太田道灌~江戸城を築いた川越ゆかりの悲劇の名将~
講 師 : 日本ペンクラブ 理事 岳 真也
日 時 : 平成30年6月20日(水)13:30~15:30
場 所 : 狭山元気プラザ 大会議室
出席者 : 受講生 57名(受講生数62名)
道灌…名前は誰でも知っている
「6月13日(水)、NHKテレビの『歴史秘話ヒストリア』は、戦国最弱の大名・小田氏治を紹介していました。氏春は負け続けても立ち上がり、徳川家康の子・結城秀康に仕え、最後は大逆転して長寿を全うしました。もし、太田道灌がもっと長命だったら、日本史上ナンバーワンの名宰相になっていたかもしれません。道灌の名は有名ですが、事跡を知る人は少ないのです」とのお話から、本日の講義の始まりです。
関東を支配する戦国大名になっていた?
太田道灌は1432年、扇谷上杉氏の執事・太田資清(すけきよ)の子として相模国鎌倉で生まれました。幼名を鶴千代といい、元服して資長(すけなが)、剃髪して道潅と号しました。幼少より聡明で、父が俊英過ぎるのを心配し、「 知恵がありすぎるものは偽りが多く、偽りは災いを招く。例えば障子は直立してこそ用を成し、曲がっていては役に立たないであろう」と訓戒すると、鶴千代は屏風を持ち出し「屏風は直立しては倒れてしまう。曲がっていてこそ役に立つ」と言い返しました。また、「驕者不久」(驕れる者は久しからず)と書くと、鶴千代は二字を加え「不驕者又不久」(驕らざる者も久しからず)と口答えしたといいます。
また、父を尋ねて越生に来た時の「山吹伝説」も有名です。にわか雨に遭い蓑を借りようと農家に立ち寄った道灌に、娘が一輪の山吹の花を差し出しました。内心腹立たしく思った道灌が、この話を家臣にしたところ、それは兼明親王の歌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」に掛けてと貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わりました。古歌を知らなかった事を恥じた道灌はそれ以後歌道に励み、さまざまな和歌を残しています。
時は戦国時代に突入しようとする頃。「応仁の乱」(1467~1477)では、中部地方から北九州までの守護大名が東西両陣営に分かれ、京都で戦いました。一方、東国は1416年の「上杉禅秀の乱」以来、応仁の乱以前から戦国状態になっています。道灌24才の時、関東管領の上杉憲忠が、鎌倉公方の足利成氏(後の古河公方)に暗殺されたことから関東を二分する大乱「享徳の乱」(1454年)に発展します。敵味方入り乱れての戦いの中、道灌は次第に力をつけていきます。
1476年に起こった「長尾景春の乱」を鎮圧した太田道灌は、人望を集め、その後地位を高めていきました。山内上杉家の家臣に出した「太田道灌状」では、道潅の活躍ぶりを39条に記しています。道潅は書状で功績を正当に評価しない上杉家に対する不満やいら立ちを認(したた)めています。しかし、1486年、優れた統率力と戦略、その功を誇って主君を軽んじる道灌に危機感を持った主人・扇谷上杉定正によって糟屋館(相模原市)の風呂場で刺殺されました。その時「当方(=上杉家)滅亡!」の一言を残し絶命します。そして、その予言は北条早雲の台頭を受ける形で的中することになります。享年55。もし、道潅がもっと長生きしていたら、関東を支配する戦国大名になっていたかもしれません。しかし、「花も実もある」悲劇の英雄として、その名は後世に残りました。
道灌は城造り名人で、江戸城(千代田区)や河越城(川越市)、岩付城(さいたま市)などを築城しています。それまでの山城を改め、「敵を攻めやすい城(=平城)」を造り、後世築城の元祖と讃えられます。
質問タイム
「『山吹伝説』は、越生のほかにありますか」「道潅は足利学校で学んでいますか」「北条氏と後北条氏とは、どんな関係がありますか」「今川氏はどんな役割を果たしましたか」等たくさんの質問が出されました。『山吹伝説』は豊島区高田の面影橋のたもとを初め、東京周辺に20数か所も残されているそうです。また、足利学校で学んでいたようで、足軽戦法や築城の名手なのも頷けるとのことでした。
受講生の感想
今回も、「歴史に登場する有名人は数多くいて、本当の人物像やいかにの感を抱きつつ聞いている。太田道灌の人物像も多く加えられたり、削られたりしているのだと思う。歴史上の人物からは中々微細な点までは伝わらないにしても、山吹の歌で象徴される面があるのは確かなのではないかと思う。」「足利学校の古いのには驚いた。他の地区にも似たような学校があったのでしょうか」「以前、鎌倉時代の北条と戦国時代の北条は同じと思っていたのですが、何の関係も無いと知ってびっくりしました。氏綱が北条を名乗ることに、何の問題もなかったのでしょうか」という本日の内容に関する話題の他に、「実は、日本史を体系的に学んだことがありません。今頃になって歴史小説などを読み、取り返そうとしていますが、歴史を学ぶにはどんな方法がいいでしょうか。先生の歴史の勉強方法を教えて下さい」という、大変大きな感想も寄せられました。先生の勉強方法……、是非聞いてみたいですね。
(文:スタッフ権田・高橋)