「狭山の歴史講座」野外学習 第6回 史跡・文化財めぐり「奥富地区」
実施日:平成30年10月25日(木) 8時20分集合~12時30分現地解散
天 候:晴 22度 風なし 雲一つない秋晴れ 後期初めての晴天となりました。
地 区:奥富地区 コース距離 約6㎞
コース:新狭山駅北口広場…大山道の道しるべ…芝坂のイボ神さま…広福寺…奥富公民館(休憩)…梅宮神社…瑞光寺…西方の薬師堂…生越道道標(現地解散)…新狭山駅
参加者:髙橋先生 受講生22名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会5名 総勢34名
◇はじめに
奥富地区は、慶安3年(1650)に川越城主松平信綱が、稲の大豊作によりいち早く年貢米が完納されたことを喜び、奥留を奥富に改名したといわれる地域で、今も美しい水田風景が残っています。徳川家光が鷹狩りの時に休息をしたお寺や、珍しい運営形態の甘酒祭り、目的が異なる二つの道標など見所がいっぱいです。さて、今回はどんな発見があるのでしょう?…さ~出発!
◇見学場所① 大山道の道しるべ
・寛政5年(1793)に建てられた「大山道の道しるべ」は山伏型角柱の文字塔です。正面に阿弥陀如来を表す種子(キリーク)、その下に南無阿弥陀仏と名号が彫られているところから、阿弥陀如来を主尊とする「石仏型の道しるべ」であることがわかります。
行先を見ると、右側面に飯能子ノ権現道、左側面には大山道と大きく刻まれています。これは川越方面から来た旅人に向けたもので、建てられた当初からこの場所にあったと思われます。
◇見学場所② 芝坂のイボ神さま
・通称「イボ神さま」と呼ばれる浮彫の馬頭観音は、安永8年(1779)に、この付近に住んでいた細田林右衛門により愛馬の供養仏として建てられたものです。馬頭観音は普通、怒った顔立ちで表現されますが、この三面六臂の石像は、大変穏やかな表情をしています。
この馬頭観音が「イボ神さま」として信仰されるようになったのは、身体中にイボが出来て困っていた人が願掛けをしたところ、たちどころにイボが取れたことからだと伝えられています。
◇見学場所③ 広福寺
・当寺は薬王山地蔵院広福寺といい、川越にある仙波中院(せんばなかいん)の末寺で、宗派は天台宗です。本尊は木造薬師如来坐像です。
草創については、過去帳に「永正甲戌(1514)仏涅槃日、天台沙門実海寂」との記述があることから、永正11年(1514)以前にさかのぼるものと考えられています。
・当寺の山門は、昭和48年(1973)に狭山市指定文化財・建造物として指定されました。袴腰が美しい漆喰白壁塗りで、入母屋造りの瓦葺屋根を持っている総檜造り楼門で、関東には珍しい龍宮造りの建築様式です。屋根の下が鐘楼になっているのも珍しい山門です。
・当寺の歴史を感じさせるものに「御詞(おことば)の梅」と呼ばれる紅梅があります。
いわれは3代将軍家光が当地で鷹狩りを行った際に当寺に立寄り、井戸水で点てたお茶を飲んだとき、この紅梅のあまりの美しさに感嘆の声をあげられ、「この梅おろそかに致すべからず」との言葉をかけたことから「御詞の梅」と称するようになったといわれています。
◇見学場所④ 梅宮神社
・当神社の創建は古く承和5年(838)といわれ、京都の梅宮(うめのみや)大社から分祀したものです。広瀬神社と並んで市内で最も古い神社の1つです。
・鰐口(わにぐち)は、神社の拝殿やお寺の仏殿の前に吊るされた銅製の扁平円形のもので、参拝の際に綱で打ち鳴らす仏具です。昭和51年(1976)に狭山市指定文化財・工芸品に指定されました。
・拝殿に掲げられている桃園三傑図(とうえんさんけつず)は、昭和52年(1977)に狭山市指定文化財・絵画として指定されました。
・毎年厳冬の2月に行われる当神社の「甘酒祭り」は、「頭屋制」という珍しい運営形態が継承されていることから、平成4年(1992)に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。
◇見学場所⑤ 瑞光寺
成就院瑞光寺といい、宗派は真言宗智山派で、本寺は坂戸市の大智寺です。
創建は、寺の記録などによると平安前期の大同2年(807)で、古くは国道16号の南側の字新堀(にいぼり)にありました。中世の度々の戦火で焼失したため現在地に移ったと言われています。
・現存する建造物の中では山門が最も古く、元禄15年(1702)に改修したとの記録が残っています。ただし、本堂が昭和43年(1968)に新築された際にこの山門も改修されたとのことです。
◇見学場所⑥ 西方の薬師堂
・西方自治会集会所横に建つ「薬師堂」の創建年代は不明ですが、慶安元年(1648)に記された広福寺の「御改帳(おんあらためちょう)」によれば、「堂地三畝六歩薬師堂高林寺也」とあるので慶安元年以前の創建と思われます。このお堂は広福寺の所有で、通称千日堂とも呼ばれています。
・本尊の薬師如来坐像は左手に薬壷を持っていたようですが、今は持っていません。右手は肩の辺りに上げて施無畏印(せむいいん)をしており、すべての人々の心の恐怖を取り除き、病から救済を図るお姿をしています。制作年代や作者は不明です。
・この集会所の裏手には、如意輪観音半跏趺坐像や廻国供養塔などの石仏群が建っています。
◇見学場所⑦ 生越道道標…西方自治会集会所前で現地解散
・生越道道標は昭和50年(1975)に狭山市指定文化財・史跡として指定されました。国道16号線に面して建っているこの道標は、神仏を刻まない市内で唯一の「独立型道しるべ」で、建てられたのは寛政2年(1790)です。かつては「せごしどう」と言われていましたが、現在は「おごせどう」と言われています。国道16号沿いにあり狭い歩道なので、西方自治会集会所前でガイド説明をしました。
◇ 第6回「史跡・文化財めぐり(野外学習)」に参加して ◇
機関誌・広報担当 5班 小林 渉
本年度の野外学習は天候に恵まれず、途中で雨に降られることが多かったが、今回は良い秋晴れでの野外学習となった。奥富地区の史跡めぐりは、道標の「大山道の道しるべ」で始まり「生越道道標」で終わったが、どちらもこれまで見てきたどの道しるべよりも大きくはっきりと道が示されていた。この行程では、2寺と1社、2箇所の石仏を見学したが、それぞれ印象深く、在住35年の狭山で知らないことばかりであった。
例えば、広福寺は3代将軍家光が鷹狩りの際、6~9回訪れている龍宮造りの山門をもつ寺であること。梅宮神社では鰐口・神号・桃園三傑図を社殿に上り見て、神社の祭礼が九組の頭屋制で輪番に運営され、その一つ「甘酒祭り」では慶安4年川越藩主松平信綱が主賓として招かれ、現在まで毎年“どぶろく”造りが行われていることを聞き、幼い頃、母が時折酒粕からでなく麹から甘酒を造っていたのを思い出した。
また、真言宗の瑞光寺では本堂前に立つ弘法大師・堂内で紙本着色両界曼荼羅を見、次の西方の石仏群の中に廻国供養塔を見たときには、自分の四国霊場八十八箇所巡りはまだ十三箇所しか参っておらず、全てを巡り終わるのはいつのことかと思った次第。
次は笹井・根岸地区、また楽しみに参加しようと・・・。