狭山市博物館の役割
~狭山の今と昔を伝えて30年超~
日 時:11月8日(水)13:30~15:30
講 師:狭山市立博物館館長 尾澤 栄一 様
受講生:出席9名(欠席7名)
本日の講師狭山市立博物館館長尾澤栄一様は、狭山市入間川地区に生まれ育った生粋のさやまっ子です。小学生の頃は歴史が好きで遺跡回りをし、学生の頃には遺跡の発掘調査を手伝っていました。大学卒後は中学校で音楽の先生を勤め、退職後狭山市立博物館の館長に就任されました。
博物館の業務は「伝えること」と肝に銘じておられること、また狭山市立博物館が設立30年を超えたことから、登壇して頂きました。なお、当初は9月27日の予定でしたが、都合により本日に振替させて頂きました。
狭山市を振り返る
本題に入る前に、狭山市の変貌を紹介してくれました。
・その昔、七夕通りがある入間川町は、鎌倉街道が通り、馬車鉄道が通り、飯能の西川材を運ぶ筏職人の筏宿があり、隆盛を極めていた。地域は養蚕の盛んな地域でもあった。
・昭和30・40年代の入間川七夕通りの商店街は、ほとんどの職種の商店が軒を連ねており、とても活気があった。
・昭和30年後半頃(幼稚園時代)、自宅の周りは桑畑が多く、養蚕農家や織物の工場も市内に多く存在していた。
・小学校の頃は、ポケットに10円玉を入れて友だちと商店街にある駄菓子屋でお菓子やメンコを買ったり、くじ引きをしたりしていた。
・戦後の一時期、博物館のある県立稲荷山公園はハイドパークと呼ばれ、ジョソン基地の米軍将校の家が建ち並んでいた。周辺の街並みには、英語の看板もあり、基地の街という雰囲気が色濃く残っていた。
・昭和29年狭山市の誕生以降、高度経済成長期となり、狭山市の街並みも大きく変貌、今や当時の様子を知る人が少なくなってしまった。
・現在の人口150,000人弱は、当時の人口5倍である。
博物館の役割と存在意義
博物館の役割と存在意義は、大きく捉えると「人類の足跡をコレクションし、保管・調査研究によって社会に発信する、未来を考える糧として活用し、次世代に受け継ぐこと」です。狭い意味では、「市民・利用者の皆さんが生涯学習をすることによって人生を豊かにすることであり、豊かな感性を想像すること」、そして地域振興としても欠かせない資源を保管し伝えることです。
(1)コロナ禍の影響
2019年からはじまったコロナ禍によって、多くの博物館、美術館、劇場、映画館が休館や入場制限等の措置が行われました。狭山市立博物館でも入場制限の措置をとったので利用者は激減したが、オンラインの活用やSNSでの情報発信を研究し、利用環境が広がりました。
(2)博物館は行くことは不要不急か
コロナ禍対策により、健康に関する新たな問題が生じ、不要不急の外出を避けるよう求められましたが、コミュニケーション不足、外界との接触が立たれ、心身の活力が低下する、いわゆる「フレイル」の問題が生じました。博物館や美術館への外出は、本物の文化や芸術に直に触れることで心の栄養に繋がります。したがって、博物館は不要不急の場所ではありません。
(3)人類に「美」は必要では
私たちが博物館や美術館で、優れた美術品等を鑑賞して、「美」を意識します。名古屋大学博物館、東北大学などの研究チームによると、4万~4万5000年前のホモ・サピエンスの行動を分析し、我々の祖先は貝殻を象徴品として扱い、後の装飾品に進化したと推論しています。つまり、美しい価値を大切にした集団だけが、現在まで生き延びたということです。美は人が生きていく上で必要不可欠なものなのです。中国・アジア地域でも、美は生きていくために重要であると解説しています。
(4)博物館浴とは?
