「狭山の歴史講座」野外学習 第7回 史跡・文化財めぐり「笹井・根岸地区」
実施日:平成30年11月8日(木) 8時20分集合~12時30分現地解散
天 候:晴 21度 曇りのち晴 風なし 心地よい晴天になりました。
地 区:笹井・根岸地区 コース距離 約5㎞
コース:狭山市駅西口広場→グリーンハイツバス停…笹井ダムサイト…笹井白鬚神社…宮地遺跡…滝不動…宗源寺…水富公民館(休憩)…明光寺(現地解散)→狭山市駅
参加者:髙橋先生 受講生15名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会5名 総勢27名
◇はじめに
本日訪れた笹井・根岸地区は、太古のロマンを感じさせるアケボノゾウやメタセコイアの化石が発掘された地域です。また、市街地の中に豊かな湧水が流れ落ちる滝があり、古道・日光脇街道跡などにも出会うことができます。さて、今回はどんな発見があるのでしょう?……さ~出発!
◇見学場所① 笹井ダムサイト
・アケボノゾウの化石は、昭和50年(1975)埼玉県と狭山市・入間市で化石林調査の際に、笹井ダム上流約1kmの入間川左岸の東八木で大臼歯や肩甲骨などが1か所に集中して発見されました。笹井出土アケボノゾウ骨格化石は平成15年(2003)に埼玉県指定文化財・天然記念物に指定されました。
・メタセコイアの化石は、昭和49年(1974)に笹井ダム下流の入間川河床で見つかり、翌年の調査結果で、株が残っているもの、株の根だけのもの、根の痕跡だけのものなど計29株が確認されました。
・アケボノゾウの全身骨格標本とメタセコイアの化石は、狭山市立博物館に展示してあります。
◇見学場所② 笹井白鬚神社
・当神社は旧笹井村の総鎮守で、祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)と武内宿禰(たけのうちのすくね)です。創建などは古記録が失われ不明です。当神社の笹井豊年足踊りは、当地出身の桜井藤太郎が創作したもので、昭和52年(1977)に狭山市指定文化財・無形文化財に指定されました。
・当神社を含む笹井地区は、昭和20年に米軍B29爆撃機の焼夷弾投下により、一帯が火の海となり大きな被害を受けました。本殿前の奏上門の破風が黒く炭化しているのはその時の名残りです。
◇見学場所③ 宮地遺跡
・宮地遺跡は入間川左岸段丘上にあり、縄文時代中期と奈良・平安時代の集落跡で構成されています。規模は630m×280mで、昭和51年(1976)に埼玉県選定重要遺跡になりました。
この遺跡は昭和46年(1971)から現在に至るまで、数次にわたって発掘調査が行われましたが、最大の調査は笹井小学校建設に伴うもので、昭和56年(1981)から翌57年にかけて実施され、多数の竪穴式住居跡や掘立柱建物跡とともに、多量の土器や土製品、石器などの遺物が出土しています。
◇見学場所④ 滝不動
・このお堂の不動明王は、入間川左岸段丘から湧き出す水が、滝となって流れ落ちるところに祀られたことから滝不動と名づけられました。本尊の不動明王は右手に宝剣、左手に羂索を持った舟形光背の浮彫立像で、創建は不明です。ここの滝は冬でも枯れず一年中流れ落ちています。
・不動明王は修験者の行場にはよく見られます。この場所はかつて本山派修験として当地方で絶大な権力を持っていた笹井観音堂の発祥の地であり、修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)が諸山を修行中にこの滝の水音を聞き、この地に霊場を開き、不動明王を彫刻して安置したといわれています。
◇見学場所⑤ 宗源寺
・当寺は金井山宗源寺といい、宗派は曹洞宗で、本尊は木造宝冠釈迦如来坐像です。創建は慶長年間(1596~1615)といわれ、慶安2年(1649)に3代将軍家光から寺領5石の朱印状を賜っています。
・本尊の木造宝冠釈迦如来坐像は昭和61年(1986)、狭山市指定文化財・彫刻に指定されました。釈迦如来坐像は、宝冠を戴き瓔珞(ようらく)と呼ばれる胸飾りを着けた菩薩形に造られています。また尊顔はほほ笑みを浮かべ、わずかですが口元から白い歯をのぞかせています。そのためこの仏像は微笑釈迦牟尼仏とか、歯仏ともいわれています。
◇見学場所⑥ 明光寺…見学後、髙橋先生が全体の総括を行い、現地解散
・当寺は高竹山光明院明光寺といい、宗派は真言宗智山派です。本尊は木造地蔵菩薩坐像です。寺伝によると、平安中期の応和2年(962)に明光上人が創建したとのことですが、「新編武蔵風土記稿」によると、創建は室町時代後半とも考えられます。
・紙本地蔵十王図付他二幅の図は昭和61年(1986)に狭山市指定文化財・絵画に指定されました。地蔵十王図とは、地蔵菩薩の画と冥界で死者の生前の罪を裁く10人の王たちが一人ずつ描かれてセットになっている仏画です。通常は地蔵十王図に脱衣婆(だつえば)の画が加わって12幅で一組になっているのですが、こちらはもう一枚修羅王が加わって都合13幅で一組になっています。
・参道の左右に建てられた2つの石仏は、「光明真言」を刻んだ経典読誦供養塔です。 光明真言は真言宗の大切なお経の1つで、休止符をいれた24文字の梵字(サンスクリット語)からなる短いお経で、円形に刻まれて真下から時計回りに読みます。
・参道入口の前の道は国道407号の旧道ですが、江戸時代の日光脇街道跡で、日光火の番街道、千人同心街道とも呼ばれていました。現在も豊水橋の手前から金井坂までの約500mが現存しています。この街道は根岸村を南北に通る街道で、江戸時代に八王子千人同心が日光東照宮の火の番御用のために整備された道です。
◇ 第7回「史跡・文化財めぐり(野外学習)」に参加して ◇
機関誌・広報担当 第4班 大坂 光徳
史跡・文化財巡りも7回目を迎える。私が生活している場所は堀兼地区の青柳。少し行けば川越市である。今回の笹井・根岸地区は入間市、飯能市に近い。狭山市に引っ越してきてから40年経つが笹井・根岸地区を散策したことは殆どなく、新たな発見が多々あった。
・アケボノゾウの化石発見
狭山市立博物館でアケボノゾウの化石の一部を保管していると言う事である。このような動物が何処でどのように暮らしていたか興味がわいたが、今回、発見場所に行き、250万年前の彼らの生活に思いを巡らせた。おまけに当時の植物、メタセコイアまで植えてあるとは驚きである。メタセコイアの化石は亜炭化し燃料に使われていた様である。
・笹井豊年足踊り
笹井白鬚神社の笹井豊年足踊りも是非見てみたい。演者が左右の足を使いヒョットコとオカメを使い分ける踊りは中中できないであろう。運動不足の私など足が攣って、即、リタイアすることであろう。この踊りが海外公演に出かけているとは驚きである。
・滝不動
入間川左岸段丘から流れ落ちる滝には驚きを覚える。まさかあれほどの水量が湧出しているとは思いもしなかった。私が住んでいる堀兼地区は水で苦労したところ。えらい違いである。狭山市でも一番の湧出量との事。せめて、この水が堀兼地区まで伸びていれば、いさかいも起こらなかったであろう。
今回の史跡・文化財巡りでは知らないことが結構あった。もっと、我が町の歴史を知らしむべきであろう。歴史講座はその一環を担っている。継続は力なり、これからも続いてゆく事を願う。