第3回 史跡・文化財めぐり「峰・田中地区」
実施日:平成28年6月30日(木)8時30分集合~12時10分現地解散(6月23日が実施予定日でしたが雨のため順延)
天 候:曇 26度 風なし 曇空が続き、猛暑は避けられました。
地 区:峰・田中地区 コース距離 約4.5㎞、天岑寺から新狭山駅まで約1.5㎞、グランド入口(狭山台)バス停まで約0.7㎞。
コース:狭山市駅東口…市場の荒神さま…峰の愛宕神社と蚕影神社…西峰霊園…岩船地蔵堂…亀に乗る石碑と石経塔…田中のカンカン地蔵…田中の稲荷神社…清水濱臣の墓…さやまケーブルテレビ(休憩)…天岑寺(現地解散)。
参加者:髙橋先生 受講生21名 スッタフ5名 狭山歴史ガイドの会8名 総勢35名
■市場の荒神(こうじん)さま
祇園にある「市場の荒神さま」は、正式な名称を三柱(みはしら)神社といい、市場(入間川2丁目)の大野家が所有する神社です。創建については不明ですが、三柱神社が「市場の荒神さま」として親しまれるようになったのは、江戸時代中期以降、上野、下野、信濃、武蔵、相模にかけて養蚕が広まって、狭山でも養蚕が盛んとなり養蚕農家の間で蚕の守り神として信仰されるようになったことによります。
■峰の愛宕(あたご)神社と蚕影(こかげ)神社
二つの拝殿が建っていますが、向かって右にあるのが愛宕神社で左にあるのは蚕影神社です。愛宕神社は伝承によると江戸初期に当地で440石(450石ともいわれる)を知行していた旗本小笠原太郎左衛門安勝が、守護神として勧請(かんじょう)したといわれています。
蚕影神社は、創建等については不明ですが、茨城県つくば市にある蚕影神社を勧請したものと推察されています。
■西峰霊園の念仏供養塔
西峰霊園は廃寺となった大日堂があった場所で、大日堂の創建などについては資料がなく不明です。入口の左側にある念仏供養塔は文政7年(1824)4月の造立で、浮き彫立像の聖観世音菩薩が刻まれています。入間川村の枝村である峰村の念仏講中が現当二世安楽、極楽往生を願い建てたものです。
■岩船地蔵堂と薬師堂
岩船地蔵堂の創建などについては資料がなく不明ですが、地蔵堂の中に享保4年(1719)9月に建てられた丸彫立像の岩船地蔵が安置されています。
薬師堂の創建などは不明です。昭和40年(1965)初めまで東峰霊園東側に薬師如来を祀った建物があり、地域住民の集会所として使用されていました。その建物が荒廃したため昭和43年(1968)に現在の場所へ新しくお堂を建てて、本尊だった薬師如来が移されました。
■亀に乗る石碑
この石碑は、亀の台座に乗った「前総持指月和尚 行業記碑(ぜんそうじしげつおしょう こうぎょうきひ)」といいます。この石碑には江戸時代に当地で生まれた指月和尚が11歳で仏門に入り、明和6年(1769)12月に75歳で亡くなるまでの、業績や人生訓が石碑の4面にわたり約2,300字で刻まれ、指月和尚の業績を後世に残すために建てられたものと思われます。建てられた時期と建てた人については不明です。
■田中の共同墓地のカンカン地蔵
この墓地の奥に数体の地蔵菩薩が並んでいますが、一番左のなんとも痛々しい石仏が俗に「カンカン地蔵」と呼ばれている丸彫立像の地蔵菩薩で、宝永5年(1708)8月に建てられました。この地蔵菩薩が頭や顔をはじめ、いたるところ穴ぼこだらけの痛ましい姿になったのは、目の悪い人は地蔵菩薩の目を、足や腰の悪い人は足や腰をという具合に、小石で叩きながら病の治るのを祈ったためです。小石でたたく音が「カンカン」と響きわたったため、「カンカン地蔵」と呼ばれるようになったそうです。
■田中の稲荷神社
当神社が田中の稲荷神社と呼ばれ、創建の年代や由緒などは不明ですが、峰の愛宕神社と同様に小笠原家が奉納したものと思われます。小笠原家と関係があり、廃寺になった安穏寺(あんのんじ)の守護神として建立されたものと推察されています。
■清水濱臣(はまおみ)の墓
向かって左から3基目の墓石が、清水濱臣の墓で狭山市指定文化財・史跡として昭和48年(1973)3月1日に指定されました。指定の理由は、江戸時代後期の高名な国学者・歌人の墓であること、父親が狭山の田中村の出身で、江戸移住前は当地で医者を業(なりわい)としていたことによります。
清水濱臣は安永5年(1776)に江戸で生まれた国学者で、文政7年(1824)に49歳で亡くなっています。
■天岑(てんしん)寺
当寺は大龍山天岑寺といい、宗派は曹洞宗で、俗に沢の天岑寺と呼ばれています。文禄3年(1594)11月に天海盛呑(てんかいせいどん)により開山され、開基は江戸幕府旗本で当地を知行していた小笠原安勝です。
・天岑寺の惣門(そうもん)
この惣門(そうもん)は昭和48年(1973)3月1日に狭山市指定文化財・建造物に指定されました。惣門とは外構えの大きな門のことで、特に禅寺の表門をいいます。
・天岑寺の月待供養の碑
境内のこの月待供養の碑は阿弥陀三尊来迎図(らいごうず)を主尊として文明14年(1482)に建てられたものです。昭和48年(1973)3月1日に狭山市指定文化財・有形民俗文化財に指定され、民俗学的にも中世に建てられた月待供養碑は珍しいといわれています。
・天岑寺の旗本小笠原家墓所
この墓所は平成18年(2006)12月1日に狭山市指定文化財・史跡として指定されました。小笠原家は天正18年(1590)の徳川家康関東入国に従って、三河国幡豆(はず)郡(愛知県東部)から武蔵国入間郡に来たものです。
墓所には、12代にわたる当主やその妻、兄弟、子供などの墓石があり、初代の父と初代の2基の墓石を中心に整然と「コ」の字型に並んでいます。