吉良上野介 ~ いじめられたのはこちらの方だ 吉良の言い分とは ~
講 師 : 日本ペンクラブ 理事 岳 真也
実施日 : 平成30年7月18日(水)1:30~3:30
場 所 : 狭山元気プラザ 大会議室
出席者 : 受講生 59名(受講生数62名)
ひょんなことから題名が……
今回は岳先生最大のベストセラー『吉良の言い分 真説・元禄忠臣蔵』。20代の頃、旅行記を書いていた先生は、あるとき吉良近辺を取材。おいしいシャコの刺身を提供してくれた漁師さんに「吉良って悪い奴ですね」と言ったところ、顔色を変えて、「いま食べたシャコを戻せ」「この町で吉良さんの悪口を言ったら道を通れないぞ」と怒られたそうです。調べてみると、名君として地元で讃えられている吉良上野介の姿が浮かび上がりました。
そして、この題の経緯についても……。新宿で待ち合わせに遅れた先生は、いきなり殴りかかられ、「いや、俺には俺の言い分がある」と。すかさず編集者が、「それ、いきましょう」と言ったことから付けられたそうです。今年9月には山と渓谷社より、また新たに第3版が刊行される予定です。
吉良の「言い分」とは
まずは、ご存知、忠臣蔵の物語。高家(こうけ・江戸幕府における儀式や典礼を司る役職。名家のみが就任できる)である吉良上野介義央(よしひさ)と、饗応役を仰せつかった浅野内匠頭長矩(ながのり)。吉良は浅野の指南役、いわばトレーナー役です。さまざまな嫌がらせを受ける浅野の姿は、近頃の女子レスリング界を彷彿とさせます。耐えられなくなった浅野は松の廊下で、「この間よりの遺恨、覚えたるか」と言って吉良に斬りかかります。浅野は取り押さえられ、即日切腹を命ぜられました。一方の吉良は、おかまいなし。浅野家の家臣たちは報復のため耐えに耐え、ついに吉良邸討ち入りを果たします。
さて、この美談に対して先生は疑問を呈します。
① 遺恨(いじめ)の実態はなかったのではないか。
・賄賂を強要した … お歳暮程度の謝意を表し、金品を供するのは当然なのではないか。
・内匠頭の妻への上野介の横恋慕 … 年齢も違い過ぎる上に、当時の上野介の仕事を考えると忙しくて会っている暇などなかったはず。
・料理に対する虚偽の指導 … 事前に打ち合わせるので虚偽の指導などできない。
・増上寺の畳替え問題 … 替えられたのは事件の翌日なので不合理。
だいたい、内匠頭の失敗の責任は指導役の上野介が取らなければならないので、間違った命令を出すなどあり得ない。
② 武装した集団がなぜ太平の江戸の町を闊歩できるのか。町役人はどうしていたのか。
③ 事件後の江戸御門内から本所への吉良邸屋敷替えは、江戸町奉行管轄から代官支配地への移転となり、何か起きても責任を代官一人に押し付けられる。
④ 「この間よりの遺恨、覚えたるか」などと言わなかったのではないか。斬りつける時はもっと短い言葉、「この野郎」とか「オォー」とかではないのか。
さらに、吉良邸での残虐を極めた殺戮の実態も話されます。武装した侍がまったく無防備な吉良の家臣を殺傷、隠れていた十三、四歳の茶坊主まで引きずり出して殺す。炭小屋に隠れていた上野介は命乞いをしたというが、実は脇差を抜いて戦っていた等々が、当時の資料からわかるそうです。結局、持病の「痞(つかえ)」の発作を起こした内匠頭の乱心、ただのノイローゼではなかったのかとの見解です。吉良は通り魔にあったようなものです。きちんと指導したつもりでも、相手からみたらパワハラと受け取られ、逆恨みされたのではないか、また、時の権力者、側用人の柳沢吉保等による幕府の藩取り潰しの思惑がからんでいたのではないか、とも……。
先生はこの本を書くにあたり、100冊以上の文献に当たったそうです。「いろいろな資料がある中で『徳川実記』が一番信用できるが、役人が手を抜いたり、都合の良いように改ざんしたりした箇所が見られる。今も昔も公文書改ざんは変わらない」「資料のほとんどが漢文でチンプンカンブンだ」なんてギャグも飛び出しました。そして、「すべて『僕の言い分』『あなたの言い分』だ」とまとめられました。
ただ、この出来事は筋立てが揃い、大衆受けの物語になりやすかったのです。それで、美談として講談で語られたり、歌舞伎になったりしたのでしょう。吉良家菩提寺華蔵寺の吉良上野介木像の顔は、映画や芝居で描かれるような意地悪な顔ではなく、優しいおじさんという印象の温和な顔だそうです。
質問タイム
「綱吉は犬公方と言われ江戸庶民から総スカンをくっていたので、幕府は敵に回さないために浪士らの討ち入りを見て見ぬふりしたのではないか」「討ち入りしないと世間から糾弾されてしまうようなムードだったのかと思う」「当時の武士はもっと非常時に備えていたのではないか」等の質問がありました。先生からは「できるだけたくさんの藩を潰してしまおうという幕府の意向はあったと思う。あくまで『岳ワールド(故立松和平氏による。岳ワールドで遊びなさい。岳は嘘がうまし……と)』だが……。弟が浅野家を継ぐ話もあったが、絶望的な状況だった。当時の武士は枕元に刀を置いて備えたといわれるが、酔っ払って部屋に戻って来るとそのまま寝てしまうようなこともあったのではないかと思う」とのお答えがありました。
受講生の感想
受講生からは、「歴史の教科書にはない、小説家の視点からの歴史上の人物の見方は、新鮮でストーリー性もあり興味深かった」「歴史は基本的にはどのようなことが起きたのか周知されているものの、疑問符付きであり、想像力駆使の宝庫であるのは、現実的な発見でした。人間は一体どういうものなのかの集大成のようです。そして、権力とか権力者とかを知ることになると思いました。個人でもある覇者等をどうとらえるかは尽きる事の無い興味でもあり、表面にあらわれる現象から、人間世界を知る漠然とした面白さが感じられました」等の感想が寄せられました。