狂言「入間川」徹底研究 ~中世の武蔵国入間川を取り巻く環境~
日 時:11月9日(水)13:30~15:30
講 師:狂言「入間川」を観る会 福田 正 様
受講生:出席11名(欠席0名)
ナスとっかえで有名な上諏訪神社例大祭の日、8月26日(現在は8月第3土日)生まれの福田さん。生まれた場所も神社の近くで、生粋の「入間川っ子」です。大学の卒業論文も狂言「入間川」、大学院の修士論文も「入間様(いるまよう)」に関してだったそうです。狂言は当時の口語体で書かれているので、何回も観ないと分からない、また、狂言「入間川」では台本通りの所作や動作で狂言師が舞い、それは他の流派ではなかなか見られないことだそうです。福田さんはそんな台本の、時代による変遷を研究されていたそうです。
逆さ言葉と狂言「入間川」
もともと狭山市近辺は府中や鎌倉への宿場町として人馬、物流、文化の行き来が頻繁に行われていた交通の要所で、軍事的にも大変重要な場所でした。ここ入間川が入間様、入間詞、逆さ言葉の発祥の地ではないかという話から始まりました。入間川左岸は古くから朝鮮半島からの渡来人によって開発され、言語や風俗に独特のものがありました。右岸の日本人とは言葉が伝わりにくかったことから、都に帰った人々によってその様子が語り継がれ、話題となり、狂言「入間川」が創造されたのではないかと考えているそうです。江戸末期から明治初期にかけて入間ものが流行った時には、逆さ言葉が面白いということで、入って来た泥棒に「好きなものを持って行ってください」と言い、欲張った泥棒の足の骨が折れてしまったという浄瑠璃の物語も作られました。
狂言「入間川」はいつごろできた?
狂言の記録としては、「糺河原勧進猿楽日記」が残されています。寛正五年に糺河原で興業された鞍馬寺の勧進猿楽の際、能の間にはさまれて上演された23番ある狂言の中の3日目に「入間川」も名を連ねています。その当時の台本がそのまま後世に伝えられたとは考えにくいのですが、少なくとも狂言「入間川」は狂言発生の当初から存在していたということになります。
当時、狂言は将軍以下上流階級の人々の娯楽でした。その後余裕のある大きな大名に召し抱えられ、それぞれの流派が独特の発展を遂げていきました。明治以降は大名が召し抱えることができなくなり、狂言師たちは各地に居を構え、興行を行います。当初は大都市中心に興業が行われていましたが、交通網の発達につれ、全国各地、今では世界各国でも鑑賞されています。現在は大蔵流と和泉流の二流派によって上演されています。江戸時代末期までは鷺流も上演されていましたが、衰退し、現在では見ることができません。
狂言の見方
初めて観る狂言に関しては、必ず予習をしていくことが大事です。室町時代の口語なので、初めて見た人でも半分ぐらいは分かります。日本語というのは意外と変わっていないのだなと思います。じっと聞いてみてください。中世の「おかし」というものを思う存分楽しんでいただければと思います。狂言は歌舞伎と違って声掛けするところはないので、笑う部分では思い切り笑い、思い切り拍手をしていただきたいと福田さんは話します。
国立能楽堂の地下には能楽堂開場以来のすべての公演のDVDがあり、視聴ブースで利用することができます。もちろん、狂言「入間川」も、各派、各家によって記録されたものが収められています。野村萬斎や三宅藤九郎の狂言「入間川」等も見ることができます。山本家ではアドリブは見られませんが、それぞれ台本が多少異なり、違う所作であったり、アドリブが入ったりしているそうです。30分で110円、予約制です。下手な映画を見るよりリーズナブルでよっぽど面白い、機会があったら是非一度見ていただきたいとのことです。
狂言「入間川を見る会」は毎年鑑賞会を開いています。そのひと月ほど前には講演会と称して、事前学習会を行っています。前回は台詞を大名、太郎冠者,入間の某と分担して、皆で大声を出して読んだら大好評だったそうです。会員が高齢化し、一番若いのが福田さんだそうで、皆さん是非ご入会くださいと話が結ばれました。
質疑応答
「向かいの宿が入間の宿というのは地理的におかしいのでは?」の質問には「京都に帰った作者が創作したので、細かいことに気を使っていなかったのではないか」、「逆さ言葉が実際には無かったという説もあるが?」には「入間詞の確証は得られていない、高麗人の朝鮮語と日本語の掛け合いからこの物語が生まれたのではないか」等々、たくさんの質問に丁寧に答えていただけました。受講生からは、2回、3回と観ていくとだんだん味が分かって来るということなので、是非これからも観てみたい、能楽堂ツアーを市民大学でやって欲しいなどの感想が出されました。
受講生感想
❖ 分かり易く、深い内容の講義が聞けて、満足です。狂言「入間川」は数回見ています。大蔵流が多いですが、和泉流も見ました。鷺流のことは初めて知りました。入間川の地名が、「はるか遠い国」の代名詞として使われてきたようですが、狂言「入間川」が全国に知れ渡るきっかけになったとすれば、逆手にとって、今に生きる私たちが、「入間様発祥の地」を積極的にPRして、知名度を上げるきっかけにすべきではないかと思いました。山本東次郎先生のご尽力のお蔭だと思いましが、入間川沿いに「狂言入間川・入間様発祥の地」の記念碑をつくり、まちづくり文化観光資源につなげる必要性を感じました。狂言「入間川」アーカイブス開設なども、狭山市ならではの狂言体感の貴重な場になるように思います。
❖ 狂言「入間川」については、解説1回、観賞1回でもう理解したものと思っておりました。本日の講義を聴いて幾度も鑑賞し、事前予習をし、鑑賞することが伝統芸能を理解することにつながるものと思いました。観賞回数が増すたびに、面白さ、奥深さがわかるようになりたいものです。今後は狂言ばかりでなく、古典芸能を理解する際の鑑賞態度にしようと思いました。狂言「入間川」ばかりでなく入間川の歴史に関することについても順序だててご講義いただきありがとうございます。より理解が深まりました。先生の入間川愛(狭山愛よりも)を感じました。
❖ 狂言「入間川」は存在を知りつつ、非文学少女だった(現在老女)私にとっては敷居が高く、まだ一度も拝見したことがありませんでした。そこで今回はとても後ろめたい気持ちで受講しました。本日の受講で狂言「入間川」を中世の狭山の文化「入間様」を表すものとしてみるという見方をお教えいただき俄然興味がわいてきました。福田先生の「狂言『入間川』徹底研究 中世の武蔵国入間川を取り巻く環境」の論文は素晴らしく、手にすることができ感謝してやみません。今は介護で身動きができない状況ですが、時間ができましたら狂言「入間川」を鑑賞して流派の違いの分かる大人になりたいと思いました。