「狭山の歴史講座」野外学習第2回 史跡・文化財めぐり「入曽地区」
実施日:2019年5月23日(木) 8時20分集合~12時20分現地解散
天 候:晴 快晴 27度 風なし 季節外れの暑さになり木陰が心地良い天候でした
地 区:入曽地区 コース距離 約4.5㎞
コース:入曽市駅東口広場集合…水野の庚申塔…金剛院…入曽用水…下水野の地蔵尊…常泉寺と井戸神さま…野々宮神社(休憩)…七曲井と観音堂…入間野神社…金剛院中央霊園の夢地蔵さん(現地解散)
参加者:髙橋先生 受講13名 スッタフ6名 狭山歴史ガイドの会6名 総勢26名
◇今回訪れた「入曽地区」の特徴
入曽地区は武蔵野台地の北端に位置し、古代から飲料水の確保が難しい不毛の大地でした。そのため入曽用水や水神、井戸跡など水に因んだ史跡・文化財が多くあります。また、化け地蔵や夢地蔵さんなど“謂れ”のある石仏にも出会うことができます。今回は、珍しい石仏が建つ「金剛院」と古代井戸の遺構として価値の高い「七曲井」を“お勧めスポット”としてご紹介します。
ϴϴ お勧めスポット① 金剛院の「四夜叉を刻む庚申塔」 所在地:狭山市南入曽460
当院は御嶽山金剛院延命寺といい、宗派は真言宗豊山派で本尊は木造不動明王坐像です。創建年代は不明ですが、室町時代の後期以前と推察されます。この寺は、かつて南入曽村と水野村の檀那寺としてこの地域に強い指導力を持ち、水野の新田開発や入曽用水の分水についての貴重な資料を数多く所蔵しています。総檜造りの「山門」は風格のある四脚門という建築様式で、江戸時代中期に建てられた当院で最も古い建築物です。
緑豊かな境内に建つ「四夜叉を刻む庚申塔」は、浮彫の青面金剛を主尊とするもので天明2年(1782)に造立されました。この高さ160㎝の庚申塔には、三猿、日月、二羽の鶏が無く、四夜叉が彫られていることから、作神的要素を持っていない本来の庚申信仰に基づいたものと思われます。狭山市内に庚申塔は38基ありますが、台座に四夜叉を配置するものはこれ一基しかなく、近隣市町村でも殆ど見られない大変珍しい石仏です。
ϴϴ お勧めスポット② 「七曲井」と観音堂 所在地:狭山市北入曽1366
この七曲井は、昭和24年(1949)に埼玉県指定文化財・史跡に指定されました。すり鉢状の井戸は、武蔵野台地にある古代の井戸で堀兼の井の遺構として価値が高いものです。かつてこの地は字掘難井と呼ばれ、この井戸の状況をよく言い表しています。遅くとも9世紀後半から10世紀前半に掘られたと思われるこの井戸は、昭和45年(1970)に実施された発掘調査により復元されました。
七曲井の横に建つ常泉寺観音堂の創建は、常泉寺の「当山沿革史考」によると建仁2年(1202)と伝えられています。常泉寺は以前この地にありましたが、元禄2年(1689)にこの観音堂だけを残し現在地へ移転しました。観音堂の境内には、法華経の中の観世音菩薩普門品(観音経)を一定回数唱えたことを記念して建てられた「普門品供養塔」(右下写真左側)や、脇を流れる不老川に架けた入曽橋の供養塔と思われる「橋念仏供養塔」(右下写真の真中)などの石仏が整然と並んでいます。
◇おわりに
本日は第2回目の校外学習でした。季節外れの暑さの下で入曽地区約4.5㎞のコースをめぐりました。今回は、入間川などの水源が生活用水となっていた前回の柏原地区と趣が違い、水に纏わる入曽用水や水神、七曲井の遺構などに出会うコースでした。また、化け地蔵や夢地蔵さんなど興味深い石仏や民話にも触れることができました。改めてそれぞれの地域にそれぞれの暮らしに根差した長い歴史があることを感じられたのではないでしょうか。
次回は、前期最後の校外学習「峰・田中地区」の史跡・文化財めぐりです。お楽しみに……。
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◇ 第2回「史跡・文化財めぐり(校外学習)」に参加して ◇
機関紙・広報担当 3班 村山 正幸
木陰に身を隠すほどの晴天の一日「史跡・文化財めぐり(入曽地区)」に参加しました。
私事ですが南入曽に移り住んで32年間、地元の故事来歴など知らずに「令和」を迎えました。
大昔、私の住んでいる入曽周辺には多摩川の流れがあり地表の関東ローム層の下は礫層(石ころ)になる為に生活用水の確保が難しかった様です。この自然環境が入曽・水野地区の歴史と深い関係があると知り一歩前進です。自宅の前方(約80m)にある林川にも歴史がありました、いつも枯渇して存在感の薄い川ですが、江戸時代に水野村の新田開発に伴い水野村から南入曽村に入曽用水の分水を懇願して24年後に許可されたとあります、今は雑草の生えた浅い窪みと化しています。水野の地名は「水に恵まれる願い」を込めてつけたと聞きました。生活用水を確保したい当時の人々の希望ですね。
北入曽の常泉寺付近に共同井戸跡があり、「水天」と刻まれた井戸神さまが祭られています。井戸を大切に守る人々の絆や人間関係も想像できます。信心とレクを兼ねた庚申講・冨士講も絆の一環でしょう。集落の人達はきっと「講」の来る日が楽しみだったに違いありません。
いつもは前を素通りしてしまう七曲井は、平安時代に歌われた「ほりかねの井」の一つで入間路を往来した旅人の喉を潤した様です。奈良時代にこの井戸の管理に当たった野々宮神社にお参りをしましたが、霊気漂う清々しい境内でした。
南入曽の入間野神社では10月に五穀豊穣・悪疫退散・雨乞いを祈願して獅子舞が奉納されるとの事ですが、未だ観た事がなく今年こそは見学しようと考えています。
今回の校外学習では「水」を大切に守り続けてきた入曽地区の歴史を学び、地元への興味は更に膨らんでいます。
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