第6回 「八幡神社の歴史的価値 ―鹿子舞と文化財―」
日程: 6月26日(月)
講師: 八幡神社鹿子舞保存会
元会長指田套一様、会長田島昭雄様
会場: 狭山元気プラザ 大会議室
受講生: 出席25名、欠席1名
本日は、長年八幡神社鹿子舞の継承にご尽力された指田套一様に、狭山市指定無形文化財「八幡神社鹿子舞」と文化財について語って頂きました。
八幡神社の創建は室町時代初期の頃、源氏一族の保護を受けて隆盛を極めていました。新田義貞の加護を受けて「新田の八幡神社」と言われていました。「新田義貞駒つなぎの松」は新田義貞が鎌倉幕府と対峙した際に愛馬をつないだと伝承された松です。八幡神社本殿は江戸末期に建造され、狭山市より文化財に指定されています。7月16日の夏季例大祭では境内社の八雲神社(天王さま)の神輿(220年以前に造営)が地区を練り歩きます。
入間神社の鹿子舞(シシマイ)は、300年以上前から鵜ノ木地区で継承されてきた獅子舞が入間川地区で譲り受けて、八幡神社に奉納するようになったそうです。「獅子舞」を「鹿子舞」と記すようになったのは、明治の神仏分離政策時に「獅子」は仏教由来であるとしてとがめられ、「鹿」は「神の使い」だからと機転を利かせて存続させたと伝えられています。
大正期や戦時中の混乱期に途切れた鹿子舞ですが、戦後混乱期に関係者の熱意で復活し、獅子・天狗・山伏・唄・笛など20名以上の演者が夜遅くまで練習を重ねて今に継承されています。
秋季例大祭(9月の第二土・日曜日)には、先ず各盞(かくさん)の儀(出発式)を行います。田島様による掛け合いの実演と解説は歴史の重みを感じました。初日と二日目では回る神社が異なりますが、最後は八幡神社に戻り各盞の儀で手〆をしています。時代でしょうかタクシーを利用することがあるそうです。
指田様には、清水冠者義高を祀る清水八幡神社の由来、入間川地区のシンボルであった大イチョウの緑幼稚園への移植事情についてもお話頂きました。
なお、講義内容は冊子「語り継ぎたい狭山の魅力」としてまとめる予定です。