第9回 聞き書調査の実践(その2) ※グループ単位で聞き書き
写真 : スタッフ 米田香子
文章 : 受講生 鈴木房子
平成27年2月13日 狭山元気プラザにおいて、「さやまの生活文化伝承講座 第9回」の講座が開かれました。今回は聴き取り調査の第2回目です。前回同様、循環型農業、茶仕事の2班に分かれ話者として中田晃先生、横田洋志先生をお招きしました。ここでは循環型農業についての講座の内容をお話いたします。髙橋光昭先生には聴き取りで大切なことや注意点等についてお話しいただきました。
最初に、髙橋先生が聴き取りについての注意点をいくつかあげられました。
・昭和30年代頃を中心に話を聞く事。
・まとめるに当たっては、今までの情報を皆で共有し質問があれば、再度話者の方から話を聞く事。
・あくまで、話者の方の農業のやり方はどうであったかが大切で、あまり自分たちで装飾はしない事。
・ 聴き取りの例として、堆肥や追肥をどのように与えたか等を中心にするとよい。
・燃料が木炭から何に変わったか? 切り替えた時はどうだったか?
等の具体例をあげてくださいました。
続いて、受講生からの質問に中田先生が答えられました。
「ヤマ仕事について説明してください」
江戸時代松平信綱が上赤坂の開発を行ったとき以来、農家では平地林を大切に守ってきた。平地林をしっかり管理することにより、キノコや山栗等の食物を得るばかりでなく、倒木を燃料にしたり、建物の資材として利用したり、落ち葉を肥料にしたりと利用してきた。
これを“ヤマ仕事”といい、現在では“環境保全型農業”、“循環型農業”とも言われている。
「昭和30年代の農作物について教えてください」
その頃の主な作物は麦だった。面積の割合は 大麦、ビール麦、小麦の順であった。大麦は主食、ビール麦はビールの原料、小麦は粉にしてうどんや饅頭にした。そのころは養蚕も盛んであった。
30年代後半は人参(入間人参)、牛蒡(入間牛蒡)が主に作られていた。
さつま芋は麦の間に作付した。ジャガイモは春に植えて、麦と同じ時期に収穫した。このあたりではジャガイモより里芋やさつま芋の方が多く作られていた。また、桑畑も作られ中田家の畑では1/3が桑畑で残りが麦畑であった。
「農家の年間の生活について教えてください」
《 1月初め 》 屋根の材料である萱(かや)を刈り、同時に下草や笹を刈る。家族や住み込みの奉公人で作業をした。 ※ 農家によっては2,3人の住み込みの奉公人がいた。
《 1月~2月 》 クズ(落ち葉)掃きをして、秋野菜(さつま芋、里芋)や夏野菜(トマト、キューリ)の苗床をつくる。 クズ(落ち葉)掃きは家族、助け合い(もやい)、親戚などで行った。
《 2月~3月 》 燃料にする枯れ木の伐採をする。伐採することにより害虫の駆除にもなる。 麦踏みをする(土が浮き上がらないように丈が10cm~15cm位のときに踏む)。
《 4月 》 里芋の植え付け。麦の間に里芋を植える。麦が黄色くなる頃、株もとにさつま芋を植える。 蚕を飼っている農家では、“ハルゴ”のために桑の新芽を摘む。
《 5月 》 かぼちゃ、なす、キューリを植える。
《 6月 》 麦刈りをして俵に入れて出荷する。
《 7月 》 里芋、さつま芋に堆肥を施す。※ 株と株の間に肥料を入れる。これを“株間施肥”と言う。 ゴボウなどは株間が狭いので筋状に肥料を入れる。これを“条間施肥”と言う。 現在では機械で全体に肥料をまく。これを“全面施肥”と言う。
《 7月~8月 》 夏野菜の収穫。
《 9月 》 彼岸過ぎにさつま芋の収穫。
《 10月 》 里芋の収穫。
《 11月10日 》 麦をまく(6月に収穫)。
※ “十日夜(トウカンヤ)”にワラデッポウで土をたたく。
《 12月 》 農閑期になり冬越しの支度をする。 萱で風除け用の“コモ”(よしず)を編んで苗床の保温用にした。 陸稲の藁で縄をなって、麦の出荷用の俵を編んだ。中田先生の家では買っていたようだ。
※ 里芋の出荷は俵を横に半分にし、牛蒡は縦に半分にして出荷した。(ゴボウはひと束20kg、長さは1m~1m20cmに束ねて出荷した)。
「苗床の作り方について教えてください」
苗床の型を作っておいた中に落ち葉を70cm位いれ、米ぬか、糞尿等の窒素分を含むものを混ぜる。その上に腐葉土を20cmの厚さに入れる。さらにその上に一年前の落ち葉をいれる。それをビニールで覆う。苗床には、里芋、かぼちゃ、さつま芋を植える。さつま芋の場合は上にもみ殻などを10cmぐらいかぶせる。全体の苗床の大きさは、縦、横、深さが(10m、10m、1m)位である。
「家族の労働の分担は?」
ヤマ仕事のクズ(落ち葉)掃きや下草刈りは家族全員で行ったが、枯れ木の伐採などは男の仕事であった。農繁期は学校も休みになり子供も畑の仕事を手伝った。農家によっては住み込みの雇い人が2~3人いたこともあった。狭山では葉ものが多かったので、奉公人は少なかった。
「当時の道具について教えてください」
・ハチホンバサミ: 掃いた落ち葉を入れて運ぶかご。
・耕運機: はちほんバサミを載せて運んだり、畑を耕したりする機械。
・フォーク: 堆肥をかきまぜる。(現在では機械に代わっている)。
・コヤシマンガ: 爪が4本くらい。
・肥柄杓: 下肥を運ぶ。
・くわ、鋤き:畝を作る。刃が長いものは溝を作る。短いものは牛蒡やさつま芋の収穫や土おこしに使う。
・草かき: 土を寄せたり、平らにしたりする。“ジョレン”ともいう。
・鎌: 麦の刈り取り
・ケンボウ(または針):牛蒡の収穫に使う。(現在では“トレンジャー”と言う機械に代わった)。
・木ばさみ:
・縄ない機:縄をなう道具。
・桑摘み鋏:桑の葉を摘む鋏。
・背負いかご:桑の葉を入れて運ぶ。
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今後の予定
・3月13日:(第10回)今までのまとめ
・3月20日:修了式
・3月27日:(第11回)発表
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※ 髙橋光昭先生は平成22年3月まで狭山市立・博物館館長を務められました
先日の狭山市制施行60年の記念式典では市政功労者の感謝状をうけておられます
狭山市文化財保護審議会 副委員長
さやま市民大学 狭山の歴史学科講師
狭山博物館主催 古文書読解講座講師 等もなさっておられます
※ 中田晃先生は「さやま緑と里の会」会長をしていらっしゃいます。
※ 横田洋志先生は、お茶の生産、販売をされています。
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