*開催日時 :平成28年 7月 5日(火)13:30~16:00
*場 所 :狭山元気プラザ 大会議室
*講座名 :「みんなで楽しむ国際交流講座」
*受講生 :15名 出席者 :出席 14名 欠席 1名
*講 師 :元衆議院議員(狭山市名誉市民)大野 松茂氏
☆講座テーマ:「狭山市における韓国との交流の歴史」
1.)高麗郡建都1300年と狭山
*今から1300年前の716年5月、武蔵国に移住していた高麗人1799人を集めて、高句麗国から日本を訪れていた王族の一人若光王が大和朝廷の命を受けて「高麗郡」を建郡した。高句麗はその後唐、新羅連合軍に滅ぼされ若光は故国を失い、そのまま高麗郡で没した。
*若光を祭るのが高麗神社であり、菩提は聖天院勝楽寺に祀られている。
*当時高麗人たちが日本に持ち込んだ高度な技術によって、小麦粉の文化、陶器、絹織物、鋳鉄、紙漉き等の産業が高麗郡で発達した。
*現在の高麗神社の宮司は、若光から数えて60代目の直系の子孫であり、純粋な高麗人と言えるかもしれない。
*明治22年には、飯能町と14の村が「入間郡」に統合され、昭和29年には柏原、広瀬地区他の地区を統合して現在の狭山山市が誕生した。
*当時の高麗郡の遺跡群の発掘調査は全く不十分であり、日高、飯能、入間、狭山、鶴ヶ島、坂戸、毛呂山、越生など各地に点在する遺跡の発掘が待たれている。
2.)戦後の韓国との交流
*昭和48年(1973年)、軍事政権下の韓国、忠武市と姉妹都市提携書を締結。その後平成7年統營市に統合され提携は引き継がれ現在に至っている。
*行政間の都市交流は時の政治状況に左右され勝ちであり、その後民間交流に切り替え、SIFAを中心に隔年の相互訪問(ホームステイ)を継続している。
*忠武市は文禄の役で秀吉軍の朝鮮出兵に際し、水軍を率いて撃退した李舜臣将軍に因んで「忠武公」=忠武市であり、その記念碑など多数あり、歴史的には反日意識の強い地域ではあるが、現代の日韓関係では初めて狭山市と姉妹都市協定を締結するなど、非常に親日的な都市として現在も良好な関係が続いている。
*国際交流は政治に左右されることなく、民間同士の心と心の繋がりがあれば継続できるもの。これからも民間ベースの交流を大切に韓国との友好関係を発展させて欲しいと願っている。