内 容 : 「長屋王」&「藤原薬子」~冤罪により自死をよぎなくされた天下の宰相&才色兼備の妖女薬子
講 師 : 日本ペンクラブ 理事 岳 真也 氏
実施日 : 平成30年5月9日 1:30~3:30
場 所 : 狭山元気プラザ 大会議室
出席者 : 受講生57名(受講生数62名)
◆ 「薬子」…さて、何と読むのでしょう?
「僕も最初見たとき、何と読んだら良いのかなと思い……」。「藤原薬子」の名前についての話から始まりました。そうです。「ふじわらのくすこ」です。三枝和子さんの著作に「薬子の京」という本があります。こちらは「くすこのみやこ」。今回は長屋王とこの藤原薬子のお話です。
◆上り詰めた地位から、自死へ。ここでも逆転の人生が
恵まれた出自の「長屋王」。父は天武天皇の長男、母は天智天皇の皇女という押しも押されもせぬ家柄です。当時は弟が皇位を継ぎ、その後はその子どもが継ぐことが多かった時代でしたが、長男の子である長屋王は無位からいきなり正四位上に就き、15年後には筆頭の正二位・左大臣に上り詰めるという異例の出世をしました。貧窮対策、土地の開発や開拓を推奨し、名宰相と目されるようになりました。表向きは僧尼令などを発して行基を弾圧しましたが、両者は密かに会い、難民政策や公共事業などでは意気投合していた模様だとのこぼれ話も……。文学にも造詣が深く、当時の一流の文化人や外交官を招いて詩宴を催していました。しかし、やがて藤原四兄弟と対立。皇位継承問題が取り沙汰されるようになると、国家を傾けようとしていると訴えられ、自死を選びます。当時は、「責められたら自殺」が作法だったそうです。王の死後、この藤原四兄弟は相次いで天然痘で亡くなりますが、長屋王の呪いだと言われています。
もう一人の主役は、平安初期に活躍した「藤原薬子」。中納言・藤原縄主(ただぬし)の妻でしたが、長女が安殿親王の官女になると宮仕えをし、親王と深い仲になり、親王が平城天皇となるや女官トップになり、時の政治を牛耳りました。眼光鋭い、才色兼備の「小熟女」だそうです。姿が目に浮かぶようです。しかし、天皇が病で弟の神野親王(嵯峨天皇)に譲位した後、平城上皇の復権を図ろうとしましたが果たせず、最後は毒を仰いで自ら命を断つことに……。
今回も、身振り手振り入りで、まるで歴史小説を聞いているかのような講義でした。
◆ 質問タイム
「『日本書紀』の外に、当時のことを記録した歴史書がありますか」「小野妹子は男ですが、○○子が女性名に使われるようになったのは、いつ頃からですか」等の質問が出されました。歴史書については、「『続日本紀』『日本霊異記』があります。当時詠まれた和歌からも当時の出来事が分かります」との返答が、「子」については、「○○子が付く名前は高貴な人に使われていましたが、明治時代半ばから庶民にも広まったようです。少し前は、本名に子がなくても、通称に子を付けることがありました」との返答がありました。
◆ 受講生の感想
今回の感想には、「長屋王、藤原薬子について勉強してみようと思いました」「薬子が才色兼備で才女であったことと皇室の政権争いの激しさを始めて知りました」「藤原四兄弟についてもっと知りたいと思いました」など、今までの歴史教育であまり知られていない人物への興味をそそられた感想が目立ちました。また、「言い伝え、環境等から類推し、小説化する。しかし、嘘は嘘でも人の心をとらえるのが必要との話がありました。これが作家の神髄かと思い、感動しました。ただし、読者は信じ込んでしまいます。この問題、どう解決すれば良いでしょう」という創作への素朴な疑問も寄せられています。他には「東三ツ木の薬師堂に行基作の仏像があります。あれは本物でしょうか?」など、近くの史跡への質問も寄せられました。