狭山の歴史講座 野外学習 第2回 史跡・文化財めぐり「入曽地区」
実施日:平成30年5月24日(木) 8時20分集合~12時00分現地解散
天 候:晴 27度 風なし 数日前の雨の予想が外れ、史跡めぐり日和の晴天に変わる
地 区:入曽地区 コース距離 約4.5㎞
順 路:入曽地区は道路が狭く全員合同での行動が難しいため、入曽駅東口広場集合後に、A班が順路コース、B班が逆コースをたどりました。
コース:入曽市駅東口広場(集合)A班順路コース…水野の庚申塔…金剛院…入曽用水…下水野の地蔵尊…常泉寺と井戸神さま…野々宮神社(休憩)…七曲井と観音堂…入間野神社…金剛院中央霊園の夢地蔵さん(現地解散)
参加者:髙橋先生 受講22名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会6名 総勢35名
◇はじめに
本日は、初夏のような日差しを受けながら「入曽地区」をA班とB班に分かれめぐりました。今回はA班のコース順路に沿ってご案内します。入曽地区はかつて、水に苦労した地域であることから、用水・水神・井戸跡など水に因んだ史跡・文化財があります。また、面白い“いわれ”のある石仏にも出会うことができます。さて、今回はどんな発見があるかな?……さ~出発!
◇見学場所① 水野の庚申塔
この特徴のある傘付角型の庚申塔は、水野村の村民が施主となり五穀豊穣、無病息災、悪疫退散、現当二世安楽を祈願し、天明2年(1782)に造立したものです。正面に主尊である6手の青面金剛が刻まれ、足元の二邪鬼(にじゃき)を踏みつけ、左右に二童子を従えています。その下には二羽の鶏が向き合い、台座には「見まい、聞くまい、話すまい」の三猿が刻まれています。
◇見学場所② 金剛院
当院は御嶽山金剛院延命寺といい、宗派は真言宗豊山派で本尊は木造不動明王坐像です。創建年代は不明ですが、室町時代の後期以前と推察されます。本堂に安置されている木造地蔵菩薩立像は昭和61年(1986)に市指定文化財・彫刻に指定されました。江戸時代に建てられた四脚門の「山門」や境内に建つ「四夜叉を刻む庚申塔」、道しるべを兼ねた「石橋供養塔」は一見の価値があります。
◇見学場所③ 入曽用水
この入曽用水は、天正6年(1578)に開削された生活用水路です。湧き水を集めて流れる林川を分水して南入曽へと流れるもので、かつての入曽村の人々にとっては井戸水と共にかけがえのない生活用水でした。当時の人たちは、親しみをもって入曽用水を「小川(こかわ)」、不老川を「大川(おおかわ)」と呼んでいたそうです。
◇見学場所④ 下水野の地蔵尊(水野の化け地蔵)
この地蔵菩薩は、貞享2年(1685)に造立されたもので、平成25年(2013)に市指定文化財・史跡に指定されました。通称「水野の化け地蔵」と呼ばれています。それは昔この周辺は、欅や竹がうっそうと茂るとても寂しい場所で、夜中に通るとそこにポツンと立つ姿がお化けに見えたからだそうです。(※ご興味のある方は狭山市役所HP「狭山の絵本」をご覧ください)
◇見学場所⑤ 常泉寺と井戸神さま
当寺は蔵王山観音院常泉寺といい、宗派は真言宗智山派で、本尊は木造釈迦如来坐像です。創建時期は不明ですが、過去帳によると天正年間(1573~92)と推察されます。境内では、庚申日待・弁天日待・大黒日待の3つを1つの石塔に刻んだ珍しい「日待供養塔」に出会えます。また、常泉寺を出た左側の一角に、安政7年(1860)に建てられた「水天」と刻まれた高さ32㎝、幅30㎝の楕円形の小さな自然石があります。水天は水を支配する神であり、この石仏の銘文から「井戸神さま」として造立されたことがわかります。
◇見学場所⑥ 野々宮神社
当神社の創建は古記録がないため不明ですが、社家の伝承によれば奈良時代の創建と伝えられています。社家は大和朝廷の命を受け、入間道(いりまじ)の警備と七曲井の管理にあたったと言われています。祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)です。
