1.所沢キャンパスのシンボル???
正門から入りグランド間の通路を抜け、100号館の前を右に曲がり「スポーツホール」へ向かう道の右側に、この自然環境調査室があります。自然環境調査室はドーム屋根の平屋造りです。我ら「いきがい講座生」にとっては全く関係がありません。ただ紹介したいのが、そこの「門番」さんです。
早稲田大学のHPを見ても特に紹介されておりませんので、名前や性別・出身地などは全く分かりません。うっかりすると通り過ぎてしまいますが、近づいてみると結構なインパクトがありますよ。確か3年前くらいには、通路を挟んだ向かいの山裾には「ハクビシン」が飼われていた時がありましたが…今は、淋しいような顔つきですね!
2.講座風景
6月20日(土)第11回講座のテーマ「高齢者とライフヒストリー(生活史)、地域史誌」
講師は先週に引き続き、東京国際大学 高田 知和教授
1) 「歴史学における「社会史」/社会学における「生活史」ブーム」
昭和50年頃から普通の日々の歴史、いわゆる庶民の側からの歴史学がブームとなる。特に中世史家の「網野 善彦」などに代表されている。また、中野 卓著書の「口述の生活史」のように、個人の生活に密着した生活史(ライフヒストリー)を編纂した人達が現れて現在に至っている。
・ 自分自身の歴史や感慨を口にしたり思い出を語ると、自分にとって充実感や、爽快感があらわれてくる…回想療法や脳の活性化が図られることで健康に良いそうです。
・ 生活史がしっかりとまとまっていると、次世代への歴史として残せる利点がある。
2) 「「自治体史」「字誌」について」
県史、市史、町史、村史など地方自治体によって編纂・刊行される歴史書。実際には、史・誌・志などの名称で呼ばれている。
自治体史編纂の担い手としては、地元の郷土史家1人か複数でしたが、都市部などでは日本史の教授陣やライター、大学院生、一般市民などに広がってきました。また、純粋な郷土史だけでなく新しいコミュニティの誕生からの自治会史を、そこの住民同士が編纂する「字誌」も盛んに作られる様になっているそうです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3.ひとことカード
今日は20件有り前回と同じく、先生からは1件ごとに回答を頂きました。
その量は、A4両面印刷で3枚になります。いつもは抜粋した紹介にしていましたがとても紙面が足りません。20件目の質問・回答が、本日講義の実例を物語っている、と判断してこの1件だけ公開します。
Q ライフヒストリー調査の場合、個人の「日記」を利用する事が多いのでしょうか?
「史誌」だと難しく感じますが「記録」だと身構えなくてすみそうです。今書かなくては忘れられてしまうことを、書き残す大事さを知りました。
⇒ この様なご質問があるのも何かの縁というか、私からこうしたことを感じ取られたということなのでしょうか。実は私は調査先で知り合った方の個人的な日記を借りて読んで、それを資料として数多く論文を書いて来たものです。
その方は、茨城県で大正4年に自小作農家の長男として生まれて、小学校卒業後は自家で農業に従事していましたが、昭和13年暮れに産業組合に書記として就職しました。
やがて戦争で徴用、ついで応召したので産業組合とは縁が切れました。戦後復員して再び自家農業に従事していましたが、産業組合が戦中に農業会となり、ついで戦後に農協になるにあたって復職し、その後は参事までなって昭和50年に定年を迎えました。
退職後はご自宅で自適の生活を送って、平成8年7月に亡くなりました。
その意味でごく普通の人でした、例えば若い時には青年団の活動を熱心にしていましたが、家が地主でも何でもなかったので青年団長になったということでもなく、また農協でも組合長とか理事ではなく参事というに過ぎませんでした。
この方が小学生の時から「日記」をつけていて、一番古いものは昭和4年の日記帳が残っています。市販の日記帳を毎日1頁ずつ書いていて、平成8年3月に入院した時にも日記帳を携えて入ったくらいで、結局その年の7月に亡くなったので、昭和4年から平成8年までつけ続けていたということになります。
もっとも、戦中戦後は深刻なモノ不足でしたから日記帳もあまり入手できなかったようで、やや断続的になっていますが、応召中も内地にいたこともあって日記をつけていました。
例えば昭和20年8月15日に終戦を迎えた時には「海上護衛総司令部」にいて、その後の数日間は書類を燃やしていたそうです。「教育局も特務班も海上護衛も皆々書類の焼却である。日本の戦争歴史を無くする為に、戦争の一切の資料一切の歴史を焼却してしまうのだ」(昭和20.8.17)と書いています。終戦後に書類を焼いたという話はよく聞きますが、自分のよく知っている人もそれをしていたのだと知った時は驚きでした。
しかしこの方の日記で最も興味深かったのは、小学校卒で自家農業に従事していたり、産業組合の職員として戦時中を暮らしていたり、戦後は農村でやはり普通の農家や農協職員として暮らしていたという普通の庶民が、毎日毎日何を考えてどう暮らしていたのかが分かることでした。そうした庶民の立場から戦前戦中戦後の昭和史を描くということが、この方の日記から出来ると思います。
いわゆる偉人とか成功者ということでは有りませんが、その日その日を真摯に生きた普通の人の記録が、実はこんなにも大きな意義を持っている、ということの例になると私は思っているのです。
(貴重な体験話 有難うございました)