承する田園風景が広がるコースをめぐりました。その中で、この地域の地勢に関わりの深い歴史を持つ広福寺や梅宮神社ともに、民話になった「イボ神さま」、神仏を刻まない市内唯一の道しるべ「生越道道標」など、珍しい史跡・文化財にも出会うことができました。改めて地域それぞれの特性に根ざした歴史・文化・風土があることを感じました。次回は「笹井・根岸地区」です。お楽しみに…。
◇ 第6回「史跡・文化財めぐり(校外学習)」に参加して ◇
機関誌・広報担当 2班 吉田 香里
今にも雨がふりだしそうな空の下、新狭山駅に集合し、歩いて「大山道の道しるべ」に着きました。大山は、江戸時代、伊勢・富士より手軽にお詣りできる庶民の信仰と行楽の地として大人気だったそうです。川越方面から大山詣りに向かう旅人は、「大山道」の文字を見て、どんなにわくわくした気持ちで、この石仏に手を合わせたことでしょう。村人が「人の道にかなう」と考え建てた思いも、旅人にきっと伝わったのではないでしょうか。
最後に見学した「生越道(おごせどう)道標」は、国道16号沿いに建っていますが、昔は大変寂しいところに建っていたそうです。高さが192.5㎝と大きく、東西南北の文字もしっかり刻まれています。旅人にとっては、大きな目印となり目にした時は安堵し、建てた村人に感謝したことでしょう。旅が簡単にできなかった時代、「道しるべ」は目的地への道案内の役割と共に、旅人が手を合わせ、ひと時の安らぐ時間を与えてくれるものだったように思いました。
旅好きの私にとって、史実を学びながら、昔の旅人に寄り添うことができた貴重な時間となりました。