博物館や美術館に行くと何となく癒される、心が落ち着くというご経験があります。九州産業大学の緒方教授は中高生、博物館関係者など幅広い世代を調査し、博物館見学後に、怒りや混乱、抑うつといった精神状態を示す数値が改善したと報告しています。「博物館健康ステーションの構築」を提唱しています。
カナダでは医者の処方箋に「博物館」と、薬の代わりに入場券が渡されます。イタリアの実験では、古美術を鑑賞すると心が落ち着いて血圧が下がり、現代美術では反対に血圧が上がるという結果が報告されています。
狭山市立博物館
狭山市立博物館は、狭山市市制施行35周年記念事業として、平成3年(1992)に建設されました。博物館の基本理念には、「・・・狭山の風土と歴史を学び、それを過去のものとせずそれを現在のアイデンティティ形成の大きな要因として捉えることが市民の郷土に対する知識の充足と市民意識の向上に必要なことと考える。・・・」、さらに「・・・未来のために現在や将来をみこしての記録や資料を収集して、新たな価値をみいだし、市民の郷土を知る手立てとして役立たせるとともに、それらの集約された知識を後の世代に伝えることに狭山市立博物館の存在意義がある。」とあります。博物館は、この理念に従って活動を続けています。
(1)企画展
博物館では、年4回企画展を企画し、過去30年間に109回開催しました。春や夏はお子さん連れファミリー層に向けた企画です。入館者が一番多かった企画展は、「残念な昆虫展~面白い生き物の多様性~」(令和元年度夏期企画展、入館者26,681人)、第二位は「トリック3Dアート」(平成30年度春期企画展、25,841人)、第三位は「鉄道模型展」(平成21年度夏期企画展、22,156人)でした。
狭山市ゆかりの文化人を紹介する企画展も開催しました。狭山市の観光大使童絵作家池原昭治氏、透明標本作家冨田伊織氏、イラストレーター金山明博氏、トリック3Dアート作家服部正志氏です。今後は、「星祭りの町」の作家文化功労者津村節子氏、「祝婚歌」や「北入曽」の詩人吉野弘、「さやまの民話風土記」の児童文学作家・劇作家さねとうあきら、狭山市生まれで「わたしのいない高校」で三島由紀夫賞を受賞した作家青木淳悟氏、日本芸術院賞を受賞した書家牛窪梧十氏、など素晴らしい方々を紹介していきたいと考えています。
2)常設展
常設展示は博物館の顔です。常設展は狭山の風土と歴史を知る喜びが詰まっており、狭山市の歴史が概観できるタイムトンネルのような展示になっています。尾澤館長一番の押し展示とのことでした。
・アケボノゾウ
狭山市立博物館、通称「さやはく」と言ったらアケボノゾウ、当館のマスコットキャラクターとしても親しまれており、当館を紹介している雑誌や書籍にはかならずこのアケボノゾウの全身骨格標本が掲載されます。博物館1階ホールでお迎えをしています。
アケボノゾウは今から250万年前から100万年前に日本に生息していたゾウの仲間です。体高は約2メートル、体重は2トンと推定され、アフリカゾウの半分位の大きさで長い牙が前に向かって外向きに生えており日本の固有種です。昭和60年(1985)に狭山市笹井の入間川の地層から全身骨格が発見され、我が国初の発見でした。埼玉県の調査員が発掘したので本物の化石は県立自然史博物館(長瀞町)に収蔵されています。狭山市立博物館では、その時の化石の一部を収蔵し、全身骨格のレプリカを展示しています。平成15年(2003)埼玉県指定天然記念物に指定されました。
・旧石器時代の出土品
旧石器時代の遺跡は、入間川左岸地域の西久保遺跡、宮地遺跡、森ノ上西遺跡、の三カ所と同右岸地域の上中原遺跡の一カ所、合わせて4カ所が確認されています。中でも昭和56年(1981)の遺跡分布調査で西久保遺跡から出土された旧石器時代のナイフ形石器が採集されました。その後、平成2年(1990)から平成5年にかけて圏央道の建設に先立つ発掘調査に旧石器時代の石器製作跡が多数発見されました。石器は11ヵ所からまとまって出土して剥がれ落ちた剥片を接合し、元の母岩50点以上に復元しました。石器を作る技術的な過程が分かる考古資料は大変貴重です。平成10年(1998)に県指定文化財に指定され、埼玉県歴史と民俗博物館に展示されています。
