第11回 「地名や屋号からみえる狭山」
日程: 11月13日(月)
講師: 前狭山市長 仲川幸成様
狭山市文化財保護審議会委員 権田恒夫様
会場: 狭山元気プラザ 大会議室
受講生: 出席23名
本日は、仲川幸成様と権田恒夫様に、狭山市内の地名や屋号の特徴について、お話し頂きました。
・権田恒夫様
まず、狭山地域における行政区と地名の歴史的背景ついて詳しく解説して頂きました。大化時代に武蔵国に入間郡はおかれ、江戸時代には入間川村など16か村があり、明治時代には6か村に、昭和29年に1町5か村が合併して狭山市が誕生しました。
地名の特徴については、入間川地区(入間川、八兆の渡し、逆川、鵜ノ木、狭山)、堀兼地区(はけ下、今福、中福村、堀金村、伊豆殿堀、東三ツ木、中新田)、奥富地区(生越道道標、くずはき橋、赤間川)、柏原地区(奥州道、御所ノ内、土橋、蕪榎)、水富地区(広瀬、霞ケ関、金井、追分)を取り上げ、その由来について詳しく熱く語って頂きました。
・仲川幸成様
入曽地区北入曽で生まれ育ち、吉野弘の詩集『北入曽・茶の花おぼえがき』に登場する仲川様には、入曽地区の地名や屋号の特徴について、古老の方々にヒアリングを重ねて発表して頂きました。
地名については、市名である「狭山」が合併時の町村長の投票で決まり、地名「入曽」については入磯説・入僧説・入間が入曽説など諸説があることを紹介して頂きました。小字名では、原野に由来する三芳野・入間野・御狩場・逃水など、不老川に由来する川向・北流・南流など、お堂に由来する御嶽堂・堂の前などがありました。
屋号については、もともと集落内には同性が多く、それぞれの家族を呼ぶにふさわしい代々変わることのない呼び方として定着したようです。一族意識から「大本家」・「本家」・「本屋敷」など、身分意識から「名主」・「戸長」・「お大尽」など、住居地環境から「せどっぱら」・「井戸端」・「辻」など、職人家族では「屋根屋」・「雛屋」・「綿屋」・「油屋」・「元締め」、飲食を扱う店では「餅屋」・「寿司屋」・「甘酒屋」などがありました。
屋号を持つ店の分布状況も分析して頂きました。350年前に新田開発された水野地区には副業農家が少なったこと、入曽12衆の地元南入曽地区では籠屋・機屋・足袋屋、畳屋など、新河岸への物資運搬に使られた飯能街道や黒須街道が通る北入曽地区では街道沿い沿いには飲食のお店が多く、取り扱う品物名が屋号になっていたようです。
なお、講義内容は講義録「語り継ぎたい狭山の魅力」としてまとめる予定です。