航空自衛隊入間基地の歴史と任務
日 時:6月8日(水)13:30~15:30
講 師:航空自衛隊入間基地 基地渉外室長 3等空佐 須田 芳則 様
受講生:出席10名(欠席1名)
本日の講師、須田芳則3等空佐は埼玉県宮代町出身。昭和63年に入隊し、航空自衛隊各基地で数々の飛行機を操縦、ロードバイクと音楽鑑賞(ライブに行くのだそうです!)が趣味というアクティブな方です。航空自衛隊入間基地のシンボルマークはわしの胸の中に入間の「I」を入れたもので、矢印の本数は部隊の数の17本になっているという話から今日の講義が始まりました。
入間基地の歴史と概要
昭和13年、旧陸軍航空士官学校が豊岡に設立されました。昭和20年には米軍が進駐し、「IRUMAGAWA ARMY AIR BASE」と呼ばれていましたが、市街地への被害や部下を救う為に飛行機事故で殉職したジョンソン大佐の功績を讃え、「JOHNSON ARMY AIR BASE」と改名されました。昭和33年、航空自衛隊入間基地が発足し、昭和53年には米軍から全面返還されました。平成24年、航空歴史資料館「修武台記念館」が開館し、令和4年には自衛隊入間病院が新設されました。
入間基地は東京ドーム68個分の広さがあり、隊員の数は航空自衛隊の基地で一番多く約4200人。そのうち約15%は女性隊員で、航空自衛隊で唯一託児所のある基地だそうです。空自全体で女性隊員は約10%程度だとか……。従って入間基地の特徴は子供の声が聞こえること、そして基地の中を電車が走っていることで、基地内に踏切さえあるということです。
航空自衛隊の任務
航空自衛隊は日本の空を守る唯一の組織だと話す須田3佐。領海内は国旗を掲げれば外国船も通行できるが、領空内は許可なしには飛行できないそうです。理由は短時間で領土に到達し、攻撃された場合甚大な被害を被るから。領空侵犯から領土上空まで1分半しかかからないと聞くとそれも頷けます。警察機関では領空侵犯機に対応できないため、航空自衛隊が対処しています。災害派遣では、あのダイヤモンドプリンセス号のコロナウイルス感染症対処や令和2年7月の集中豪雨、昨年の熱海土石流災害等にも入間基地から派遣されました。ご自身もイラク、インドネシア、スマトラ島等への派遣体験があるそうです。さらに、今後は宇宙やサイバー、電磁波なども航空自衛隊が守る領域に加えていかなければならないとのことでした。
入間基地の任務
昭和29年の航空自衛隊発足後、入間基地は各部隊の司令部や多種多様な任務を持った多くの部隊が所在し、重要な役割を担っています。須田3佐からは各部隊や航空機の詳しい説明がありました。警備犬はすべて入間基地で初歩的な訓練をし、各基地にハンドラーと共に配属されるということです。警備犬は、なんと装備品扱いなのだそうです。航空医学実験隊というのもあって、飛行中のストレス、スーツ、薬の効用など様々な実験をしています。開設されたばかりの入間病院は、一般の診療は受け入れていませんが、2次救命救急の受け入れを準備しているそうです。
入間基地ではランウェイウォークや納涼祭、体験搭乗等さまざまな行事があり、11月の航空祭では毎年多くの人が訪れています。コロナ禍の中、それらの行事も対策をして実施できるよう検討しています。隊員の教育施設である修武台記念館は、通常一般には開放されていませんが、月1回人数制限をして見学することができ(基地HPをご覧ください)、桜花や零戦エンジン、日本初の飛行を記録した動力飛行機「アンリファルマン機」が展示されています。
質疑応答
講義後の質疑応答では、修武太鼓、航空機の数、隊員中のさやま市民の数、航空管制権が基地上空では3層になっていること等、様々な質問に答えていただきました。入間基地カレーについての質問が出た時には、「航空自衛隊の押しは『空上げ(唐揚げではなく)』です。入間基地の『空上げ』は、狭山茶の抹茶塩使用です」とのお話も……。キムタクのブルーインパルス搭乗の話も出、キムタクと明石家さんまが基地に来た後は28万人、ドラマ「空飛ぶ広報室」放送の後は32万人が航空祭に訪れたそうです。
講義終了後の受講生の質問にも丁寧に対応していただき、以下の回答をいただきました。
問:どうして現在地に入間基地ができたのか。立地条件について教えてほしい。
回答:空自発足の際、米空軍を倣いとして米軍基地に部隊を配置したことが発端と思われます。陸軍飛行場が豊岡に建設されたのは、航空戦力の拡充が図られた時期(昭和10年代前半)で、士官空中勤務者の養成が急務となり、手狭となった所沢飛行場の他に適地を確保する必要があったためと思われます。当時の飛行場は未舗装の草地だったため、水はけが良く、広大で地盤の固い平坦な土地が必要でした。また、気象条件(天候、風向き等)が良好なことも求められます。その点で、現在の地が飛行場適地とされたと思われます。
問:4,200人もの隊員が働く中で、毎日の連絡や情報共有はどのようにされているのか
回答:以前は文書の回覧や朝礼、終礼による情報共有が主でしたが、最近は電子メール等により行っています。しかし、昔ながらの一斉放送による連絡や情報共有もしています。
受講生感想
❖ 入間基地の歴史と概要をはじめ、豊富な資料と共に具体的にお話を聞くことができ、基地の中で働く方々の業務内容、職種、取り組みについて、今までほんの一部分しか知らなかったので大変勉強になりました。
❖ 狭山市に住んで50年。滑走路の脇に住んでいながら入間基地について殆ど何も知らず、日常的には飛行機の爆音、騒音に慣れっこになっただけでした。今日の講座で初めて入間基地の細かい情報を得ることができたのは本当に有難かった。情報は重要な軍事機密だと考えられるが、これ程まで詳細な情報を開示して貰えて逆に心配になった程でした。まさか市民大学に外国のスパイが潜込んではいないと思いますが……(笑い)。
❖ 地元にいながら、入間基地にあまり関心がなかったことを反省しました。昨今の世界情勢をみると、空の安全の重要性を増々感じました。基地としても、いかに地域にとけこむべきかを考えていることに好感が持てました。