平成27年11月26日(木)「狭山の歴史講座」の野外活動として広瀬地区の史跡・文化財めぐりが実施されました。 当日の早朝は雨天でしたが、8時過ぎになると雨は上がり予定通りに実施されました。 髙橋先生、受講生19名、スッタフ5名、狭山歴史ガイドの会(ガイド説明の支援)6名の総勢31名が参加しました。 狭山市駅西口広場(8時25分)と日生団地バス停(8時50分)に集合し、各コースをめぐり12時20分に広瀬神社で現地解散しました。
行程は、狭山市駅西口広場→日生団地バス停→今宿遺跡→影隠地蔵→広瀬公民館(休憩)→信立寺→清水宗徳之墓→広瀬浅間神社→禅龍寺→広瀬神社→現地解散。コースの距離は約4㎞でした。
■今宿遺跡 ・この今宿遺跡は入間川左岸の段丘上にあり、奈良・平安時代を主体とする集落跡で、大規模宅地である日生団地の造成に伴い昭和44年(1969)4月に発掘調査が行われました。 今宿遺跡は市内で最初に実施された大規模調査の遺跡で、市内で唯一の復元住居があり、昭和51年(1976)4月1日に狭山市指定文化財・史跡に指定されました。
■影隠地蔵
・かつての鎌倉街道上道(かみつみち)、現在の狭山中央通り沿いに建っているこの地蔵菩薩は「影隠地蔵」といわれ、昭和52年(1977)9月1日に狭山市指定文化財・史跡に指定されました。
丸彫の地蔵菩薩の名前の由来は、木曾義仲の嫡男清水冠者(かじゃ)義高が鎌倉からここ広瀬の地まで逃げて来たとき、源頼朝の追っ手が迫ってきたので地蔵菩薩の背後に隠れて危急をのがれたところから生まれたもので、それ以来影隠地蔵と呼ばれています。
・影隠地蔵の付近に小さな石塔がありますが、これは道しるべを兼ねた石橋供養塔です。この石橋供養塔は安永3年(1774)に、柏原村の如實一道(にょじついちどう)法師が83歳の時に石橋の完成供養として石橋の永続と旅の安全を願い、また作善として建てたものです。
■信立寺
・当寺は惺按山(せいあんざん)信立寺といい、江戸時代から続く市内唯一の日蓮宗寺院で、池上本門寺の末寺です。創建は古記録によると天正7年(1579)と伝えられています。
開基は、当地方を領有していた加治左馬助家信(かじさまのすけいえのぶ)で、隣接する墓地の中央辺りには家信の墓と伝えられる五輪塔があります。
■清水宗徳之墓
・清水宗徳は明治の産業近代化の先覚者で、非常にスケールが大きく時流を見極める先見性に優れた狭山市が生んだ大人物です。この墓は昭和55年(1980)6月2日に狭山市指定文化財・史跡に指定されました。墓の高さは全高369cmです。
宗徳は天保14年(1843)に、上広瀬村で代々名主と広瀬神社の神官を勤める清水家の長男として誕生しました。明治維新という時代の変化に合わせて製糸業や鉄道事業にも取り組んで入間郡西部地域の産業振興に努め、政治家として県会議員、衆議院議員としても活躍し、国政や地方の殖産興業に活躍しました。
■広瀬浅間神社の火祭り
・当神社は万延元年(1860)7月に安産、鎮火、養蚕業の発展を祈願して、上広瀬・下広瀬の富士講により創建されました。河岸段丘を利用して造られた当神社の富士塚は登り口に石造の立派な鳥居があり、頂上には富士浅間宮と刻まれた石碑が建てられています。
・この火祭りは明治の初め頃から豊作、安産を祈願してはじまったもので、富士吉田市に鎮座する富士浅間神社北宮の鎮火祭(ちんかさい)を模倣したものといわれ、毎年8月21日に当地の富士講の手で行われています。
広瀬浅間神社の火祭りは平成9年(1997)6月2日に狭山市指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。
■禅龍寺
・当寺は万寿山禅龍寺といい、宗派は曹洞宗です。本尊は木造の千手観音坐像です。
当寺は、太平洋戦争中に供出した享保年間(1716~36)に鋳造された梵鐘(ぼんしょう)の銘文によると明応年間(1492~1501)に開山したと刻まれていました。一方では万寿(まんじゅ)年間(1024~28)に創建されたので、山号を「万寿山」と称したとも伝えられています。
・木造千手観音菩薩坐像は昭和61年(1986)11月1日に狭山市指定文化財・彫刻として指定されました。
この観音菩薩坐像は寄木造りで頭上に10の尊顔と阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を戴き、合掌印を結んだ2本の手を除き40本の手を持ち、光背は舟形の透かし彫りで、瑞雲の中に11面の円鏡が配置されています。
■広瀬神社
・当神社は上奥富の梅宮神社と並ぶ古い神社で、社伝によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に、この地が大和の国、現在の奈良県の広瀬河合の地に似ているところから「広瀬」と命名し、大和の広瀬神社を勧請(かんじょう)したとされています。
・境内にある2本の大欅(おおけやき)は当神社の御神木で、平成10年(1998)3月17日に埼玉県指定文化財・天然記念物として指定されました。
参道脇の本殿に近い欅は高さ32m、幹回り6.3m、神楽殿脇のものは高さ27m、幹周り6.1mで、何れも樹齢は800年を超えているといわれています。
・豪華絢爛さに加えて格調のあるこの神輿は昭和61年(1986)11月1日に狭山市指定文化財・工芸品として指定されました。
下框(したかまち)の長さが縦・横とも122cm、四隅には金銅板の透かし彫りの金具を装着しており、中央は三つ巴紋を打ち出した丸金具で飾られています。