「空海」~謎の青春時代と、今もっとも必要な人物
講 師 : 日本ペンクラブ 理事 岳 真也
実施日 : 平成30年5月16日 1:30~3:30
場 所 : 狭山元気プラザ 大会議室
出席者 : 受講生55名(受講生数62名)
今、なぜ空海か
「今日は逆転はしません。意外な空海さんの話をします」と始まった今回の講座。「出番ですよ、空海さん」という内容でお寺の講話をすることもあるという講師が、題にあるように「今なぜ空海が必要なのか」を解き明かしていきます。お話の中でも「空海さん」と「さん」付けで呼んでいることに、先生の空海への思い入れがうかがえました。
不明のままの青年期から入唐、そして帰国後の活躍へ
空海は讃岐の名家・佐伯一族に生まれています。弘法大師として知られる真言宗の開祖です。幼名を「眞魚(まお)」と言い、幼少期から天才ぶりを発揮し、18歳で京の大学寮に入りました。大学での専攻は明経道、今でいう政治経済学です。しかし、大学での勉強に飽き足らず、2年で中退、修行に入りました。この頃から空海の足取りは資料が少なく、室戸岬の洞窟で口に明星が飛び込んできて悟りを開いた、その御厨人洞(みくろど)から空と海しか見えなかったので「空海」という名がついた等さまざまな言い伝えがあります。しかし、一番の謎は、突然の入唐です。空海の乗った船は、途中で嵐にあい大きく航路を逸れて漂着。海賊の嫌疑をかけられましたが、中国語ができた空海の助力で無事に長安に入りました。その後わずか2年ですべてを習得した空海は、阿闍梨位の伝法灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。その後たくさんの土産や最新の文化を持ち帰り、高雄山寺、東寺、高野山等で真言密教を広め、満濃池(農業用ため池)の改修、私立の教育施設「綜芸種智院」創設などをしました。当時の教育は、貴族の子弟など一部の人々にしか門戸を開いていませんでしたが、「民こそがすべて」とする空海は庶民にも教育の門戸を開きました。また、綜芸種智院はあらゆる思想・学芸を網羅する総合的教育機関でもありました。
空海と他の偉人とを比較してみます。まずは、福沢諭吉。慶應義塾を創設し、異国の文化に学び、異国の思想を持ち込んだところが同じです。アインシュタインとは大変な落ちこぼれだったところ、その宗教観、宇宙観が互いに呼応するところがあります。レオナルド・ダ・ヴィンチとは東西の天才芸術家という意味で似ています。空を飛んだと言われる空海、飛行機械を描いたダ・ヴィンチ。先生はダ・ヴィンチに空海の影響を感じるそうです。
最後に、現代における環境破壊や人間関係の希薄化、金銭至上主義、少子高齢化等の諸問題について触れ、空海ならどうするか、皆が空海になれば良いと結ばれました。「すべての物に『仏』は宿る」「何物も殺してはいけない。救うことで救われる」「土から生まれて土にかえる。その土を汚すなかれ」「老いを怖れず、楽しむべし。ボケは仏への準備なり」とも……。
質問タイム
「空海は自分で名前をつけたのか」「空海が高野山の財宝を持ち出したのではないか」「空海は彫刻はしたのか」などの質問が寄せられ、行基は仏像を作ったが、空海はポンポンとたたいたら温泉が出た等の話が多い。両者とも弟子が多かったので、いろいろなことが後世に伝わっていったのではないかとの返答がありました。また、「一介の修行僧がわずか1~2年ですべて習得して戻ってきたというが、渡った人と戻って来た人が別人だったという仮説はないか」との問いには、「それは無いのではないか。先に中国に行っていたという説の方が信じられる。ダ・ヴィンチはいろいろな才能があったが、別の人ということも考えられる。謎は謎として、また豊かに想像することも楽しい」と結ばれました。
受講生の感想
「歴史の流れを知った上で、歴史は人間の諸々を知り得る面白さを感じています。歴史は権力争いが主眼なのだという感想を持ちました。時代とはどういうことなのか、人間とは何なのかと、頭を混乱させます。生き方の一助として、ますます歴史を知りたくなりました」「今回の講座で空海の偉大さを再認識しました」「空海の多方面にわたる活躍を通し、歴史の面白さを発見しました」「アインシュタインやレオナルド・ダ・ピンチと空海の共通点が面白かったです。空海と福沢諭吉との比較も興味を持ちました」「実家が真言宗です。心の故郷を学びました。ボケも身近な出来事ですが、老いを怖れず、市民大学で学べる事も楽しみかな。ボケは仏への準備?これは現実逃避になりませんか?」等、皆さんますます歴史好きになっているようです。