太田道灌の築いた河越城へ
実施日 : 平成30年7月24日(火)9:30~12:30
場 所 : 川越城址
出席者 : 受講生36名(受講生数62名) スタッフ等9名 計45名
出発は太田道灌像前から
朝は曇っていたのに、晴れ間の出て来た川越市役所前、右手に山吹の小枝を持った太田道灌像が逆転日本史講座の面々を迎えてくれました。太田道灌は、河越城(江戸時代以降は川越城と記述)や岩付城、江戸城を築いた室町時代の武将です。この像が建てられている場所は、元々川越城の西大手門があった場所で像のすぐ脇にはそのことを示す碑も建てられています。また、市役所の入り口には川越城図があり、さぁ行くぞという気持ちにさせてくれました。
岳先生の挨拶の後は、地元川越のボランティアガイド・勝村さんのお話があり、4つのグループに分かれて遺構巡りに出発です。
中の門堀跡
室町時代に太田道真・道灌父子によって建てられた川越城は、江戸時代に川越藩主・松平信綱によって大拡張工事が行われました。約2倍の城郭になった川越城でしたが、戦いを想定し、中ノ門と中ノ門堀が造られました。
中ノ門堀の特徴は、城壁側とその反対側の法面勾配が異なる点です。城壁側の法面勾配が60°、反対側が30°あり、城壁側が切り立っているので、敵が攻めてきた際にこの堀を越えることが出来ません。侵攻できずにいるところへ、城壁の狭間(はざま)から弓や鉄砲で撃つという戦法です。また、敵が西大手門から城内へ攻め込んで来ることを想定して、急勾配の中ノ門堀以外に、2本の堀が用意されています。この計3本の堀は、クネクネと曲がっており、敵を直進させない構造になっています。ここでも敵兵が突撃できない間に、城壁の狭間(はざま)から弓や鉄砲で迎え撃つという戦法です。
ちょっと寄り道
中の門堀跡から本丸御殿への途中に、「道灌まんじゅう」の看板を掲げたお店がありました。創業大正10年の川越菓舗「道灌」です。この日は白い大きなうさぎさんが看板娘を務めていました。地元の皆さんに愛されている、川越ならでの菓子作りを目指しているお店です。
川越城本丸御殿
川越城本丸御殿は、東日本唯一のもので、全国的に見ても貴重な遺構です。本丸御殿とは、城主の住居であり、政務をする場でもあり、家臣の常駐する部屋などを含む城の中心となるところです。玄関を入ってすぐの場所に位置する本丸御殿大広間は36畳もの広さがあり、来客の際に城主が来るまでの待機部屋として使われていたそうです。江戸時代は建物の数16棟、1025坪(3388平方m)の面積を誇るものでしたが、明治以降、建物の移築・解体が行われ、現在では、本丸御殿の玄関部分と大広間・家老詰所を残すのみとなっています。
本丸御殿の最後は大広間に集まって、権田さんからの特別レクチャー「神社の変遷」。狭山の堀兼神社と次に行く三芳野神社の関係についての講義です。
三芳野神社
平安時代初めに創建された三芳野神社は、童謡「とおりゃんせ」の発祥の地と言われています。城の中にある三芳野神社は、一般庶民は普段訪れることができません。参拝できたのは年一度の大祭の時か、七五三の祝いの時だけでした。そんな庶民の思いが童謡になって広まったと言われています。庶民からの信仰が厚く、「お城の天神さま」として親しまれていたそうです。現在は工事中ですが、お参りはできるそうです。
川越市立博物館
最後に訪れたのは、川越市立博物館です。博物館内には、川越城と城下町のジオラマや川越の歴史を知る資料が多数あり、解説員さんに川越城下の様子や川越大火と蔵造りの町の変遷、蔵造りに見られる職人技などを分かり易く説明していただきました。
館内見学の後、美術館へ通路にある「鬼瓦」の実物を見学。鬼瓦の後ろには影盛という飾りもあります。その大きさに圧倒されます。
博物館での見学が終わった後は解散し、グループごとに川越の町に繰り出し、昼食となりました。それぞれの班の親睦を深めたことでしょう。