「狭山の歴史講座」野外学習 第9回 史跡・文化財めぐり「東三ツ木から青柳地区」
実施日:平成30年12月13日(木) 8時20分集合~12時00分現地解散
天 候:曇り時々晴 8度 北風が肌に冷たく12月らしい天候でした。
地 区:東三ツ木から青柳地区 コース距離 約4.5㎞ (※本年度から従来の逆コースを辿る)
コース:新狭山駅南口集合→青柳バス停…氷川神社…青柳の地蔵…青柳の馬頭観音…鎌倉街道跡…寿荘(休憩)…加佐志の共同墓地…羽黒神社…東三ツ木の薬師堂…三ツ木公園(現地解散)→新狭山駅
参加者:髙橋先生 受講生20名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会4名 総勢31名
◇はじめに
野外学習最終回の「東三ツ木から青柳地区」では、室町時代に大きな戦の舞台となった「三ツ木原古戦場跡」や軍事的性格を持つ「鎌倉街道(堀兼道)遺構」に出会えます。また珍しい文字を刻む石仏などにも触れることができます。さあ~みんなで、本年度最後の野外学習を楽しみましょう!
◇見学場所① 氷川神社
・当神社の創建や由緒は古い記録が全く残っていないため不明です。明治45年の「神社由緒調書」にも記録がなく、わずかに現在の社殿が明治14年(1881)に再建されたと記されているのみです。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
・境内の左側にある小高い塚は富士塚で浅間塚とも呼ばれています。その頂上には富士嶽神社と刻まれた高さ171㎝の石碑がありますが、これは富士信仰によって建てられた富士講碑です。
◇見学場所② 青柳の地蔵
・久保川の畔の小さなお堂に祀られている地蔵菩薩は、享保14年(1729)に青柳村の念仏講の人々によって建立された石橋供養塔です。昔この辺一帯は葦が茂り、久保川には土手も無く土地の人々は困っていましたが、近くで茶店を営む「せんまつ」という人が草を刈り、川などを整備している時に、この地蔵菩薩を発見して祀ったことから、「せんちゃん地蔵」と呼ばれるようになりました。
◇見学場所③ 青柳の馬頭観音
・この馬頭観音は、一面六臂(いちめんろっぴ)の浮彫立像で享保14年(1729)に建てられたものです。馬頭観音は観音菩薩の変化仏の一つで、六道のうちの畜生道にあって、ここに墜ちた衆生の救済にあたる仏とされています。
・この石仏の特徴は、浮彫像の右斜め上に刻まれた珍しい文字で、漢字の「八」の下に「旧」と「鳥」が彫られていますが、本来は「旧」ではなく「臼」、「鳥」ではなく「烏」で、「ウハッキュウ」と読みます。
◇見学場所④ 鎌倉街道跡
・鎌倉街道は、鎌倉幕府の成立と共に整備された中世の主要街道です。市内を通るのは上道(かみつみち)という街道で、本道と枝道の2本があります。ここは上道の枝道で便宜的に「堀兼道」と呼ばれた道です。この加佐志の堀兼道跡は、市内で唯一昔の面影を偲ばせる遺構で、長さは約130m、上幅約12m、下幅約2mで、鎌倉街道の雰囲気を良く遺している貴重な場所です。
◇見学場所⑤ 加佐志の共同墓地
・「耳だれ地蔵」と呼ばれるこの浮彫地蔵菩薩立像は、元禄7年(1694)に加佐志村の斉日講により現当二世安楽を願って建てられたものです。この地蔵菩薩は何時の頃からか耳だれに御利益があると伝えられています。
・その右側に並ぶ3体の地蔵菩薩は、明治30年代に「橋の傍らに埋まっている地蔵菩薩を掘り出し、お祀りをすれば赤痢が治まる」とのお告げに従い掘り出された石仏との言い伝えがあります。
◇見学場所⑥ 羽黒神社
・応永年間(1394~1427)に出羽国羽黒山の麓に、源義家に仕えた大宅光任(おおやみつとう)を祖先にもつ伴蔵人一俊(ばんくらんどかずとし)という人が住んでいました。ある時羽黒権現が夢枕に立ち、「おまえは武蔵国へ行き土地を開拓し居を定むべし」とのお告げがあり、仲間とともに武蔵国に来てこの地を開拓して永住しました。そして名前を奥州より来てこの地に留まったので奥留扇斗(おくとめせんと)と改め、羽黒権現を村の産土神(うぶすながみ)として祀ったのが羽黒神社であると伝えられています。
・当神社の菩提樹は、昭和48年(1973)に狭山市指定文化財・天然記念物として指定されました。
◇見学場所⑦ 東三ツ木の薬師堂
・この薬師堂の本尊「木造薬師如来坐像」は、14世紀に当地を開いた三ツ木国重の守護仏といわれ、また当薬師堂縁起では秘仏とされています。この像は奈良時代に行基が刻んだといわれていましたが、昭和3年(1928)の調査の結果、底の部分に「応永6年(1399)9月18日 作者常仁」と墨書銘文のあることが発見されました。日光菩薩と月光菩薩を従えた「木造薬師三尊像並びに十二神将像」は、平成29年に狭山市指定文化財・彫刻として指定されました。
・石灯籠の形をした石仏は浮彫の石幢(せきどう)六地蔵です。この六地蔵が建てられたのは銘文から貞享5年(1688)で、禅定門と禅定尼2名の戒名が刻まれ、「施主、宗広徹」とあるので先祖の廻向(えこう)仏と思われます。
◇見学場所⑧ 三ツ木公園・三ツ木原古戦場跡…見学後、現地解散
・関東地方は14世紀から16世紀にかけ戦乱に明け暮れをした時代でした。武蔵野の地も入間川を始めとして、小手指(所沢市)、女影(日高市)などで激しい戦いが繰り広げられました。
三ツ木原合戦は、天文6年(1537)7月11日から15日まで続きました。現在の狭山市東北部から川越市西南部の広大な地域に、北条方7千余、上杉方2千余、合計約1万人もの軍勢が激しく戦いましたが、北条方の大勝利となり、武蔵国の全面支配への足掛かりを築きました。
◇ 平成30年度「史跡・文化財めぐり(野外学習)全9回」を終えて ◇
機関誌・広報担当スタッフ 青山 泰夫
今回を持ちまして、「狭山の歴史講座」の本年度『史跡・文化財めぐり(野外学習)全9回』が終了いたしました。私たちはその中で、今まで無意識に見過ごしてきた、道端や境内に建つ石仏、歴史を刻む神社や仏閣、昔ながらの形態で執り行われる祭事、古代の井戸跡や街道跡など、多岐にわたる魅力的な史跡・文化財に出会うことができ、その素晴らしい価値を再認識してきました。
本講座では、“さやま”という身近な地域の歴史を、古代から現代まで「通史」として学べます。そして、本記事のテーマである『史跡・文化財めぐり』では、狭山歴史ガイドの会による分かり易いガイドと、髙橋講師(狭山市文化財保護審議会委員長)による専門的見地からの補完説明が行われ、郷土に受け継がれてきた本物の魅力を受講生一人ひとりが肌で感じることができます。
これからも市内に残るこうした貴重な史跡・文化財を大切にし、その魅力を広く皆様にご紹介していきたいと思います。8か月間にわたりご高覧いただきまして有難うございました。
☆ 野外学習で出会った史跡・文化財の想い出…… ☆