「狭山の歴史講座」校外学習第4回 史跡・文化財めぐり「入間川地区」
実施日:2019年9月26日(木) 8時20分集合~12時30分現地解散
天 候:晴時々曇り 26度 風なし 空気がからっとし秋らしい爽やかな天候でした。
地 区:入間川地区 コース距離 約4.5㎞
コース:狭山市駅西口広場集合…徳林寺…綿貫家の墓地…福徳院…市民交流センター(休憩)…八幡神社…清水八幡…諏訪神社…慈眼寺…現地解散
参加者:髙橋先生 受講生15名 スタッフ6名 狭山歴史ガイドの会7名 総勢29名
◇今回訪れた「入間川地区」の特徴
入間川を臨む当地区は中世における軍事上の重要拠点であり、古道・鎌倉街道が通り、入間川宿が繁栄した地域です。歴史上に名を遺す武将たちと所縁のある神社や仏閣とともに、この地に伝わるユニークな“なすとっかえの祭事”や、表記に謂れのある“八幡神社鹿子舞”にも出会えます。今回はその中で、鎌倉幕府を滅亡させた新田義貞と所縁のある「八幡神社」と、源平合戦で活躍した木曽義仲の嫡男・清水冠者義高を祀る「清水八幡」をお勧めスポットとしてご紹介します。
ϴϴ お勧めスポット① 八幡神社 所在地:狭山市入間川3丁目6-14
・毎年初詣で賑わう八幡神社は、旧入間川村の総鎮守で過去に「新田の八幡宮」と称されたことがあります。創建は数度の火災により古記録を失い不明です。祭神は応神天皇で天照大神と春日大神を合祀しています。
・本殿は昭和48年(1973)に狭山市指定文化財・建造物に指定されました。唐破風向拝付・千鳥破風付入母屋造りの建物は、享和2年(1802)に完成したものです。正面を除く3面の壁面には、市内屈指といわれる浮き彫りと透かし彫りの2つの技法を巧みに使い分けた彫刻が施されています。
・本殿の横にある今は枯れて根だけが残る古木は、新田義貞が鎌倉を攻める途次に戦勝祈願のために当神社を訪れ、その時、愛馬を繋いだといわれる「新田義貞駒つなぎの松」です。
・この神社に奉納される獅子舞は、毎年敬老の日直前の土・日曜の両日に行われ「八幡神社鹿子舞(ししまい)」と呼ばれています。来年の儀式の日を約束する「各盞(かくさん)の儀」が伝承されているこの鹿子舞は、昭和46年(1971)に狭山市指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。
ϴϴ お勧めスポット② 清水八幡 所在地:狭山市入間川3丁目35付近
・清水八幡は清水冠者義高を祭神とする神社で、昭和52年(1977)に狭山市指定文化財・史跡に指定されました。義高は木曽義仲の嫡男として生まれましたが、寿永2年(1183)に父義仲と源頼朝が一時不仲となり、和議の条件として当時11歳の義高は人質として鎌倉に送られます。その後、頼朝の長女大姫の婿となりますが、父義仲が頼朝に討たれる事態となり、復讐を怖れた頼朝は義高の殺害を考えます。これを知った大姫は義高に女装をさせ密かに鎌倉を脱出させます。しかし、入間川の八丁の渡しまで来たところで頼朝の追っ手に捕らえられ討たれてしまいます。
残された若武者の遺体を見て哀れんだ里人が、遺体を埋葬し墓を造ったといわれています。その後、大姫の母政子は悲嘆にくれる娘を哀れに思い、義高の墓に神社を建て義高の霊を祀りました。
・この義高には「影隠地蔵伝説」があります。入間川を越えて追っ手から逃れるために広瀬の地に建っていた地蔵菩薩の背後に身を隠し危急を逃れたというものです。これは義経伝説と同様に、わずか12歳で非業の最後を遂げた義高を哀れに思った里人による創作と推察されます。 (※「影隠地蔵」は広瀬地区の校外学習で見学します。)
◇おわりに
今回は、鎌倉時代・南北朝時代に足跡を残す新田義貞や足利基氏と所縁のある八幡神社・徳林寺などをめぐるコースでした。さやまの中心地である当地域の中で悠久の歴史を刻むスポットに立ち、新たな発見と驚きを感じました。遠い昔に入間川を臨む軍事上の要衝であったこの地一帯において、武家同士が覇権をかけ相まみえる光景が瞼に浮かんでくるようです。
次回は、「堀兼地区」の史跡・文化財めぐりです。お楽しみに…。
◇ 第4回「史跡・文化財めぐり(校外学習)」に参加して ◇
機関誌・広報担当 3班 村山正幸
朝8時、狭山市駅を降りて西口の「景観優秀賞」を受賞したスカイテラスをぐるりと周って入間川方面を眺めると、遠くに秩父の山々が青く見えます、今回の校外学習は秋晴れのスタートでした。
駅西口広場から中央図書館の前の山下通りを少し下ると右側に「西の鴻池、東の綿貫」と並び称された程の江戸後期の豪商「綿貫家」の家屋の一部分が現存しています。山下通りの「山下」は綿貫家の屋号です。
そこから直ぐ右奥に徳林寺があり、ここの本堂に上がらせて頂きました。ご住職から市指定文化財の「釈迦八相図」と「釈迦涅槃図」を前に、お釈迦様の生涯を解説して頂きました。個人では経験できない貴重な時間でした。徳林寺は新田義貞が鎌倉攻めの時に、ここに陣を置いた事で知られています。墓地に回ると彼岸花がそこここに咲いていました。
続いて義貞が戦勝祈願に参拝したと伝えられる八幡神社の「駒つなぎの松」では、蚊の襲来にあって歴史ガイドさんの説明に集中することが出来ずに閉口しました。この時期の史跡巡りには香取線香が必携です。
興味をひかれたのが入間川の諏訪神社です、武田菱の付いた小さな社ですが伝説がありました、竜神伝説です。その昔、池に棲む龍神が夏病で苦しんでいた時にナスを食べたら治ったそうです。竜神の棲む池はすでにありませんが、今でも残るのは「お諏訪様のなすとっかえ」の祭事です。ことしも1メートルもある張り子の「なす神輿」を子供たちが担いで練り歩いたそうです。
狭山にはまだ知らない史跡や伝説・民話・お祭が沢山残っていると聞き、興味は尽きません。次回の校外学習が楽しみです。