・村境争論の図「村絵図」
村絵図とは地勢・水利・道路・集落などの村の状況を絵図面に記録して洪水などで変化した地境や水権利の争いの場合、元の状態を知り解決を図るための資料としても使用されていました。入間川は度重なる洪水等で被害が出て村境の争論の的となりました。常設展にある村絵図は奥富村と柏原村の争論を記した絵図です。この絵図には、江戸時代の有名な町奉行 大岡越前守のサインがあります。
・そのほかの押し
蚕の成長過程の写真を配した額装「蚕之一生」です。市内旧家からの寄贈品です。
常設展示室には、貴重な資料を69項目に分類して展示しています。
最後に
博物館は、研究者や専門家のためにあるのではなく、広く万人に開かれています。未来を担う子どもたちに、先人が築いた知識や知恵を伝え、アイデンティティ形成に役立てて欲しいのです。尾澤館長は最後まで、熱く狭山の魅力を語って頂きました。
常設展示ツアーを定期的に開催しています。是非、説明を聞いて往時の狭山に接してください。
【参考文献等】
・「博物館浴」研究の進展に向けた海外文献調査」緒方泉『地域共創学会誌』2021
・博物館の新たなる価値創造を考える 緒方泉「博物館研究Vol.58」
・博物館浴によるリラックス効果の検証 緒方泉『地域共創学会誌』2021
・現代に活きる博物館 君塚仁彦・名児耶明 有斐閣 2012
・わたしが芸術について語るなら 千住博 ポプラ社 2011
・脳から見るミュージアム 中野信子 熊澤弘 講談社 2020
・日本美術を見る眼 高橋秀爾 岩波 2011
・「収蔵品展 入間川商店街」展示報告 肥沼育実 柳澤恵理子 山下春菜
・狭山市立博物館 狭山市文化財年報 2019
・狭山市立博物館開館30周年記念誌 狭山市立博物館 2021
・文化庁 ホームページ
質問タイム
質問:博物館に来所される方はどのような方々ですか?
回答:高齢者や園児など幼い子ども家族です。残念ですが、高校生など若者は少ないです。前日先生方の初任者研修をしましたが、狭山市居住者はいませんでした。狭山を勉強してくださいと言いました。
質問:狭山市は養蚕が盛んとのことですが、入間市の石川組と関係があるのか?
回答:石川組は製糸工場で狭山市にも工場がありました。狭山市初代市長石川球助は石川家の出です。
質問:市内にたくさんあった青石塔婆は博物館に展示してありますか?
回答:博物館には常設展示室に展示しています。板碑の意義などについても説明しています。
質問:企画展の企画はどのようにしているのですか?
回答:年間4回実施する企画展は、学芸員の提案や来館者のアンケートを参考にしています。
質問:指定管理者による運営とのことですが、行政とのかかわりは?
回答:保管している文化財の管理などは、行政(社会教育課)が担っています。
質問:博物館で実施している講演会などの資料は閲覧できますか?
回答:講演などは記録を残すようにしており、図書館で保管しています。閲覧できます。
受講生感想
・博物館の特別展を楽しみに利用しています。「博物館浴」という言葉を知りました。狭山市は「文化」を大切にした施策を行ってほしいです。企画展について質問したら丁寧にお答えしてくださり、有り難うございました。
・博物館が大変身近な存在になりました。狭山の文化的成り立ちも興味深いです。「学ぶことは若さを保つ」刺激を受けました。
・私も狭山に初めて来た時、入間川3丁目に住んでおりました(40数年前ですが)。懐かしい七夕通りのお話が聞けて楽しかったです。桑畑の道も思い出しました。
・博物館の役割と存在意義について良く理解することができた。市立博物館には子供が小さかった頃(開館当時)、4~5回行ったが、その後は行っていないので、近いうちに行ってみようと思う。
・博物館の職員が地方公務員ではないと聞いて驚きました。博物館としての活動内容の説明はなーるほど!博物館の運営だけではないのですね。