説経師が伝える狭山周辺の物語
日 時:7月12日(水)13:30~15:30
講 師:説経師(東京都無形文化財保持者)若松若太夫 氏
受講生:出席12名(欠席4名)
本日の講師 若松若太夫さんは、説経浄瑠璃師 若松若太夫の三代目。1989年に先代若松若太夫の公演を聴き、感銘を受けて入門。1998年には三代目を襲名したそうです。2000年には東京都指定無形文化財(芸能)保持者、板橋区登録無形文化財説経浄瑠璃保持者に認定されます。埼玉県内の人形芝居の地語りとしても活躍されています。
会場の前面に設えられた赤い高座に受講生の期待が高まります。まずは説経についてのお話から……。
三味線にのせて哀切を語る説経節
元来説経とは経文の講釈のことで、仏の教えを説き聞かせる唱導が説経節の源流です。室町後期から江戸初期にかけて、大きな神社や寺院でささらを擦る説教師が縁起や霊験を参詣者に語りました。語りには哀感が伴い、聴く人の涙を誘いました。右の絵は八坂神社所蔵の『洛中洛外図』(元和年間)での説経節です。敷物一枚、ササラを使って語っています。泣いている人もおり、悲しい話をしていることが分かります。柄杓を持った人が投げ銭を受けています。江戸初期には三味線を取り入れ、人形繰りと結びついて民衆芸能の一翼を担っていましたが、文楽や歌舞伎に人気を奪われ、江戸中期にはほとんど絶えてしまいます。江戸後期になって初代薩摩若太夫により新たな説経が興り、その系譜を引く幕末の5代目薩摩若太夫から若松派の説経節が興りました。説経の写本も作られ、稽古用のみならず、読み物としても手にされました。それは、説経節がそのころメジャーであったということの証でもあります。
幕末維新期には「若松」の名跡が生まれ、加須市の辰太夫が受け継いで北関東方面に若松派が広まりました。初代若松若太夫は幼い頃加須市の若松辰太夫の許に入門、1911年には上京し、当時唯一の説教節太夫として活躍、説経節を洗練された味わいと風格のあるものに仕上げました。二代目若松若太夫は初代の六男で昭和21年に若太夫の名跡を受け継ぎます。本日の講師 三代目若松若太夫さんは入門10年で三代目を継ぎ、以来講座、寺院、大学、博物館等の依頼に応じたり、板橋区 立郷土芸能伝承館での独演会を30回以上行ったりと、様々な場面で活動されています。
説経節には五説経といわれる演目があります。源平戦記物は義太夫節とは詞章も違い、あっさりした語り口が説経節の特徴だそうです。三味線を伴奏とした素語りが基本ですが、かつては人形芝居の地語り、写し絵との興行も盛んに行われていました。有名な演目には、厨子王を逃がすため安寿が焼き殺される(森鴎外の小説では池に身を投げる)「さんせう太夫」、父を尋ねて女人禁制の高野山へ行き、父の顔を知る母を置いて高野山に入る「石童丸」等があります。スーパー歌舞伎の猿之助で話題になった「小栗判官」も元々は説経節だそうです。
狭山周辺地域にかかわる説教節
吾野村北川出身の大野嘉太郎は、1930年に初代若松若太夫を招き川越と飯能で説経節公演を主催しました。この頃から初代若太夫との交流が始まり、入門して1935年ごろには若松国士太夫を名乗っています。多くの新作説経を書き下ろしました。1933年には「飯能の嵐・澁澤平九郎自刃」を書き、師の若太夫がそれを語り、自身も語りました。飯能市虎秀の落合家には、大野嘉太郎の書写した説経節台本が約40冊残されています。このうち約半数は大野が自作自演した新作説経台本です。日中戦争で戦死した戦士の話、飯能近隣の武将伝説を説経節としたものが多くあり、「山吹の里」や「吾野観音霊験記」のようにラジオ放送されたものや、冊子として印刷されたものもあります。
狭山市に関するものでは「竹が淵物語」「清水八幡譚」がありますが、本日はこの「清水八幡譚」を語っていただきます。
説経節「清水八幡譚」
三味線の音が鳴り響き、いよいよ説経節の実演です。「さるほどに 清水の冠者義高 聞くも悲しさやるせなく……」先ほどまでのマイクでのお話の時とは違う情感溢れる声が、会場の大会議室に響き渡ります。三味の音が時にはやるせなく、時には激しく、その場の雰囲気を盛り上げます。じっと目を閉じて聴き入る人、配られた台本をめくりながら言葉をかみしめる人……、聴き方は様々ですが皆物語の世界にどっぷり浸ります。
受講生感想
ここで受講生の感想を何人かご紹介します。
・説経節を断片的に耳にしたことはありますが、今回、生の説経節を聞くと映像が目に浮かび感動しました。加えて、地元狭山にこのような素晴らしい方がおられ、嬉しく思いました。
・説経節を初めて聞かせて頂きました。情感豊かに物語を語られ、伝わって参りました。読み方によって、また雰囲気が違って来るのでしょうか。
・清水八幡の縁起を初めて拝聴し、感動しました。音曲を入れて演じられたので、聴き易かったです。合いの手の取り方が上手でした。
・説経節を初めて聞いて、とても素晴らしかったです。今後もチャンスを見つけて聞きたいと思いました。
・初めてお聞きしました。人形浄瑠璃などの元ということも判りました。さんしょう大夫、小栗判官その他も読み返してみようと思いました。機会があればまた聞かせて頂きたいです。
質疑応答
問:台本に無い「間」や「抑揚」はどう付けるのか。
回答: 教えてもらうのではなく聞いて覚える。その後は自分で考えるように師匠に言われた。台詞等は感情を凝縮し、それに節をつけていく。
問:弟子はいるのか。今何人ぐらいの説教師がいるのか。
回答: 前はいたが、今はいない。募集はしている。舞台は会社勤めより緊張感があって良いと思うがなかなか応募が無い。現在、説教師は5人ぐらいではないかと思う。
その他、現代の言葉で新しい説経節を創作し未来に残すべき、台本を配ることの是非、後継者問題等々、色々なご意見も出されました。