同社の入曽囃子は、昭和52年(1977)に市指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。
◇見学場所⑦ 七曲井
この七曲井は、昭和24年(1949)に埼玉県指定文化財・史跡に指定されました。すり鉢状の井戸は、武蔵野台地にある古代の井戸で堀兼の井の遺構として価値が高いものです。かつてこの地は字掘兼井(あざほりかねのい)と呼ばれ、この井戸の状況をよく言い表しています。この井戸は、昭和45年(1970)に実施された発掘調査により復元されました。
◇見学場所⑧ 観音堂と本尊の木造聖観世音菩薩坐像
七曲井の横に建つ観音堂の創建は、常泉寺の「当山沿革史考」によると建仁2年(1202)と伝えられています。常泉寺は以前この地にありましたが、元禄2年(1689)にこの観音堂だけを残し現在地へ移転しました。昭和61年(1986)に市指定文化財・彫刻となった本尊の木造聖観世音菩薩坐像は、美術的、技術的にみても大変優れた仏像で、安永5年(1776)から文政2年(1819)の間に造られたものと推定されます。
◇見学場所⑨ 入間野神社
当神社は建久(けんきゅう)2年(1191)の創建と伝えられています。祭神は大山祇命(おおやまずみのみこと)と木花耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。
この神社に伝わる入曽の獅子舞は、25人で構成される勇壮闊達なもので、埼玉県西部地区を代表する獅子舞です。昭和54年(1979)に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。毎年10月第3土曜日・日曜日の両日にわたり金剛院と入間野神社に奉納されます。
◇見学場所⑩ 金剛院中央霊園の夢地蔵さん
この地蔵菩薩は、百番観音霊場を巡拝する夢が叶った記念として寛政7年(1855)に建てられました。その後、熱心な信者の夢を叶えたことから、どんな夢も叶えてくれる「夢地蔵さん」と呼ばれるようになりました。(※ご興味のある方は狭山市役所HP「狭山の民話・伝承」をご覧ください)
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◇ 第2回「史跡・文化財めぐり(野外学習)」に参加して ◇
機関紙・広報担当 4班 大坂 光徳
前回はシトシトと雨が降る中の野外学習であった。今回は晴天、おまけに気温もぐんぐん上がり熱中症に注意しながらの史跡めぐり、何とかスタート地点(入曽駅前)まで戻れた。
今回めぐった入曽地区は「水」で苦労した地区。中でも入曽用水から水野村への分水は、実に24年もかかっている。如何に水で苦労したかがわかる。
また、常泉寺の側にある「水天」と刻まれた自然石には「井戸組中」とあることから、一つの井戸を共同使用する家々が井戸神さまとして造立したもの。井戸一つ掘るのも家一軒建てるほどの費用が掛かったと言うことである。現在のように、捻るとジャーと出てくる水道とは勝手が違う。
北入曽にある七曲井は、すり鉢の様な形をした古代の井戸。この井戸は修理を繰り返していたため何時頃出来たかは定かでないが、平安時代には既に存在していたということである。七曲井は「ほりかねの井」として清少納言の「枕草子」に、全国の著名な井戸の第1位に挙げられているほどである。もっともっと市民に知らしめても良いのでは。我が町の誇りであろう。
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◇おわりに
本日は第2回目の野外学習でした。入曽地区おおよそ4.5㎞のコースをA班・B班が別ルートでめぐりました。途中で両班がすれ違った時に感じた懐かしさは何だったんでしょう~仲間意識…?
今回の史跡・文化財めぐりは、前回と趣が少し違って、入曽用水や七曲井の遺構、珍しい石仏や面白い民話に出会うコースでした。改めて地区別にそれぞれの地域に刻まれた歴史があることを感じられたのではないでしょうか。次回(平成30年6月7日予定)は、峰・田中地区の史跡・文化財めぐりです。お楽しみに……。